15

「あ、もうこんな時間。私、家の事あるから帰るね」


 腕時計を確認してクミが慌てて手を振ったので、タイチも、ああ、と返事をして手を振り返した。

 クミはそれを確認すると、自宅に向かって走って帰っていった。


 自分も早いところ帰らないと洗濯が待っている。

 そう思い、タイチが数歩先の自宅がある棟に足を向けた時だった。


「今の、高塚クミさんだよね」


 声をかけられてタイチが振り返ると、そこにはだらしない背広姿の男が立っていた。

 髪は整っておらず、シャツもよれよれ。

 顎のラインに無精髭が目立つ。

 頬は痩けていて、大きめのサイズなのかだらしなく着崩れた背広からも想像できる様に身体の線は細い。

 肌は不健康な白さで、手の甲には血管の筋が浮かび上がっている。

 左肩に重そうにショルダーバッグをぶら下げていて、右肩にはカメラがぶら下がっていた。


「……誰ですか、あなた?」


 関わりあいたく無かったが、まったく無視するわけにもいかない相手だ。

 タイチは、なぜかそう思えて男に聞いてしまった。


「ああ、怪しいヤツじゃないんだ。ちょっと調べ物をしていてね」

「調べ物?」

「そ、調べ物」


 男は頷くと、背広の内ポケットから名刺を取り出した。


「はい、これお近づきの印に」


 タイチは、それを素直に受け取り手渡された名刺を見る。


 フリーライター、吹田すいたマコト。


「フリーライター?」

「そ、フリーのライター。週刊誌とか新聞で小さな記事書かしてもらってる、しがないフリーライター」


 吹田は、ニヤリ、と口を歪ませて笑ったがタイチにはそれが友好的なモノには見えなかった。


「高塚の事、調べてるんですか?」

「君、鋭いね。ライターになる気ある?」


 吹田はまた、ニヤリ、と口を歪ませて笑ってタイチを指差した。

 タイチは何も言わず、首を横に振った。


「そ、勿体無い。いいライターになれそうなのに」

「いいライター?」

「その何事についても疑問を抱く姿勢。人を疑うような視線。まさに、ライターに適した素質だ」


 そう言うと、吹田はタイチの後方を窺うように伸びをする。

 タイチは振り向かずとも、そちらに何があるのか、誰がいたのか、すぐにわかった。

 もう家についてその姿は無いであろう、高塚クミだ。


「……彼女の何を調べてるんですか?」

「ん、気になるかい?」

「呼び止められたんで、気にはなりますよ」

「企業秘密って感じなんだが、ま、いいか」


 そう言うと、吹田は伸びを止めてタイチに視線を向けてきた。

 妙な緊張感が漂う。


「彼女のお父さんが亡くなった事件、知ってるかな?」


 吹田の言葉に、タイチは嫌なモノをはっきりと感じた。

 ええ、と返事をしたもののこの先の吹田の言葉は聞きたくはなかった。

 吹田は、確実に、高塚クミを苦しめる。

 そんな確信を、タイチははっきりと感じたからだ。


「俺は、その事件について調べてるんだ」

「なぜ、調べる必要が? 不運な事故死だと聞いてますが?」

「ふぅん、結構知ってるもんなんだね。あの事件、結構有名?」


 そんな質問はいい、僕の質問に答えろ。

 タイチは、そう言ってやりたかったが必死に抑えた。


「ま、ここまで話しちゃったから言っちゃうけど、俺はあの事件、事故なんかじゃないと思ってるんだよ。って企業秘密もくそも無いな」


 何を言ってるんだ、コイツ。

 何を言ってるんだ、コイツ。

 何を言ってるんだ、コイツ。


「あの日さ、俺も偶然野次馬に混ざってたわけ。あ、昔俺もこの団地に住んでたんだけどね。それで、あの日の事はよく憶えてるんだ、夏の暑い日だった」


 タイチの脳裏に、あの日のサイレンが鳴り響く。


「救急車が駆けつけて、奥さんボロ泣きだったな。泣き崩れるってやつだ。んで、その横に彼女は立っていた。彼女、そう高塚クミだ」


 タイチもその日、クミの姿を見た。

 野次馬の大人たちの足を掻き分けて、クミの姿を見た。

 あの日の、クミは。


「そうだなぁ、あの時の彼女は、ただ、茫然と。けれど、冷淡に。小学生の表情とは思えないほどだった。だから、俺はずっとそれが気がかりだった」

「気がかり?」

「そ、気がかりだったんだよ。頭のどっかでこれは単なる事故じゃなさそうだって。俺のジャーナリズムが警告を発してる。疑え、ってな」


 吹田の言葉に、タイチは息を飲んだ。

 そう、目の前の男が言っている事は一つだ。


 高塚クミは、父親を殺した。


 そんな馬鹿な事があるはずもない。

 そんな馬鹿な事を疑う余地もない。


 この男は、単に高塚クミのあの忌まわしい事件を面白可笑しく記事にしたいだけじゃないか。


「あ、ちょっと話過ぎだな俺。じゃあ今日はこの辺で。また近いうちに会うかもしれないから、そん時は情報よろしく。あ、名刺に連絡先とかメールアドレスも載ってるしそっちに連絡くれてもいいよ」


 それじゃあ、と言うと吹田は足早にタイチの前から去っていった。


 タイチは、名刺を握りしめ考え込んだ。


 あの吹田という男の事。

 高塚クミの事件の事。

 高塚クミの今後の事。

 自分に何ができるのか。

 自分は何をしたいのか。


「タイチ、何してるのそんなところで?」


 姉のアキの声がして、タイチは振り向いた。

 アキは、買い物帰りのようだ。

 両手に買い物袋をぶら下げている。

 制服姿のままだから、学校から下校したまま買い物に行ったのだろう。


「……何も、ないよ」


 タイチは、とりあえずそう答えて手に持った名刺をポケットに押し込んだ。


「洗濯は終わった?」

「俺も今帰ってきたところだから、まだだよ」

「今帰ってきたって、下校時間だいぶ過ぎてるじゃない」

「文化祭の準備が忙しいんだよ」


 ふぅん、とアキは返事をした。

 姉のアキには少々の嘘は簡単に見破られるのはわかっていたが、タイチは吹田の事は絶対に言わないつもりだった。


「いいから早くウチに上がろうよ。洗濯早くしないと」


 そうね、とアキが頷いたのでタイチは安堵した。

 今後の事は、部屋に戻ってから考えよう。


 自分に何ができるのか。

 自分は何がしたいのか、を。

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