第6話

 次の日――


 朝になり、我、小娘、老婆の三人でテーブルに座り、朝食を取る。パンと呼ばれるものを食す。うむ、これもうまい。


「そういえば、まだあんたたちの名前を聞いていなかったねぇ。私の名前はメリー。メリーおばさんでも、おばあちゃんでもなんでもいいわよ」


「我の名はりゅう、いや、エンディグスだ」


「リュウイヤ・エディスちゃんね」


「違うぞ!」


 全然違うのだが。誰だリュウイヤ・エディスって。あとちゃんづけって。


「ちょっとおばあちゃんには言いにくい名前ねえ。面倒だしリュウちゃんでいいかしら」


 全然聞いてないぞ、この老婆!


「それで、あなたはなんて言うの?」


「わたしは……実は名前がないです。親とは一度も会ったことなくて」


 小娘は奴隷だ。考えてみれば、名前が無いことなど不思議なことではない。小娘は申し訳なさそうにして、必死に作り笑いを浮かべる。全く似合わない笑顔だ。


「そう……困ったわねえ。なんて呼ぼうかしら」


「ティアマトだ。小娘、今日からお前の名はティアマトだ」


「てぃ、あまと?」


 小娘は驚いた様子で我を見つめる。


「もうちょっと可愛い名前がいいんじゃないの?タャマトって変よ」


 老婆、少し黙っててくれ。名前違うし、どんな発音してんだ。


「お前は常に気弱でおどおどしている。もっと堂々と強くあるべきだ。ティアマトは傲慢で自分本位の竜だ。お前にはちょうどいい名だろ」


「はい!わたしは今日からティアマトです!」


 目を見開き小娘は大いに喜ぶ。子供は子供らしく笑うのが一番だ。


 *****


 ここは広範囲に樹木が茂る神隠しの樹海。この樹海に入った者は、必ず失踪を遂げることから神隠しの樹海と呼ばれ、近寄る者はほとんどいない。


 必ず失踪を遂げる理由は神隠しなどではなく、彼らが関係していた。


 樹海に入った者は全員、彼らの手によって亡き者にさてきた。


 他種族より抜きん出た身体能力を持ち額に角が生えている種族、魔族だ。


 樹海の奥底には魔族の拠点があった。


 魔族達は集う。樹木で作れた貧相な王座に座るルブードに敬意を表し、頭を垂れる。


「調査によるとコールと呼ばれる町では、若者が少なく年を取った人間が多いみたいです。そして何よりエルフがいません。エルフがいないとなると騎士団の勢力も微小なものだと思われます。宣戦布告の狼煙を上げるには適した町かと思いますが、どうなされますか?ルブード様」


「そうかご苦労であった、シドー。我々魔族は、エルフの支配下にあり長い間虐げられてきた。多くの同胞達が屈辱を味わい、矜持を踏みにじられてきた。世界の常識を覆す時が来た。エルフ共を引きずりおろし、我等、魔族が全ての種族のおさとなる」


「ではついに……」


「ああ、全面戦争だ。シドー、初戦はお前に任せる」


 *****


「あったわよ!リュウちゃん、ティーちゃん!よかったわ、娘の服がまだあって」


 朝食後、老婆は我とティアマトを連れて、二階の部屋にある物入れを漁っている。


 飛び散らかるのは子供用の服ばかりだ。ボロボロの服を着ている我らを見て、替えになる服を探しているようだ。ティーちゃんとは、ティアマトの名前だ。


 全く、本来のティアマトが聞いたら激怒するに違いない。本来のか……。 


「これティーちゃんのね!」 


「わあ!ありがとうございます!」


 老婆から黄色い服を受け取り、ティアマトは宝物のように抱きしめている。


「これはリュウちゃんのね」


 渡されたのは紺色のくすんだ服でところどころ小さな穴が開いている。


「何故、我の服は劣化しているのだ」


「それは長い間放置していたからよ」


「ティアマトの服と状態が違いすぎるだろ」


「仕方ないわね……ちょっと待ってて」


 そう言って老婆は物入れの奥の方に手を突っ込み、別の服を探す。


「別のがあったわよ!はいこれ」


 老婆が差し出してきたのは、ピンク色の服だった。竜である我にでも分かる。たぶん、これは少年が着る服ではない。


「何故、女物の服なのだ!」


「男の子が着る用の服はさっきの紺色の服しかないみたいね」


「な、なんだと……まあいい。外見などなんでもいい。臭くないだけマシだ」


 仕方なく服を受け取る。放置していたとしても、劣化しすぎているように感じるのだが。とりあえず着替えようと服を脱ごうとする。


「その前にまず、体を洗わないとダメよ。二人共匂うもの」


 次に連れて来られたのは、水浴び場だ。竜と同じで人間も体を清めるみたいだ。


 水が入った桶に布を入れて、それを取り出して強く絞る。これで体を拭き汚れを取るようだ。


 老婆に渡された布で上半身を拭く。体がひんやりとして気持ちが良い。


 次に下半身に身に着けている衣類を脱ぐ。すると、ティアマトは慌てて、水洗い場を飛び出す。ただ、素っ裸になっただけなのだが。


「リュウちゃん、年頃の女の子にそれはダメよ」


「い、いえ。いきなりだったので驚いただけです!そ、そうだ、メリーさん、何か切らしてるものないですか?」


「そうねえ。スープに使ったカブとかネギのお野菜が無いわねえ」


「じゃあ、わたし、行ってきます!」


 ティアマトは勢いよく、家を飛び出した。金も持たずに。


 老婆が「あんたのせい」と言わんばかりの冷ややかな目を我に向ける。


「我が悪いのか?納得いかぬぞ」


「お金忘れていったしねえ。野菜も意外に重いからティーちゃん大変ねえ」


 そしてまたジっーと見てくる。野菜なんて大して重くないだろ。

 その目はずっと続く。


「くっ!わかった、追いかけに行く」


「やっぱりお兄ちゃんね!」


「お兄ちゃんじゃない!」


 サッと体を洗い新しい服に着替えて、老婆から金を受け取りティアマトを追いかける。


 そもそも野菜がどこに売っているのかアイツ知っているのか?歩き回るが、なかなかティアマトが見つからない。


 仕方ないので近くにいる男に背後から聞く。


「おい、そこの人間。ここらで黒頭巾を被った少女を見なかったか?」


「残念です。その質問には答えられません。だって私、人間じゃありませんから」


「は?」


 男は振り返りニヤリと笑う。その瞬間、男は目にも止まらぬ速さで我の腹部に蹴りを入れる。


 蹴りの威力に我の体は簡単に吹き飛ばされる。建物に体を強く打ち付ける。


 明らかに人の力を逸脱している。この力、もしや……男の額を見ると魔族特有の角が生えている。


「魔族が何故ここに……」


「申し遅れました。私の名はシドーと申します。今日からこの場所は我ら、魔族の領土となります故、あなたたち人間には死んでもらいます」


 なるほどな、これまで魔族の立ち位置が不明だったが今の発言で大体察することができる。


 人間共はエルフに服従していたが、魔族共はまだ諦めていない。エルフにとって人間共は所有物のようなものだ。その所有物に対して攻撃を仕掛けるということは、エルフと敵対の意志があると言っているようなものだ。


「ハハッ暴力、強奪、圧制、力で全て意のままににする。お前らも何も変わっていないな」


 男は我の首を掴み、締め付けながら持ち上げる。


「知ったような口を聞くなクソガキが。この力は我ら魔族の誇りだ。この力は奪う力ではない。我ら魔族の矜持を守る、救済の力だ」


 徐々に締め付ける力が強くなる。息が苦しい、意識が遠のく。


「おい!そこで何をしている!」


 鎧を着た人間が複数人来る。騎士団が来て男の手が首から離れる。


 締め付けられた首が開放されて強くせる。


「あー。来てしまいましたか。でも想定内です」


 騎士団が来たというのに、この余裕そうな顔はなんだ。


 想定内……ハッと気づいた時には遅かった。考えてみれば、敵の地に乗り込むのに一人で来る阿呆はいない。


 騎士たちは倒れて、背後を狙った魔族たちが現れる。背後にいた魔族は四人、目の前にいる魔族と合わせて五人だ。


「可笑しいですね。目の前にいる我ら魔族に対して畏怖を抱かない。子供なのに。君の前にいる者は君の命を一瞬で奪うことができるんですよ?君、一体なんなんですか?」 


「やっぱりな。お前らは、奪うことしか頭にない能無しだ。お前らの言う救いは、魔族だけしか救われない。それは他種族から見れば奪う行為と何ら変わりない」


「今更何を、我らが望む世界に他種族は不必要です」


 男は足を高く上げ振り下ろす。たったその振り下ろしに我の体は容易く、地面に打ち付けられる。魔族の身体能力は他種族と比べて格段に跳び抜けている。


 体を何度も何度も踏みつけられる。抵抗したくても力の差がありすぎて抗うことができない。


 額から血が垂れる。頭が痛く段々と目の焦点が合わなくなる。


 我は無力だ。竜の力があれば、こんな奴ら一瞬で燃やし尽くせるのに。


「竜王様!」


 我を竜王などと言う者は一人しかいない。


「来るな!ティアマト!」


「捕らえろ」


 仲間の魔族がティアマトを捕まえる。


「うるせえ!折るぞ!」


「痛い!」


 魔族はティアマトの腕を掴み、握る力を強める。ティアマトの力ではどうすることもできない。魔族の握力なら子供の腕など簡単に握り潰せる。


 ティアマトの悲痛の声が聞こえる。過去の惨劇が脳裏に浮かぶ。


 やめろ、やめろ、やめろ――


「やめろおおおおお!!」


 叫んだ瞬間、体が熱くなるの感じた。心の奥底で灯った、僅かな火種が徐々に大きくなり、体全体に広がっていくこの感覚。


 熱いはずだが、どこか懐かしいこの熱は。


「熱い熱い熱い!」


 男の足元に火が移り、あまりの熱さに転がり悶えている。


 男の反応を見て、理解した。戻ったのだ我の竜としての力が。


「その熱は永遠に冷まない。負った火傷は永遠に完治しない。呪いの炎で永遠に苦しめ!」


「何だあの黒い炎……まるであの炎は……」


「種族の頂点に立つのはエルフでも魔族でもない。竜だ!我の名は竜王エンディングス!貴様らが恐れた全ての種族の悪!世界最悪の竜だ!」


「嘘だ!あの邪竜はとっくの昔に滅んだはずだ!目の前にいるのは人間だぞ!」


「試してみるか?」


 我はゆっくりと残りの魔族共に近づき、手の平の黒き炎をちらつかせる。


 口では強がっていても、貴様らの体にはびっしりと染み付いているはずだ。呪いの炎に対する恐怖が。


「これ以上近づいたらこの娘を殺すぞ!」


 ティアマトを人質に取ったか、面倒だな。


「なら、ここに転がっているシドーとやらと交換でどうだ?貴様らも見たくないだろ?同族が丸焦げになる姿など。それにその娘が無事であれば、お前らに危害は加えるつもりはない」


「ほ、ほんとだな?わかった。同時に手放すぞ」


 魔族はティアマトを手放し、我は転がるシドーを蹴飛ばした。


 ティアマトは駆け足でこちらに逃げる。魔族はすぐさま、シドーを担ぎ背を向けて立ち去ろうとする。


「すみません!足手まといになってしまって……」


「心配ない。我から距離を取って後ろに下がっておれ」


 久しぶりで威力の調整はできないが、ティアマトが後ろにいるなら遠慮なく放てる。


 右手に膨大な熱の量を込める。


「灰塵と化せ」


 手から放たれたその黒い炎は、まるで意思を持った生物であるかのように奴ら魔族共の体を喰らった。焼かれる魔族共の断末魔が町中に響く。


「ダマしたなァァァァ!!ひきょうものがァァァァ!」


「人質を取った貴様らがそれを言うな。フハハハハ、竜王エンディグス、復活!あれ……?」


 急に全身の力が入らなくなり、そのまま倒れる。立ち上がることはおろか手足の指先すら思ったように動かせない。


「竜王様大丈夫ですか!」


 力を使ったことの反動ってことか……視界がぼやけて意識が朦朧とする。


「心配しすぎだ」そう言ってやりたいがうまく口が動かない。


 我の名を必死に呼びながら、今にも泣きそうな顔のティアマトが最後に映って目を閉じた。


 *****


『あなたはとっても優しいなのに、見た目が怖いからみんなから恐れられてる』


 そう言ったのは人間の女だった。まだ嫁入り前の若い女。


 鮮やかな黄色い髪に肌が白く小柄で体が細くて、丈夫な造りをしていなかった。


 我がひとたび吹けば簡単に吹き飛びそうな体だった。


 そんな人間が我に対して憐れんだ。

 我は大いに笑った。何百年生きてきて、格下の人間に憐れまれるとは思いもしなかったからだ。


 人間はいつも我を恐怖の対象としか見ていなかった。それが正しくて正常だ。


 だが、我が笑ってもあの女は笑わずにただ悲しそうに我を見つめていた。


 全くおかしな人間だ。だから我は――

 全ての種族を抹殺しようと思ったのだ。


「――いらぬ夢だな……人間になったせいか」


 目を覚ませば、ベッドの上にいた。あの後、意識を失って眠っていたようだ。


 ティアマトはベッドの端に頭を乗せてぐっすりと眠っている。眠りながらも、我の手を握り締めている。


 外は暗くなり、ロウソクの光だけが部屋を灯している。長い間、気を失っていたみたいだ。


 ティアマトの顔を見ると涙で目が赤く腫れている。


 無償に喉が渇く。今でも体の熱が消えない。

 右手の甲が一段と熱く感じる。

 見ると肌の色が黒く変色している。あの時、炎を放つために右手に熱を込めたからか?考えてみれば、本来の我の力を使って異常をきたさないことの方が不自然だ。我の炎は呪いの炎、その炎は全ての種族を苦しめてきた。

 当然人間もだ。


 人間の体を持ちながらこの力を使えば当然我にも反動が来る。その方が自然だ。

 息を切らしながら、一階に降りる。


 一階に降りると、椅子に座っている老婆の後ろ姿が見えた。


「老婆、水をくれ……」

「あら、リュウちゃん。お目覚めかい?」

「ちょっと待ちな」と言って、老婆は器に入った水を持ってくる。


 その水を一気に飲み干す。喉の渇きが少し収まった。


「それと私のことは老婆じゃなくてメリーおばさんね。やっぱり、おばさんは嫌だからメリーでもいいわよ」


「呼び方などどうでもいい。こんな夜更けに何をしていたのだ」


「これね、大切な人から貰ったものなの。これを見て昔の頃を思い出してたのよ」


 そう言って首にかけた翠色の小石を眺める。老婆はどこか懐かしそうに穏やかな眼差しでそれを見つめている。


「私の宝物だと」老婆は微笑む。しわだらけの顔が余計に目立つ。


 人間の心は分からないものだ。食べられもしない、何も役に立たない、そこらに転がっている石ころと同等のものを宝物だと言う。


「リュウちゃん、ちょっと椅子に座りなさい」


「なんだ?」


「いいから」


 仕方なく老婆の指示に従い椅子に座る。対面席に老婆も座り出す。


「むかしむかし、あるところに一人の愛らしい少女がいました」


「ちょっとまて。誰が昔話をしろと言った」


「その少女は早くに両親を亡くし、小さな村で祖父との二人暮らしを送っていました」


「おい無視するな」


 その後、老婆は長い長い昔話を語っていくのだった。目が冴えて眠れないので暇つぶしに聞くことにした。

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