第4話 巣は森に隠しても
郡司先生のご自宅は、「カーサTT」と目立たない表示の出ている集合住宅の一角にあった。
天気もいいし、少し距離をあけて僕らはその姿をじっくり眺めた。
小柴町は、全体に家並みが低くゆったりしていて、とりわけカーサのある並びには、こせこせした感じがない。敷地に余裕があるためだろうか。
建物について早速、「ちょっと粋やね。レトロモダン」としずかによるお褒めの言葉があった。
「いにしえの同潤会アパートを真似したんかなあ」と、彼女は続けた。
「家に写真集があってな。俗かもしれんけど、いっぺんは住んでみたいって憧れるよな」
だが、隣の僕が意味を理解できてないのに気づくと、まぬけ面に焦れるかのように「仕方ないな」と、急に標準語的早口になってトコトコ歩き出した。
そして、カーサTTの玄関付近と外にあった宅配ボックスの前でそれぞれ一度づつ立ち止まってから僕を手招きし、また歩き出した。
今日は愛猫レオがいないから、きっと僕が代わりなのだろう。
「桃の里のあたりとはまた雰囲気が違う」
「そうだなあ。こっちは開けてる感じ。住宅街っぽくない」
黙々と郡司家の周囲の道を巡りながら、しずかと僕は感想を述べあった。
桃の里というのは僕らの住む地域のことだ。別に地域が桃栽培に熱心なわけではなく、桃がトレードマークの武将が昔、この地を拠点としていためと言われる。どこかの時代で桃林ぐらいあったかもしれないが、いまは公園や学校に何本か植えてあるだけだ。
「坂が緩やかなのがいい。街路樹があっても見通しがいい」
たしかに僕らの家のあたりには、けっこう段差というか坂道がある。青鷺朝彦先生は、ときどき足腰の具合を悪くされ、その度にしずかが車椅子を押すハメになることから、上記の発言になったと思われる。先生は大柄だった。
「元気なうちは良いところだけどって、うちのバアちゃんが」と、ぼくもうなずいた。「歳を取ったら都会の、それも駅ビルに住むべきだとさ」
「さんせい。でもカーサはまだ許せるかな」
そう、少し離れてながめたカーサTTはなかなか粋な感じがした。
「でもさ、病院施設がいまいちだそうだよ」と、僕は祖母を経由した郡司先生の意見を紹介した。「設備も先生も古いし、この頃はみんなバスに乗って堀之内中央に行くんだって」
堀之内中央とは、この付近では屈指の規模を誇る総合病院のことである。午前の受付には年配の患者が押し寄せ、医療施設より開演前のコンサート会場みたいだ。それを迎え撃つ病院側のスタッフも、ファストフードの店員みたいにテキパキしている。
「大きなリハビリセンターがあるよね」なにか思いついたのか、しずかが僕を鋭い目で見上げた。軽くドキリとした。
「産科もあるし、若い患者だって多い」
「うん。あちこちの駅に送迎バスが出てるよ」
またしばらくの間、黙ってしずかと歩いた。二人きりの散歩とは、もっと嬉しく感じるべきなのだろうが、無言のままのしずかの目つきと、全身から感じる探求オーラみたいなものに、僕はすっかり萎縮してしまっていた。
「あれ」ちょうどさっきの反対側に回ってきたところで、緊張に耐えきれず僕は声を発した。
「前にあんなの、あったかな。なんか変だな」
大通りを挟んで両側は並木道になっている。その先にのぞく建物を僕は指さした。レンガ風外壁材で覆われたそのビルは、マンションと思われた。
ここにきて以来なんとなしにスルーしていたが、小学生の僕は塾の行き帰り、目の前の道を自転車で通過していた。その時とは通りの印象が違った。
「でもそんな新しい建物じゃないよな。なんとなく、くすんでる」
しずかと僕は、レンガマンションのよく見えるポジションへと移動した。
マンションは大通りから一本引っ込んだところにあった。そして、道路に面した一等地、大通りを挟んでカーサTTと対面となる位置には、白いフェンスに囲まれた空間だけがあった。いわゆる更地の状態だ。
「たしかここ、市民ホールじゃなかった?」
「そうだった。ボロくなって雨漏りがして、取り壊しになった」
詳しい予定は知らないが、市民ホールはサイズアップして国道前に移し、空いたこの場所には保育園など子供の施設をつくる計画だったはずだが、
「なんかで揉めて計画がストップしたんじゃなかったかな?」
「ふーん。でも、あのマンションからなら、カーサ丸見え」ぼそっとしずかがコメントした。
なるほど、市民ホールがなくなってしまった今、マンションからは格上のはずのカーサTTを好きなだけ見下ろすことができる。
その後、僕らは行ったり来たり、いろいろと角度を変えて噂の宅配ボックスを観察した。カーサのボックスは沈んだ色をして、緑の谷間にひっそりと並んでいた。目立ち過ぎないよう配慮はしてあるのだろうが、隠してあるわけではなく、外からでもすぐに位置はわかる。ちなみに、高級住宅だけあって戸別に立派な専用のボックスが用意されてある。
「間違いなく機械式みたいだね」ネットで調べただけの知ったかぶりだったが、僕の言葉にしずかはうなずいた。
「デジタルデバイスとかなさそう。宅配ボックスまでレトロ」
「わざとそうしてあるんだろうな」と、僕は思いつきを口にした。
「不動産屋の情報だと、おしゃれなカーサに住みたいって若いひとは多い。でも値段はするし、出て行かないしで簡単には入れない。入居者の半数以上が高齢者だって。裏に小さなスーパーもあって、買い物も楽だそうだよ」
「でも、じいさんばあさんって、タッチパネル式のロッカーとか嫌がるよね」
「どうかな。でも、うちとか確実にそれ。パッドもだめ。和風レストランとかに行っても、みんな僕を使おうとする。回転寿司もそう。悟、きゅうり巻きをもらってくれえ、じゃああたしは漬けマグロ、って。ゆっくり食べられないよ」
「私の家も似たようなもんだ」
なにか思いついたのか、しずかはするすると移動し、樹木豊かなカーサの敷地内へと大胆にも踏み込んだ。
さっきチラ見した玄関部分を念入りに見ているようだ。中から入居者らしい年配の人が出てきて、疑わしげな視線を送られたりしたのに、彼女はぜんぜん平気だった。僕もあんな度胸が欲しい。
「なにか気になるもの、あるの」戻ってこないので、しかたなくこっちが近づいた。
「ポスト」ぶっきらぼうにしずかは言った。
「ポスト?」
カーサTTでは、後付けされた思しき宅配ボックスは完全に建物の外にある。一方の郵便ポストは、エントランスとでもいうのか、建物のメイン出入り口のあるスペースに置かれていた。つまり、郵便と宅配便が配達されるのは、それぞれがやや離れた場所ということだ。
ポストから目を話さずしずかが言った。「ここ、郵便ポストまでなら誰でも近づける。世の中にはもっとめんどうな施設は多い」
「配達の人のためかな」
「それに、宅配ボックスの近くに防犯カメラはない雰囲気。ポストはどうかな。場所によっちゃ死角かも。外からは見えないし」
「設計が古いもんね」
「なあ悟」と、しずかが聞いた。
「郡司さんの夫って、あまり女子力のない人?」
「どうだったかな」
「宅配の受け取りとかは」
「あっ、そういう意味か。それは聞いたよ。その手の作業は見事なぐらい奥さんに任せっぱなしだって。電球一つ換えないし、ハガキ一枚持ってこない」
うなずいて、しずかはまた聞いた。
「なあ、悟。ボックスから物を盗み出すって時間がかかるかな」
いかにも彼女の口にしそうなセリフだし、ここまできて驚きはないけれど、内容はこの場で語り合うには不穏だった。
わざと大袈裟に振り返り、僕はしずかの陽を反射して輝く瞳を見た。この際だから遠慮なく見ておいた。
「いちおう、暗証番号を打ち込むんだよね」
「番号は入手済みとの前提で考えよ」
「うーん」僕はボックスをにらんだ。「オドオドしなけりゃ、そうはかからないか。前もって出前のリュックとか準備して、出したらパッと入れる、とか」
「そっか。乳母が犯人かい」しずかはクールに笑った。
「それはそれとして」僕は樹々の中から通りを見渡して言った。
「ここって思ったより人通りが少ない」
「車はともかく、人が近づくのはかなり手前からわかる」
即座に返事があった。しずかも同じことを考えていたのだろう。
「入居者が出てくるのも、けっこう察知できる。車の騒音さえなかったら、内扉が動いたりするのが外からわかる。ほら出てくるぞって」
僕らは少しの間、黙ってたたずんだ。
「やっぱりしずかは、誰かが宅配ボックスから抜いたと考えてるの?」
「まーね」
「でも、ボックスから勝手に取り出すには、暗証番号が問題だよな。宅配がくるたび、いちいち設定するんだよね」
「私の思いつきが正しければ、それはあっさりクリアできる」
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