第3話

大人ならば子供を導くことは当然であろう。もっとも、大人が口にする注意は当人達が出来ていないことなのだが。例えば、我々教師が生徒に対し遅刻するなと言うのは、職員会議に遅れてくる大人がいるからで、教室で自由に席に着けと言われた際、教卓の目の前を嫌う生徒に対しやる気はあるのかと問うのは、教師も会議となれば後方の席を好むからである。その他にも、教師は人生の教訓になり得る物語を授けるのだが、どうも高校生は理解を示さない。しかし、それは仕方のないことである。大人というのは、様々な失敗や成功を繰り返し、高校生とは経験値が違うのだから。大人が語った状況に置かれて初めて、若者は先人の偉大さを知るのだ。私の場合、「自分の価値観を見つけろ」ということを語る。高校生というのは、進学や就職といった人生を左右する決定を控え、理想像と実際の自分とのギャップに絶望するものだ。しかし、理想像というのはいつも美化されすぎていて、まともに追いかける方がおかしい。それに気付けたならば、きっと心が軽くなり、絶望の底で腐敗した自分から抜け出せることだろう。自分の価値観が自分の幸福を形作り、この段階を踏んでいなければ自己実現はあり得ない。今一度、輝く未来を望む若者に言おう。己の価値観を見つけなさい。どんな苦境でも腐らずに。

 

 光あれ。

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希望溢れる未来 あるいは涙に濡れる今 まさき @masak-0528

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