第8話

 陽が昇り朝が来る。結局眠りにつくことはできなかった。


 朝食のパンを齧っていると、目覚めたティアマトが駆け足で二階から降りてくる。


 数秒間ティアマトと目が合う。


「何をそんなに慌てている?」


「よかった」と小さく呟いて、ティアマトはその場で崩れ落ちる。目から溢れる大粒の涙が少女の気持ちを表していた。


「ど、どうした!?何がそんなに悲しい!」


「その逆よリュウちゃん。嬉しいのよ、ね?ティーちゃん」


 ティアマトはコクリコクリと頷く。嬉しい?


 泣く行為は悲しみの感情から来る表れだと思っていたが、どうやら違うようだ。人間の感情とは難しいものだ。


「起きたらいなかったから、竜王様死んじゃったのかと思って……」


「勝手に殺すな。あの程度で死ぬ我ではない。我は竜王だぞ?死の概念すら超越する存在だ」


「ほ、ほんとですか?」


「ああ、本当だ。貴様が死ぬまで我は死なない。だからもう泣くな」


 ティアマトは涙を服の袖で拭って、我の隣に座る。座ったかと思えば一度立ち上がり、椅子同士の距離を近づける。


 ティアマトは何も言わないが、横目で表情を見ると口元が上がっている。


 くっつかれると食べにくいのだが、まあいいか。


「若いっていいわねぇ〜」


 我らを見て満面の笑みになる老婆。


「なんだその顔は」


「そうだ!今日は天気良いから二人でピクニックでも行ってきたら?私サンドイッチ作ってあげるから、ね?」


「ぴくにっく?」


「自然豊かな場所で食事することよ。町を出てすぐに小高い丘があるのよ。そこで食べてきたら」


 手を合わせて何か閃いたかのように老婆は言う。正直そんな時間などない。


 我は一刻も早く元の姿に戻らなければならない。元の姿に戻るための手段は今すぐに思い浮かばないが、今やるべきことは決してピクニックに行くことではない。


「そんな時間などない。我は忙しいのだ」


「ティーちゃんは行きたいんじゃない?」


「竜王様が忙しいなら大丈夫です。わたしだけ楽しむわけにはいきませんから」


「かわいそうねえ。本当は行きたいのに」と言いながら我をチラチラ見る老婆。


 これではまるで我が悪いみたいではないか。


 いや別に気にする必要はない、老婆やティアマトがどう思おうが知ったことではない。


「オリンだったら絶対連れてってくれるのに、ティーちゃんかわいそう」


 何故、そこでお前の知り合いの名を口に出す。関係ないだろ。


「いや、いいんですよ。メリーさん」


「でもねえ……」


「わかった、わかった。行くぞティアマト」


 ついその場の雰囲気に耐えられなくて言ってしまった。これ以上隣で我に気遣いするティアマトを見ていられなかった。


 全く、これでは他の竜に見られたら嗤われるぞ。王の威厳を損ねる発言だ。最悪竜王の座を降ろされても文句は言えない。


「いいのですか?」


「我が行きたいと言っているのだ。朝食を食べたらすぐ出発するぞ」


「はい!」


 ティアマトは急いで黙々とパンを口に詰める。

 その姿から喜びが伝わってくる。やはり行きたいのではないか。


「さすがお兄ちゃんね!」


「誰がお兄ちゃんだ!」


 *****


 王都からコール町までの道を、白い羽毛に覆われた大きな鳥が走っている。翼を持たず大きく発達した足で力強く大地を駆け巡る走鳥類のミーと呼ばれる鳥が列を作っている。


 そのミーに乗りコール町へと向かうのは、騎士団とその団長であるイトナ。そして昔竜殺しと呼ばれた男のひ孫、スレイ。


 団長と団員10名、そして竜殺しのひ孫、以上12名だ。


 イトナの隣を走るスレイが口を開く。


「騎士団も大変ですね。わざわざあんな辺鄙へんぴな所に行かせられるなんて。それにしても、団長様自らが調査に赴かなくてもよいのでは?」


「現在、陛下が最も危惧しているのは今回の件だ。治癒しない火傷、まるであの竜を彷彿とさせる。救世主様の勲功により、あの日以来竜王の存在は確認されていない。奴が復活したとは考えにくいが、他の竜の仕業という線もある。調査の結果、少しでも真実に近づき陛下の不安を取り除けるなら、私は労力を惜しまない」


 白髪の髪をなびかせながら、イトナは淡々と言う。


「ははっ、さすが団長様。ご立派な忠誠心だ。確かに女王様は不安でしょうね、何せしがない用心棒の俺にまで声をかけるんですから」


「ふざけているなら王都に戻れ。貴様がどう思おうと我々騎士団は真剣に調査する」


 イトナは軽口を叩くスレイが気に入らなかった。ひょうひょうとして信用できない男だと感じたからだ。


「真剣ですよ、至ってね。俺は竜がいてくれないと困るんですよ。功績を挙げれば大金が手に入る。それで用心棒もおさらば」


 スレイの曽祖父は竜殺しの名を持つ。


 竜王が死した後、残りの竜たちを討伐していった。


 竜王を討伐した救世主と同様、スレイの曽祖父もまた数々の竜を討伐した者として世に功績を残した。救世主ほどではないが、曽祖父も偉人として多くの者に崇められていた。


 しかし、それは曽祖父の話。スレイには全く関係のない話だ。曽祖父が名誉ある竜殺しであるからと言ってスレイ自身が優遇されるわけでない。


 今では、裏で悪徳商品ばかりを売りさばく商会の主人の用心棒として働いている。


 その主人はエルフだ。エルフにケチをつける人間はいないという理由から商会を始めた。


 スレイは自分でも情けないと思っていた。平気で人から恨みを買い、誰も信用できなくなったエルフは金で護衛役として用心棒を雇った。


 竜殺しで名を馳せた英雄の子孫は悪人を守っている。自身の地位を利用し金儲けのことしか考えないクズだ。だがそのクズのおこぼれを貰ってスレイは生きている。


 そんな自分が劣っているように見えた。だからこそ、この機会を逃すわけにはいかない。

 曾祖父から引き継がれている竜殺しの大剣を背負いスレイは静かに決意する。


 *****


 町を出て草原を歩るき、丘を目指す。


 雲一つない青空に暖かな太陽の日差しを浴び、爽やかな風を全身で感じる。とても気持ちが良くて爽快な気分だ。


 盛り上がった大地を上りてっぺんに辿り着く。丘の上には大きな木があり、何本も分かれた枝が木の葉を纏い日陰を作っている。


 下から見上げると木の葉の隙間から零れる日の光がなんだか美しく見えた。竜の姿では見えなかった風景だ。


「竜王様、あれ見てください」


 ティアマトが指さした方を向くと先程、自分たちがいた町が見えた。こうして見ると小さな町だ。


「美しい……」


 そう言った後すぐに気付いて、手で口を隠した。失言だった。


 無意識に放ったその言葉は、世界に災いをもたらす凶悪な竜からは決して出てこない言葉だ。


 あのような小さな町など幾度と無く破壊してきた。そこに存在していた命もろとも。我にとってはただの破壊の対象に過ぎない。それ以外の感情など持ち合わせていない。


 なのに……我は一体どうしてしまったのだ。考えればこんな所に来ること自体がおかしい。これではまるで人間みたいではないか。竜の矜持まで失いかけてどうする。


「わたしもそう思います」


「違う!これは我の意思ではない。我はもっと乱暴で残虐な竜だ。多くの者を苦しめ、多くの者の命を奪った。だからこんな言葉は言うはずがない!」


 自分に言い聞かせた。過去の自分を、竜であった頃の記憶を必死に思い出した。


「……わたしは竜を見たことがありません。だから竜の恐ろしさは分かりません。あなた様が竜の姿であった時のことを、わたしは知りません。でもあなた様が優しいお方であることをわたしは十分知っています。あなた様が昔そのような行動を取ったのは何か理由があるのではないですか?」


「勘違いするな!あの時お前を助ける気などなかった!利用できると思ったから一緒に行動を共にしただけだ!お前なんかどうなってもいい!我は自分の体を取り戻したいだけだ!」


 息が荒くて自分でも動揺していることが分かった。ティアマトの言葉を否定したくて、言わなくていいことまでも口走ってしまった。


「……それでもいいんです。あなた様の為になるなら。毎日同じことの繰り返しで、生きる意味なんて分からなくて、苦しかった……。息が詰まって吐き出す場所が無くて、いつしか考えることをやめました。それが当たり前だと思って奴隷だから仕方ないって……そんな時、あなた様が助けてくれた。あなた様がどう思ったとしても、わたしは救われたんです」


 ティアマトは我との距離を縮める。笑顔を作り一滴の涙が零れた。今、ティアマトがどのような感情を抱いているのか読み取ることはできなかった。


「わたしは今がすっごく幸せです。だから次はあなた様に幸せになって欲しい」


 幸せ……我にとっての幸せとは何だろうか。


 目の前の小娘が言う幸せは手を伸ばして手に入れるものではない。誰もが当然のように持っている自由だ。それを幸せだと言う。


「ティアマト、我は……」


 分からない。思えば徐々に目的を見失っていた。もとは白髪のエルフを探す旅のはずだ。そして竜の姿に戻って、復讐すると決意していた。


 元の姿に戻って怒りのままに全てを破壊したとして、それで果たして我は満足するのだろうか。


「ゆっくり考えませんか?綺麗な空を見上げながら一緒に。まずは昼食にしましょう」


 ティアマトは老婆が持たした布に包まれた木箱を開く。中には具材を挟んだパンが入っている。


 草原に座りパンを手に取り齧る。隣にいるティアマトは我に微笑みかける。


 自然溢れる風景をぼんやりと眺め、風に揺れる葉の音を耳にしながら静かに食べる。どちらも一言も話さずに。


 食べ終わった後、何も考えず体を横にした。


 そうしたいと思った。仰向けになりながら青い空を見上げる。隣にいるティアマトも我と同じように仰向けになる。


 ゆったりと緩やかに時間が流れる。心地良くて次第に目を閉じた。


『――次目覚めた時、君は生まれ変わる』


 心臓が縮み上がる感覚がして目を覚ました。目を細め口角を上げながら丸眼鏡をかけた老人がそう言っていた。


「何だ今の……」


 見覚えのない男だ、夢だろうか。それにしては嫌な感覚だ。心臓の鼓動がいつもより早い。


 先程の青い空は眠っている間に今にも雨が降りそうな分厚い雲に覆われていた。隣にいたティアマトはまだ眠っている。


「ティアマト、起きろ」


「あれ……竜王様……?」


「そろそろ帰るぞ。時期に雨が降る」


「あっはい」


 ティアマトは目を擦りながら返事する。雨が降る前に駆け足で町に戻る。


 町に戻ると真っ先に違和感を覚えた。いつもより人が多い気がする。あれは!


「竜王様あれって……」


「ああ、何で奴らがここに……」


 純白の鎧を纏った人間……騎士団!見たところ数十人はいる。我の存在に気付いたとは思えない。となると魔族の襲来の件で調べに来たといったところか。


 入口には大きな白い鳥が地べたに座り込んでいる。そして騎士団は何やら話し合っている。ここは一旦引いて身を隠すべきか。


「お、君たちこの町の子?」


 突如、背後から男に声をかけられる。背中に大剣を背負った若い男。騎士団とは身なりが違うがこいつは一体何者だ。


「はい。さっきまで遊びに行っていて今、帰ってきたところです。見ない方が多いですが何かあったのですか?」


 異変を察したティアマトは一歩前に出て、すらすらと答える。それと同時に探りを入れている。


「あーなんかさ、昨日この町に魔族が襲ってきたじゃん?だけどみんな返り討ちに合ってさー、すごい火傷負ってて、もしかしたらあの竜王でも復活したんじゃないかと騒ぎになっちゃって、調査に来たってわけ」


 男は意外にも情報を喋り出す。我が呪いの炎を使ったことが原因でここまで来たという訳か。


「それで君達さー何か知ってる?」


 男は中腰になりティアマトに顔を近づける。


「いえ、昨日はずっと家にいたので何も知りません」


「そっかー」


「それでは」


 残念そうにする男にティアマトは軽くお辞儀をして「行きましょうお兄さん」と言う。その言葉に頷き、入り口に向かう。


 今の我は子供だ。黒い炎を見せなければ、竜王と疑われることなどありえない。子供らしく堂々と家に帰ればいいだけのことだ。


 何食わぬ顔で騎士団たちの横を通り過ぎ、家に向かう。


「待て。そこの少年」


 その言葉に足を止めざるを得なかった。ポタリと空から水滴が頭に落ちる。冷たい感覚が頭部を通じて伝わる。ポタリポタリと段々水滴は雨へと変わっていく。


 振り向くしかなかった。ここで無視をすれば余計に怪しまれるからだ。


「何か用か?」


 振り返れば白髪の女が眉をひそめ疑いの目で我を見つめる。


「一度と王都で会ったな。少年」


 小僧共に寄ってたかって痛めつけられた時に、不本意ながらこの白髪の女に助けられた。


「聞いたぞ、君は王都で自分を竜王と名乗ったらしいな」


「ちょっと待ってくださいよー、団長さん。まさかあの子供が竜王だとでも?ナイナイ、ナイですってそれは」


 大剣を背負った男の言葉に耳を貸さず、白髪の女は一瞬たりとも我から視線を逃さない。周りの騎士は戸惑いを見せている。


 白髪の女と周りの騎士合わせて十一人、それと大剣を持った男。こいつら全員を相手にしてやり合うか。我の炎を以てすれば造作も無い相手だ。


 だが、力を使えば当然自分への反動もくる。ここは子供のふりをして引くのが賢い。


「あの時は少々頭を打って混乱していてな。竜王と語ったのはただの虚言だ。特に意味は無い」


「そうか。しかし、我ら騎士団は君を王都に連行する」


「な、何故ですか!お兄さんが何をしたんですか!」


 慌ててティアマトが飛び出る。


「そこの少年はエルフ様に対して暴行を行ったからだ。エルフ様に暴力を振り王都から逃亡した、十分過ぎるほどの罪だ」


 ティアマトは目を見開く。そのエルフが自分が奴隷だった頃の主だからだ。


「それって、わ、わたしの——」


「ああそうだ!我がやった!気に入らないから殴った。それだけだ」


 腹から声を出し、ティアマトの声をかき消した。


 ティアマトのことだ。我がなんと言おうと「わたしのせいだ」と言い自分を責めるだろう。だが今はそれを言うべきではない。


「では来てもらおう。拘束しろ」


 白髪の女は周りにいる騎士に指示する。騎士は頷き我に「両手を出せ」と命令する。命令通り両手を出す。鉄製の手枷を我の両手に嵌める。


「そこの少女、君は少年とどういった関係だ?」


「この娘は何の関係もないこの町の子供だ。親切心故に我に優しくしてくれていただけだ」


「そうか。なら連れていくのは君だけだな」


「行くぞ」と野太い声で男の騎士は我の背中を強く押し出す。足を一歩前に踏み出す。


「行ってはダメです!」


 ティアマトは我に駆け寄るが、それを騎士は跳ね除ける。倒れても行ってはダメだと何度も叫ぶ。


 この世界でエルフに逆らった者がどのような末路を辿るのか知っているからだ。


 辿り着く先は皆死罪。それがこの世界のルールだ。


 だが、心配するなティアマト。このようなところで終わる我ではない。


「朝食、美味かったぞ。世話になったな」


 そう言い残して我はティアマトの前を去る。そこまで泣き叫ぶ必要は無い。全く、感情が忙しい奴だ。朝に言ったであろう、我は死なないと。


「仕方ない。小僧前に乗れ」


 男の騎士は我の襟を掴み無理やり鳥の上に乗せる。手枷があるので我に操縦することはできない。よって、男が我の後ろに乗り手綱を掴み操縦する。


 騎士団は列を作り、次々と町を出る。ティアマトの言葉にならない泣き叫ぶ声を背に、怪鳥は前進する。少しの雨が降る中、風を切り王都へと向かい出した。

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