入り日

灯篭

入り日

 彼は夕日で赤く染まった顔で、宝物を自慢するように声をはずませた。

「この部屋は夕方が一番暑いんですよ」

 僕たちは、お茶とお菓子が置かれたハイテーブルを挟んで向かい合うように座っている。横からは強い日差し。きっと僕の顔も彼と同じように赤く染まっているのだろう。


 久しぶりに会った彼は挨拶もそこそこに、今僕たちがいる部屋の説明を始めた。5月も始まったばかりの良く晴れた夕方、席に着いてから15分ほど経つ。額にはじわりと汗のにじむ感覚がした。


「ならなぜ、そんな部屋をこの時間に指定したの」

 不満を含んだ問いかけに、彼は待ってましたとばかりに微笑む。

「なぜって、そりゃあ…今のこの場所が一番、気持ち良くないですか?」

「いいや、汗がにじんで気持ち悪いよ」

 そう否定すると、彼はからからと笑って「ですよねー、確かに俺もそう思います」なんてのたまった。なんだこいつ。

「なんだとは失礼ですね」

 声に出ていたらしい。彼は二十をとうに過ぎた大人のくせして、唇をとがらせすねた態度をとる。僕はそれを無視して窓の外に顔を背けた。


 こういったやり取りは初めてではない。これ以上「なぜ」を続けても、「なんとなく」「そう思うから」という曖昧な返答しか返ってこないし、彼はきっとそれしか返せない。昔からだ、意味も考えずに気になったことや感じたことが口をついて出てくる。甘ったれた性格は生来のものなのだろう。だから今日のも、それだ。

 こうして二人で話す時の彼は、普段の裏がありそうななさそうな狸の仮面を外し、子供よりよっぽど率直に話をする。支離滅裂で脈絡も理屈もない話に付き合うのは、腹の探り合いよりよっぽど疲れる。ただ、それでも彼との時間は嫌いではなかった。


「もう、十年くらいですねぇ」

 先程、僕に無視されてぶつくさ言っていた彼は、ふと窓の外へ目を向けて、ぽつりとつぶやく。

「そうだね」


 僕らが出会って――深く関わるようになったのは中学3年の時だ。彼は2年生で、委員会の当番が一緒で、接点はそれだけ。卒業までのわずかな交流だと思っていたのに、気づけば今もだらだらとお茶などしている。

 彼とのこの不定期のお茶会は、時間も場所も決まってはなくて、なんとなく気が向いて、お互いの時間が空いた時に開かれる。今回の誘いは彼からだった。しかも珍しく場所と時間を指定して。こんな中途半端な時間は無理だと伝えたら、そこをなんとかとこれまた珍しく食い下がってくるものだから、こちらもやはり珍しく、わざわざ時間を空けてしまった。

 そうして呼び出されたのは、40帖ほどの広さで、黒を基調としたシックな雰囲気の部屋だった。シンプルだが一目見て高価だとわかる調度品が並べられている。部屋へ入ると、その奥の窓際に、これまた高級だとわかるシャドーストライプのスーツをまとって、一人菓子を頬張る男がいた。

 僕が二脚しかない椅子の一つに腰を掛ければ、「お久しぶりです!」なんて昔と変わらない、けれど最近見なくなった笑顔で声をかけられた。ちなみに菓子へ伸びる手は止まらなかった。神経は図太くなったと思う。


 眩しい夕日を眺めながらそんなことを思い出していると、彼はまた呟くように話し始めた。

「俺たちってなんなんでしょうね?」

 質問の意味が分からなくて首をかしげる。

「俺たちの、関係です。友人ってほど近いとは言えませんし、でも知り合いじゃよそよそしいです。元先輩後輩ってのも合ってますけど、今を表すのに元って……って、思いません?」

「はぁ?知らないよそんなの」

「えー」

 これも仮面の代わりに見なくなった、本日2度目のすねた態度。

 なにをいまさらと思うが、しかし、関係…僕たちの関係ね…

「別に、」

 わざわざ考えるようなことでもないのだ。そんなもの、

「たまにお茶する相手、でいいんじゃない?」

「へ…………ぷっ、ふふっ、そのまんまですねっ」

 ぽかんと口を開けた後、彼は突然噴き出した。何がおかしい。

「……別に、何でもいいよ、呼び名なんて」

「あなたならそう言うと思いました。そうですよね、なんでもいいんです、呼び名なんて。こうしてあなたとお茶飲んで、お菓子つまんで、ちょっとお話してるってだけで」

 そう言った彼は少しうつむいて、手に持った残り僅かなお茶とにらめっこしている。

 なぜかそれが泣きそうな顔に見えて様子を窺うと、彼は弾かれたように顔を上げた。

「間違えた!うわっ、うわ~~~!!」

 突然叫んで唸りだした彼に怪訝な顔を向ける。

「あぁっ、すみません!お茶が…出そうと思ってたお茶を間違えちゃって………」

「別に、これもおいしいけど?」

「いや、まあそりゃあ、それは今日みたいな甘めのクッキーに合うやつで……あー、だからいつもみたいに自然に入れちゃったんですね~…………それで、えっと、その……」


 視線で理由を問えば、ぽつりぽつりと話し始めた。説明が下手な彼の話をざっくりまとめると、最近自分でお茶っ葉を摘み取ったからそれを御馳走したかったのだと。しかし、このお茶会の前に行った会議が予定より延びてしまい、焦っていつも通りに準備してしまったと。ちなみに、話を聞いているとどうも会議が延びた原因に、今日のこれを楽しみにそわそわしていた彼も関わっているようだった。相変わらずの間抜けっぷりである。

「あなたの毒舌も変わりませんよね。それ、わざわざ口に出す必要あります?」

「君にだけだよ」

「そういうのは、もっとロマンチックな場面で女の子に言うものですよ」

 気づけば彼の見せたがった夕日はほとんど沈んでいた。

「それより、さっき話したお茶は淹れてくれないの?」

「え、いやぁ今から淹れるとなると時間ないですよ。俺、このあとも仕事残ってますし、あなたもそうでしょう?」

 話を急に変えた僕に特に嫌な顔もせず答える。確かに僕も彼も出会った頃よりずっと忙しい「大人」になった。だから本当は気軽にお茶もできないし、彼に至っては貴重なお茶会を前に会議に集中できず肝心の目的を忘れることとなった。いや、彼の忘れ物も昔からだったな。


「ねぇ、君がお願いするのなら、あと1時間くらい空けてやってもいいよ」

「えっ…んん?えぇっと、それはどういう……」

「僕が、君のために、時間を作ってやるって言ってるんだよ」

「え、でも…」

「なぁに?」

「うぅっ……お茶をご馳走したいので、あと1時間クダサイ」

「ふっ、随分生意気になったと思ってたけど、やっぱりあまり変わっていなかったね」

「そりゃあそうですよ!……俺も、あなたも、大人にはなったけど、それだけです」

 いつの間にか日は沈み切っている。差し込む光が消えたこの部屋では、彼の表情を窺うことは出来なかった。


「あっ、もう暗くなっちゃいましたね」

 そう言って彼は立ち上がった。

 部屋の電気を点けて、茶葉を持ってきますと言って出ていった。

 

 一人落ち着いて辺りを見回す。大人っぽい内装に、日の光もほとんど入らないこの部屋は、彼自身が壁紙から調度品まで選び抜いたという。この話を聞いた時は冗談だと思った。随分と彼らしくないと思ったからだ。彼は陽だまりの似合う人間だから。

 でも実際にこの部屋にいる彼に違和感はなかった。だから、陽だまりが似合うと思っていたこの男は、しかし太陽の隠れた夜も、つい先程のような夕焼けも似合うようになったのかと、そんなことを考えた。

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入り日 灯篭 @yumiharikiku

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