第5話
——王都にて
王都の中心部にそびえ立つ城塞。女王ベネディが住まう、お城である。
綺麗な金色の髪をした女王ベネディは段上の玉座に座り、不服そうな顔をして騎士団を見下ろした。場が凍り付き、空間が張り詰める。
騎士は女王の前に跪いて頭を垂れ、上流階級のエルフはそれを見てニタニタと嗤う。
「エルフに反逆した人間はまだ見つからないのか?イトナ」
「はい、事実でございます。只今捜索中ですが、見つかったとの報告はありません」
「王都での秩序を守るのが貴様らの役目だ。破る者は生かしておけぬ。見つけ次第処刑せよ」
「はい」
女王ベネディに答えるのは白髪の騎士、騎士団団長を務めるイトナという女性だ。町で子供達に苛められている竜王エンディグスを助けた騎士だ。
反逆した人間は上半身裸の少年と聞いて、イトナは自分が助けた人間だと気付いた。
「女王陛下、私からもよろしいでしょうか?」
「よかろう、申せ」
手を挙げて進言するのは、副団長ハルバラだ。この男は騎士団の中で参謀役を務めている。
「一応申した方が良いかと思いまして。調べによると反逆した人間は自分のことをこう名乗っていたみたいです。竜王エンディグスと」
ハルバラが発言すると女王ベネディと上流階級のエルフ達の高笑いが王室を包み込む。
「ははっ!笑わすなハルバラ!貴様はあの竜王エンディグスが復活したとでも申すのか?等の昔に滅んだ竜が人間にか?狂人の戯言など放っとおけ」
「これはこれは、要らぬ発言でしたか」
「竜の時代は救世主様の尊き犠牲によって終わりを告げた。今は我らエルフの時代だ!」
女王は立ち上がり目一杯手を広げた。上流階級のエルフは満面の笑みで女王に拍手を送る。
***
「——それから我は災厄を呼ぶ竜、邪竜、終末を招く竜などと人間、エルフ、魔族に恐れられたものだ。勇者、魔王も我の前には赤子同然、一瞬で決着がついた。もちろん、我の勝ちだ。あの頃の我は無敵であった。どうだ、貴様も我を恐れるか?」
と、横にいる小娘に聞いてみたが、返事が返ってこない。ゆっくりと首を縦に揺らしながら寝かかっている。途中から相槌が無いと思っていたら、竜王たる我の横で居眠りとは中々に肝が据わっているではないか。
ふと欠伸が出る。しばらくの間こうして馬車に揺られているが、一向に着かない。段々と瞼が重く圧し掛かる。
人間の体になってから活動限界時間が変化した。元の姿は三日に一度の睡眠で足りたが、この姿は一日が限界だ。
少し走りすぎて疲れてしまった。そして、迫る睡魔に耐えきれなくて目を閉じた。
「あの、竜王様、起きてください!」
体を揺さぶられ、耳元で強く呼びかけられる。
瞼を動かし、ぼやけた視界に映ったのは小娘の困り顔であった。いつの間にか眠っていたようだ。
「何をそんなに慌てているのだ?」
「先程から馬車が止まったままです。もしかしたら町に着いたかもしれません」
中から外の様子は伺えない。荷台から降りるしかないか。
「様子を見る」と言って我は慎重に荷台から降りる。操縦士に見つかったらまた面倒なことになるのは目に見えている。
外に出ると、先程の青空は橙色の空へと変わりそこには町があった。前の町と比べると建物の高さが低く、数も少ない。また人の通りも少ない。何の特徴も無く『素朴』という言葉が似合う町だ。
情報収集には向いてないが、人の目が少ない分大胆に動くことができる。
立ち尽くしている我を気にして小娘も出てくる。
「わあ、すごい……」
小娘は目を見開いているが、何がすごいのか全く分からん。いや我と人間では感性が違うのは当たり前か。
「ちょっと君たち、そこにいたら仕事できないから向こう行っててくれる?」
馬車の操縦士に見つかってしまった。まずいと思ったが、どうやら我らのことをこの町の子供と勘違いしているようだ。
「す、すみません!行きましょう、りゅうお、お兄さん!」
「あ、ああ」
小娘は我の手を取り、逃げるようにその場を去る。お兄さん……?
馬車から離れるとか小娘はすぐに先程の呼び名について謝る。
「すみません!竜王様!様付けでお呼びすると、怪しまれるかと思いまして……」
「面倒事を避けるに越したことはない、よくやった。あと、お前は頭を下げすぎだ。もっと堂々としていろ」
小娘は「はい!」と嬉しそうに言う。嬉しくなるようなことは言っていないが、まあいいか。
それから小娘と一緒に町を回り出した。いきなり情報取集をするのは危険だと小娘が言ったのでとりあえずこの町の様子を見ることにした。
小娘の言いなりになるのは少し癪だが、我はこの世界については無知だ。多少は小娘の意見を聞く必要がある。
歩き回り気付いたことがいくつかあった。まず、この町にはエルフがいないということだ。
まだ、見かけていないだけかもしれないが、今のところ、通行人は皆人間ばかりだ。次に、歩いている人間は年寄りが多く、若者が少ない。この町に活気が無いのはそれが理由だろう。
それなのに、我の横にいる小娘は楽しそうにして、目を輝かせている。
「自由になったことがそんなに幸福か?」
「それもありますけど、それ以上にこうして外の世界を見られることが嬉しいんです。今まで同じ景色ばかりだったので」
ずっと閉鎖された環境下に置かれていたせいか、小娘の目には当たり前であることが、全て新鮮に映し出されるのだ。人並の生活が小娘にとっては最高の幸福となるのだ。
こんな小さな子供にそう思わさせ、それが当たり前になっているこの世界は異常で気色が悪い。いや、今に始まったことではないか。
この世界の根本にあるのは、憎しみや恨みと妬みで、今まで争いを起こして発展してきたのだから。
町の様子を見回り会えると、すっかり外は暗くなっていた。
突如「ぐぅぅぅ~!」と音が鳴る。
「わ、わたしじゃありません!お腹なんかこれっぽちも減ってないので大丈夫です!」
「いや、我だ」
「そ、そうですか」
慌てる小娘は安心したのか胸をなでおろす。何故、腹から音が鳴るのかは分からないが、小娘の言う通り腹が減った。朝から何も食っていないから当然か。
「仕方ない、そこらの人間から貰うしかないか」
目の前に人間の男が通りかかる。
「おい、そこの男、食い物よこせ」
「ダメですよ!そんなことしたまた逃げるはめになります!」
小娘は必死に我の服の裾を掴んで止める。
うん?待てよ?今の我は無一文で食い物を買うという行為ができない。奴隷であった娘も無一文だ。無理やり奪えば追われる身になる。
しかし、金がない。生命を維持するには食物が必要不可欠だ。つまり……これって終わってないか?
「無理だー!やはり人間を装うなど無理だ!我は竜だ!暴虐の限りを尽くし身勝手に生きる!よって今の男から金と食い物を奪う!」
「ちょっと待ってください!落ち着いてください!竜王様!」
「落ち着いていられるか!無一文同士が生きられるほどこの世は甘くないのだ!」
男から強奪したい我とそれを引き止める小娘。どちらも一歩も引かなかった。
すると、白髪の老婆が我らに話しかけてくる。
「おや、あんたたち何してるんだい?」
「「あっ……」」
「もう夜だよ、親御さんは?近くにいないのかい?」
そう言う老婆に適当な返答が思いつかない。小娘の方に目をやるが、急なことで固まっている。少しの時間、沈黙が流れ出す。
老婆は我と小娘の顔をじっーと覗き込み、
「なるほど、そういうことかい」と何か納得したような顔をした。
「何かあったみたいだね。よかったら話でも聞くよ。付いてきな」
「は?」
「え?」
思いがけない言葉に我と小娘は驚く。老婆は自分の家の方へと歩き出す。
「どうします?竜王様?勝手に話進んじゃいましたけど」
「怪しすぎる。あれは罠だ。あの老婆、何か企んでいるに違いない」
「あっ、そうだ。暖かいスープを作ったんだった。飲んでいきな」
「行くぞ!小娘!」
「はい!」
こうして、我と小娘は老婆の後を付いていくことになった。明らかに怪しい誘いだが、空腹には勝ってなかった。
付いて行った先は普通の家だった。
家の中に入ると明かりを灯し、テーブルに座るように指示される。
テーブルの真ん中には、ロウソクが僅かな光を灯している。
「空腹に勝てずに付いてきてしまったが、大丈夫なのか……」
今の我は、貧弱な少年だ。あの老婆が騎士団の手先だったらそれこそ終わりだ。
「竜王様、なんだか昔の生活みたいでワクワクしますね」
「お前は何でもかんでも楽しそうでいいな!」
「はい、どうぞ」と老婆はスープという液体が入った皿をテーブルに出す。毒でも入ってるのではないかと疑いたくなるが、横目で小娘を見ると、美味しそうに飲んでいる。
もうこの老婆を信用仕切っているのか!だが……一口だけ飲んでみるか。恐る恐る液体を口に運ぶ。
う、うまい……。何だこのほんのり甘くて優しい味は。思えば今まで、食してきたものは獣の肉や木の実のような単調な味ばかり。このような複雑な味は感じたことがない。
「おいしいかい。長い時間お野菜を煮た甲斐があったよ」
老婆は勢いよく食べる我らを見て優しく微笑んだ。
「ところで、あんた達は兄妹かい?」
「ゴホッゴホッ、違います!」
小娘はせき込み、強く否定する。
「じゃあ、お友達?親御さんは?」
「えっと……お友達というか、そのなんというか……」
言葉に詰まるのは仕方ない。我らの関係性を全て伝えていいのか小娘は迷っている。
「我らは兄妹などではない。生まれた時から親がいない孤児だ。彷徨ううちに、この町に辿り着いた」
我と小娘の生い立ちと関係性については曖昧にしておいた。会ってすぐの人間を信用し過ぎてはならない。それに我が竜であると言っても信じないだろうからな。
「そうかい。それは大変だったねえ。行くところが無いなら、ここに留まっていくかい?」
その言葉が理解できなかった。出会った直後の人間に何故そこまで優しくするのか、分からなかった。
「何故、そこまで助けようとする!」
「なんだかあんたたちを見ると、孫の姿を思い出すんだよ。娘と孫は王都で暮らしていてねえ、主人を亡くして私はこの家で一人になった。だったら、食べ物と住む場所に困っている、子供を助けたいと思うのはそんなに不思議なことかい?」
老婆は目を細めてまたも優しく微笑む。老婆の感情はよく分からない。
「二階の一室に娘の部屋があるからそこを使いな」
老婆の提案に乗り、その日は寝泊まることにした。食事も寝床も確保できたのだから、運がいい。こんなにツイていることもそうそうない。
「良かったですね。こんなにも親切な人がいて」
「ああ、そうだな」
だけど、人の優しさに触れると胸がざわつく。
「ベッドは一つしかないので竜王様が寝てください」
「床で寝ると体に障る。お前も寝ろ」
小娘が使えなくなったら我が困るからな。ベッドの幅は子供二人が入っても十分に余裕がある。何かに躊躇いながらも小娘はベッドに入る。
ベッドに寝そべり瞼を閉じる。このベッドというものは良いものだ。体を柔らかいものが包み込み、疲れがどっと出る感じだ。
『人間もエルフも魔族もみんなだよ。みんなが仲良くなればいいじゃん!』
現実と眠りの狭間で、大昔に聞いた言葉を思い出す。あれは、あり得ない夢物語を聞かされた時だった。記憶の片隅にあるその言葉は、この世で最もバカで愚かな人間が言った言葉だった。
「こんなに幸せを与えられていいのかな……これではまるで本当の兄妹みたい……」
小娘はなにやら呟いていたが、意識が落ちかかっていてうまく聞こえなかった。
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