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 それからもタイチとクミ、二人の会話は弾んでいたがクミの住む棟の前にたどり着いたので終わりを迎えた。

 タイチとクミが住む団地は茨北中学校の後門を出ればすぐ目の前にあった。

 タイチの住む棟はもう少し先にあるので、自然とクミの事を送れて助かっていた。

 位置関係が逆だった場合、タイチには家まで送るよなどと口に出す勇気は無かった。


「もうこんな時間になっちゃったし、走って帰るのかと覚悟してたよ」


 別れの挨拶を、と言い出す空気になったがタイチはもう少し話していたいという気持ちを抑えきれずにいた。

 連絡先を交換して帰宅後も話せる機会を作ればいいだけなのだけど、それを聞きだす勇気は持てず、でも自分のワガママを抑える意志も無かった。


「うん、こんな時間ならもう怒られちゃうの変わらないしね。お喋り、楽しかったし」


 腕時計をチラッと見たあとクミは微笑みながらそう言った。

 

「あ、うん、俺も楽しかったよ。あ、でも、やっぱり怒られるんだな」


 嬉しさと申し訳なさが同時に過る。

 タイチはやっぱり気楽に連絡先を聞ける立場じゃないなと反省する。

 タイチは後頭部を指で掻いた。

 クミが目の前に立っていなければ、自分で自分の頭を叩いていたところだ。


「あ、でも、その怒られるって言っても叩かれたりとかそういうのじゃないんだよ。んー、何て言うのかな、しっかりしなさい、というか、そういう感じの怒り方?」

「そこまで考えてなかったけど、でもなんか、怒られちゃうなら、ごめんって、言うか、悪かったなって、言うか・・・・・・」

「もう、謝らないでよ。私、楽しかったんだって。射場君も楽しかったって言ってくれたでしょ、それでいいじゃない」


 タイチは迷いながら、そうだな、と頷いた。

 とても楽しかった、とても嬉しかった。

 それでいて、それはフェアなものじゃない気もしていた。

 クミがどう言葉を費やしてくれても、タイチは自分のワガママを責めずにはいられなかった。

 責めて、そしてそれを許してしまう部分がまだ心に残っていた。


「それじゃあ、またね」


 タイチが押し黙りクミが別れを切り出す。

 またね、と次を約束されているのに今が終わることが惜しい。

 まだ話そう、とワガママが口から出そうになりタイチは飲み込んだ。

 代わりに、またな、と精一杯の挨拶を口にした。

 いちいち大袈裟なんだよ、とアツシの声が聞こえた気がして頭を振った。


「射場君?」

「あ、ごめん、何でもない。今日も楽しかったよ、高塚。また、話そうな」


 幻聴にタイチは冷静さを取り戻して、なるべくスマートに挨拶を済まそうと振る舞った。

 タイチの様子に戸惑いを浮かべていたクミは、そうだね、と微笑んで見せて振り返り自宅へと帰っていった。


 クミの姿を暫く見送る。

 団地の階段を登っていく姿が見えて、あの夏の幼いクミの姿が重なった。

 もう十一月がすぐそこだと言うのに、蝉の鳴く音が耳に鮮明に聴こえた。

 いつから好きなんだろう、とふと思い浮かんだ。

 あの夏の日からなのか、それとも──。


 小学生の頃に、グラウンドで夕日を背にして頬笑んでる様に見えたクミの姿を思い出した。

 まだろくに話したことが無かった物静かなクラスメイトが、放課後に学校に残っているのが珍しかった。

 独りで、グラウンドの端に設置されたブランコに乗っていた。

 タイチはクミのことに気づいていたが、夏の事故のことで気軽に声をかけづらい存在になっていたので無視することにして友人達とのサッカーに集中していた。

 集中していた、といっても人数合わせのゴールキーパーを任されていたタイチはボールの行方を目で追いかけるしかやることがなくて大抵は暇だった。

 たまにやって来たボールをここぞとばかりに飛び込んだりして受け止めてたので服は土で汚れていたが、参加しているというのを実感するために大袈裟にやっていただけなので大した活躍はしていなかった。

 アツシを誘うついでに誘われた。

 ボールを目で追いかけるだけのタイチの頭にネガティブな考えが過った瞬間、決めた範囲の外にボールが大きく飛んでいった。

 俺が取ってくるよ、とタイチは手を挙げて走りだす。

 サッカーボールはブランコの方に飛んでいった。

 タイチは誰かに当たらないかと慌てて駆け寄った。

 無視することにしたクミがそこに座っていた。

 ブランコを漕ぐこともなくただ座っていた。

 その時、タイチは何と声をかけたか覚えてはいなかった。

 声をかけずにいたのかもしれない。

 ただ、ボールを拾い上げるタイチに対して笑う印象の無いクミが微笑んだような気がした。

 それはあの夏に見た表情とはまったく別のものだった。

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