第5話 疑わしきはカラス

 僕らは宅配ボックスの前へと移動した。

 そしてしばらくの間、うろうろと二人、歩き回って盗み出しのシミュレーションにはげんだ。

 舞台俳優にでもなった気がして、個人的には楽しかったが、不審者丸出しの行動に、よくカーサの住人が誰も文句をつけにこなかったものだ。

 

 途中、都合よく通りにトラックが停まった。待ちかねていた人物だ。二人はいそいそと街路樹の影に隠れ、じっくりその様子を観察した。

 

 トラックを降りたポロシャツ姿の男がカーサの手前に移動をはじめた。箱を乗せた小さな台車を押している。出入り口に達すると、そのまま建物へと入っていった。数分が経過した。

 しずかが後方から、「喉、かわいてきたな」とささやいた。

 ぬるくなった緑茶ならあると言うと、

「やっぱ、あとでいい」

 さっきの男がまた出てきて、今度こそ待望のボックスへと歩み寄った。

 横に並んだ扉の一つに細長い荷物を投じると、手元でなにやら記入しているようだったが、もう一度カーサの出入り口に戻った。

 背後から、「おーし」と声がした。

 建物から出てきた男は、今度は軽い足取りでトラックへと戻った。

 二、三分のあいだ運転席に座ってなにかしていたが、そのうち車を出した。

 

 一連の作業のあいだ、じっと樹と僕の影に隠れていたしずかは、氷が溶けたかのように歩み出てくると、満足げにつぶやいた。

「じっくり見てると、大変そうだけど、おもしろそうでもある」

「バイトやってみようかな。高1じゃだめかな」僕がそう言うと、

「配達人の格好だけしてみたいな。それで、気づかれるかどうかを実際に確かめる。見えない男だよ」

「見えない女だろ」

「そういう古典があんの」

 口を尖らせたしずかだったが、ふいに閉じて宙を見つめた。


 その視線の先には、大通りを隔てたさっきのレンガ調マンションがあった。

 止める間もなく彼女は四車線を一気に駆け渡り、さらに走ってマンションの手前に移動した。僕も追いかけた。

「車に轢かれるよ」

「もっと早よ言って」

 カーサとは異なり、マンションの出入り口付近は多少の生活感があって、電動自転車と並んで補助輪付きの小さな自転車が置いてあったりした。

 ようやく追いついた僕は、植栽の縁へととび乗ってカーサ側を振り返ったしずかに声をかけた。身軽なやつ。

「おーい、なにが見える〜?」

「宅配ボックスが見える〜」と、彼女は返事した。

 そして飛び降りて僕の前に立つと、

「カーサ内の犯行かと思ったら、やっぱこっちかも」と言うなり、僕をパスして植栽の先にあった金属製のプレートに手をかけ、今度はその周囲を軽やかに回ってみせた。いやに立派なプレートには「アップルポップ小柴町」とあった。これがマンション名のようだ。

 だが、しずかはそれだけで動きを止めなかった。次に競歩のように早足になってマンションの周囲を巡りはじめた。僕を一瞬だけ見た。ついてこい、という意味のようだ。

「え、どーゆーこと?」仕方なく、また僕は彼女のあとを追った。

 

 しずかは、ときおり体を軽やかに回転させながら前に進んだ。別に踊っているのではなく、マンションとカーサTTを交互に見比べているのだと思うが、それにしても大袈裟な動きだった。

 たしか彼女は、宝塚音楽学校に憧れてはいても、バレエ教室に入った4、5歳の段階において早々と挫折したのではなかったか。ただ、素人の僕にはしずかの動きは十分に滑らかに見えた。

 大きな身振り手振りで歩きながら、しずかはときどき僕を見ては、

「容疑者はめっちゃ多いぞ」などとささやく。マンションの裏手を通過し、見慣れない場所を歩くうち、また道路が見えて、カーサTTがその先にあった。ついに僕らはマンションを一周したのだ。

「ふう。今日は風があっていい」

 正直、しずかの胸に全く存在感はないし、腰だって足だってほっそりとして中性的ですらある。だから、目の前でくるくる回られても揺れるのは髪の毛ばかり。動きのキレに感心はしても、セクシーさは感じない。

 それでも、かおかたちと全体の雰囲気が、平凡とはかなり距離のある人物だからか、たまにすれ違う人が例外なくこっちを見つめた。

 芸能人の奥さんがいたら毎日こんな感じか、なんてつまらないことを考えたりした。


 僕らはもう一度、さっきの駐輪場のあたりへと戻った。あらためてカーサを見て、マンションを振り返る。

「3階以上かな」と、しずかは言いながら、ささっとスマートフォンで動画を撮った。

「上の部屋なら郡司さんの宅配ボックスが見下ろせるってこと?」

「そ」

 すぐに立ち去ればよかったのに、探偵ごっこが楽しくて、つい僕らはマンション入り口付近に長居してしまった。特に気に入ったのは、例のプレートだった。特大の金属のリンゴが浮き彫りになっている。僕らはリンゴを背景に記念自撮りまで行った。

 リンゴの先には幅の広い階段があった。それを上がるとようやくマンション出入り口にたどり着く。撮影しつつ様子をうかがうと、スモークガラスの奥が玄関ホールになっているようだ。するといきなり、ガラス扉の奥から学生風の男が三人、あらわれた。

 

 いったん出入り口の庇の下に立ち止まった三人のうち、二人が迷いなく陽の下に出てきて、僕らの手前までやってきた。住人だろうか。さっきから僕らの行動を怪しんでいたようだ。目に探るような表情があった。

 二重顎をした太めの男が進み出た。シャツのボタンはきちんとかけられ、ヤクザとかDQNの雰囲気はない。

 だが、わざとらしくひょうきんな口調で、

「なになに、あんたら、どうした?」と聞くと、階段を利用し威圧するかのように僕たちを真っ直ぐ見下ろした。背は高くないが横幅はある。タバコのくさい匂いがただよってきた。

「なんでもないです」と答えつつ、僕は軽く下がった。

 蹴りの間合いを作るためだが、びびったと思ったらしく、デブは口元を残忍そうに歪めた。

 下腹に嫌な気分を感じつつ、僕はさらにしずかを庇う位置へと移動し、相手を値踏みした。手指も手首も細いし、バケツ風の頭部を支える首だって贅肉を取り除けば、ほとんど筋肉は残らないだろう。たぶん鍛えた経験には乏しい。頼りない僕の攻撃だって効くかもしれない。


「ほんとか?」と、デブの影から茶髪の男が出てきた。こっちは細身だ。明るいところで見ると頬に吹き出物が出ていて凸凹しているし、目つきが落ちつかず、嫌な感じだった。

 茶髪は、僕については一瞥ですませ、しずかにはしつこく視線を送り続ける。ついには笑いかけた。

 しかし、しずかが片眉をあげて、「アホか」という表情をしてみせると、生々しい怒りを顔に浮かべた。こいつのほうが凶暴かもしれない。

 

 自然とにらみ合いみたいになった。

 僕が、1対3の戦いをどう進めるかに苦慮していたら、マンション入り口のくらがりにいた第三の男がゆっくり前に出てきた。

 こいつは背が高く肩幅もあり、おまけにいい男だった。タレントっぽい派手さはなくても、前の二人より格段にさわやかな顔をしている。

 グッドガイ風の男は他の二人に、「なにしてんだよ、行こう」と首を傾けた。そして「ごめんね、君たち」と僕らに軽く会釈すると、デブと茶髪を促し通りを歩き去った。

 後ろ姿を睨みつけた僕は、三者ともそろって黒系の服なのにようやく気がついた。背格好もファッションの傾向もバラバラなのに色だけが黒。靴も黒地。他の色は仲間と認めないとかの盟約でもあるのだろうか。姉の夏樹なら迷わず「黒い三連星」と呼ぶだろう。

 途中には茶髪が、「あんだよ、『君たち』ってどうなの。いつもいい役ばっかとりやがって」などとからんでいるのが聞こえたが、仲良く三人そろって角を曲がり、黒い三人組は無事に視界から消えた。駅とは反対方向だし、駐車場にでも行ったと思うことにした。


 語尾が震えたけど、「まっ、いいや。ドーナッツでも食べにいく?」のセリフを僕は無事、しずかに対し言い終えた。「喉も乾いただろ。おごります」

 するとしずかは、故ジェレミー・ブレット演じるシャーロック・ホームズみたいに、ほんの一瞬だけ口元に笑みを浮かべると駅前のハンバーガーショップでよいと主張した。

「あそこやと、コーヒーにパイかソフトクリームを頼んでもドーナッツ屋より安い」

「そんなの、いやだよ。しずかの家族に僕と出かけたのがバレてるのに」

「黙っとくやん」

 僕はひたすら拒否し、さらに価格帯が上の大手カフェチェーンでもぜんぜん構わない、どうせ祖母から協力報酬が出ると訴えた。嘘だけど。

 しずかは無理すんな、とでもいうように首をゆらしたが、

「そんならドーナッツご馳走になるわ」と僕の後方についた。

「コーヒーおかわりできるし」

 そして僕らは、学生風の男たちが去ったのと逆の方角へと歩き出した。

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