「今宵、維納であなたと楽劇を」 アラ還BBAも厨二する  

大橋 しの

第1話

 芸術の都オーストリアの首都ウィーンの心臓、ウィーン国立オペラ座の正面扉前に立つ。

 2021年11月17日18時。

 ふんす。意気込みと期待で鼻息が荒い。いや、ちょっと動悸も伴うから、これは地下鉄から階段で上がってきたからかも知れない。やはり息切れだ。コロナ禍が始まって以来の運動不足が、思わぬところで露呈した。


 世界三大オペラ座のひとつに行くのだから、裾を引く背中剥き出しのロングドレスに10センチピンヒールとキメたいところ。歴史あるこの街は年配の女性ほど自己主張の激しい服をお召しなので、ちっとやそっとでは浮かない。年齢体型体重など「女であること」の、なんの妨げにもならない。実に、好きだ。だけど、ふと我に帰る。お待ちなさい。いまは11月も末。夕方気温は2℃をわり、帰りも地下鉄とバスの乗り継ぎとなると。

 うん。無理だな。

 あっさり諦め、某有名メーカーの保温衣類一式に身を包む。健康第一。冷えは大敵。風邪からコロナになったらなんとする。ヒールもせいぜい6センチ。だってオペラ座の中も階段だしね。もんどり打ったら笑い者。

 この辺の意気の衰えと妥協の早さがアラ還のあかしか。



 思えば遠くにきたもんだ。東京から9145km。時差8時間。


 開場を待つ間、孤独で暇なのでつらつら思う。

 2020年正月には、よもや世界中がこんな有様になるなんて誰も予測しなかった。酷暑オリンピックも普通に終わるだろうし、とっくに景気が良くなる望みなど捨てているから、悠々たる趣味三昧の年金暮らしなんざ強者どもが夢のあと。まあ誰にも迷惑をかけないように、細々やっていければ良かろうか、と。

 ところがまあ、なんてこったい。

 おまけに昨今、コロナでなくても鬼籍ジャンプインの知り合いが多発した。夏に黒縁葉書を何通受け取ったことやら。

 これはいかん。

 日本中、いや、世界中みんな大変なのは百も承知。それでもやりたいことをやろう。行きたいところには行ける時に行かねば。なんだか追い詰められ感がすごい。久しぶりに路上で会った知り合いとの会話「◯◯さん、痩せて綺麗になったのよー」に対して「へぇー、整形もしたんですか?」とナチュラルに返してしまった時、己れの心と精神のキャパ限界を知る。

 ダメだ、もう待てない。

 そんなわけで日本のコロナ禍がどういうわけか落ち着いている時期に、できる限りの安全対策をして海外への脱出を目論んだ次第。

 さあ、どこに行こう。人種差別の波が押し寄せる最中、アメリカ方向は怖すぎる。他民族が混じり合い、武器がそこらで簡単に買えない所。馴染みのあるところだともっと良い。

 そして、今切実に求めているのは文化だ。

 オーストリア。「うちにはカンガルーいません(オーストラリアではない)」のネタTシャツがベストセラー、モーツァルトにザッハートルテの国。世界最古の動物園にはパンダも2頭いたはず。そして何よりオペラだ。よし、行くぞ、ウィーン。誰にも言わず誘わずひっそり行って帰ってこよう。うん、そうしよう。

 さあて。

 それが大変だった。

 誰からも助けて貰えないしがない身の上なので、微細に至るも自己責任。旅行社主催の海外旅行は「ワクチンツアー」などを除けば2022年春まで全く無い。情報を集めるのもコツコツ。変更に次ぐ変更に翻弄されるフライトチケットを取り、旅程に合わせてワクチンを打ち、英語での証明を申請、念のためにパスポートの再申請。コロナをカバーする旅行保険も入った。あとはなんだ。なにかあるか。ないのかあるのか、ええい。ちょっと錯乱。次々と立ちはだかる面倒臭い手続きに、何がなんでもと唇を食いしばる。この根性が日常にあれば、これまでの人生をもっとポジティブに切り拓けたかも知れないが、まあ、こんなものだろう。


 ともかくウィーンだ、念願のウィーンだ、ヒャッホウ。


 なにが驚いたかってPCRテストの普及ぶり。

 サイトに登録すると、ウィーンのマツキヨ的なチェーン店でPCRテストキットを1人8個貰える。スマホのインカメラに映りながらウガイを1分間。恥ずかしい。そしてその検体をまた店に設置された箱に投函すると、24時間以内に結果がメールで届くのだ。え? 無料なんですか? なんて旅行者に優しい国だろう。

 

 かくしてそんな恩恵に預ったPCRネガティブ証明と、来場者の名前が記載されたチケット、ワクチン証明書、パスポートを握りしめて待つ。

 公演の1時間前開場を目指して三々五々人が集まり始めた。やはり平均年齢が高い。こちらは段差無しの公共機関に始まりシニアフレンドリーな環境が当たり前だし、その対象のシニアが、まあ力強い。スマホを鮮やかに操作しワクチンパスを見せた後、緩やかな階段を着実によじ登って行く。

 入場者の群れも一区切りついたから、続くとするか。

 なにせ今のところ観客の中で唯一のアジア人だ。いつもと違う形式に時間を取られるようだと、後ろに並んだ人に申し訳ないからね。万が一ドイツ語で文句を捲し立てられてもわからないし、わからないからって謝りたくもない。日本人なめるなよ。まったく不必要な闘争心である。堪え性がないのは昔から。

 クリアケースに入れたワクチン接種証明の縮小コピーを見せ「日本ではまだ紙仕様なんだよ」と説明する。さあ、東洋の文字の神秘さに翻弄されるが良いぞ。ふふん。万が一これじゃ駄目だと言われた場合に備えて原本大もこっそり持っているチキンなのだけれどね、てへぺろ。

 無事に中に入る。おおおお、オペラ座だ。ウィーン国立オペラ座だ。1869年に開業された劇場は実に重厚。

 ネットで取った座席、二階のロージェ(ボックス席)に向かう。

 平土間(パルケット)やバルコニー席だとコートや大きな荷物を席に持って行くのは禁止で、まずクロークに預けてこいとハッキリきっぱり入り口のチケットチェック時に追いやられる。みんなが座席でスッキリ過ごせるから、これはとてもありがたい。でも、冬はクロークの列に二度も並びたくないから、ロージェ席一択で。通廊から扉を係に開けてもらって入る。結構重たい木の扉は、うっかり爪を欠く悲しいハプニングもあり得るし、五十肩絶賛真っ最中だ。大体均一な広さのボックス席は最前列三席、真ん中と後方に高さが高くなった六座席の後ろに、さらに畳二畳ほどのスペースがあって、壁にコート掛けフック、帽子と傘立て、ソファーに鏡まであり、なんならここで全部着替えることだって不可能ではない。ごっついブーツで来てパンプスに履き替えるのも普通にやっている。そう、この「わたしは劇場に来たんだぞ」の気合がとても好きだったのだわ。


 開演まであと半時間。ブッフェに行くより、劇場観察と参りましょう。

 おや。立見席は間隔を守らせるために椅子が置かれている。しかもロージェ最前列と同じ椅子だし。一階平土間の後ろの区画の(元)立見席。これはもしや一番安い席が劇場で一番良い席なのでは?

 それにしても、ほんとにアジアの顔が無い。2020年から一年半以上にわたって度重なるロックダウンが続けば、いかに観光大国オーストリア、外貨稼ぎトップの国立オペラ座とて観光客を見込んでいないのはわかる。でも、この字幕の省略振りは凄くない? 以前は手元のタブレット端末で独、英、伊、西、露、中国、日本語が選択出来たが、今夜は独、英、伊のみ。それで充分だけれど、ここって節約ポイントなの? もちろん新規上演とかならわかるけど、前からやってる演目だよね? ま、いいか。


 今夜の演目はワーグナーの「彷徨えるオランダ人」

 ボックス席に案内してくれた係から買ったパンフレットを広げる。変形B5の100頁超えのフルカラーパンフレットは、足に落としたら絶対小指が折れる。研究論文集ですかってくらいの内容でワーグナー愛がすごい。

 リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)は「ワグネリアン」と呼ばれる熱狂的ファンを持つドイツロマン派の頂点、楽劇王と称される。堅苦しいクラシックなんざ知らん、とおっしゃる方でも、結婚行進曲(ローエングリン)とかワルキューレの騎行(ワルキューレ)とかは聞いたことがあるに違いない。イタリア、フランスの歌劇全盛期に、オペラは総合芸術であるとぶちかましたお方。著作「オペラとドラマ」の中で、劇が終わらない限り音楽は無限に続く、と。うーん。すみません、よくわかりません。

 ともあれ。パリで自分のプロモーションに失敗してフランスをdisり、ナチスドイツに利用されるほどの反ユダヤ思想を声高に披露し、1849年のドレスデン蜂起では率先してバリケードを築いて暴れちゃったもんだから指名手配されて亡命し、友達の奥さんに手を出しまくるなど、人としての行いは、あなたそれはちょっとどうよ、な点が多々あるが、自分のオペラの理想的上演のためにバイロイト祝祭歌劇場まで建ててしまった。戦災を逃れて残ったためにいまだに空調もなく教会並みに座り心地の悪い其処でワーグナーのオペラを見ることが聖地詣で扱いされる偉大な作曲家だ。


 そして、この「彷徨えるオランダ人」。

 ワーグナーのオペラとしては「妖精」「恋愛禁止」、(なに、このラブリーなタイトルの羅列)、そして「リエンテツィ」(名前は可愛い響きだが中身は重い)に続く第4作目。借金取りから逃亡するリガからロンドンまでの船旅(しかも夫婦で密航)で暴風雨に見舞われえらい目に遭った実体験も活かされたという。そして一作の上演時間が休憩時間を入れると平気で5時間越えるよね! ってワーグナーにしては、休憩無し2時間ちょっとは画期的に短い。

「彷徨えるオランダ人」の元ネタは「希望峰近くで目撃される、神罰でこの世と煉獄の間を彷徨うオランダ人の幽霊船」伝説。これをベースにドイツの詩人ハイネが「Aus den Memoiren des Herren von Schnabelewopski( シュナーベレヴォプスキー氏の回想)」を書き、そこからワーグナーが着想を得たというもの。この作品でワーグナーオペラに一貫して流れる「自己犠牲による(特に女性の)救済の実現」というテーマが確立したらしい。

 ふうむ? GGK、と、一瞬チラつく。


 登場人物は。


 まず、オランダ人 

 黒いマストに真紅の帆の幽霊船に乗る。

 悪魔の呪いを受けて死ぬことができず永遠に海を彷徨う羽目になっていたところ、天使が現れ「7年に1度上陸して、永遠の愛と貞節を誓ってくれる乙女を見つけたら呪いは解けるだろう」と救済のチャンスを与えられ、それ以来ずっと乙女を探し続けている。乙女に出会えなければ最後の審判の日に世界もろとも滅びることを唯一の希望にしている。


 ダラント船長

 貿易船船長。ノルウェー人。ゼンタの父。


 ゼンタ

 乳母から御伽噺代わりに聞かされたオランダ人の伝説にどっぷりハマり、その苦悩を思って悶々とする。


 エリック

 ゼンタの恋人。

 

 あと、ダラントの船の舵手と、ゼンタの乳母のマリーの6人がメインキャスト。


 主人公オランダ人の「究極のロマンチストか!?」な救済を求めて苦しむ設定には、ワーグナー自身が投影されているらしい。最初の奥さんのミンナが人気の女優で、結婚してからもたびたび(!)恋人と駆け落ちをしていたりだそうで。そりゃあ永遠の貞節なんか夢の中にしかないだろう、と遠い目になるよね。なので、主人公も7年ごとに上陸を許され、その都度女を見つける甲斐性はあるのだが、毎回裏切られる不甲斐ない超常現象男にされてしまった。

 それに絡むのが、一宿一飯の礼に見せられた宝と、追加で船倉の宝を全部やろうと言われて、即座に一人娘を差し出すオヤジ。不幸ど真ん中オランダ人にいよいよ救済をもたらすのが二次元ラブぶっ飛び娘に、その尽きない妄想で煌びやかに彩られた肖像画が恋敵という青年。この組み合わせで、幸せな結論の可能性なんか微塵もありませんね、最初っから。

 まあ、オペラはたいてい何人か死なないと終わらないから。


 まずはパンフレットに詳細に解説されたストーリーを把握しよう。最近は舞台に掛けられると、エゴで突っ走る演出家の解釈で訳のわからない図を見せられたりするから、ここは用心用心。


 幕が上がると、舞台はまず、ダラント船長の船。

 長い航海を終えてやっと帰って来たら、入港間際に暴風に7マイル流され、サンドウィーケの入江に投錨せざるを得ない羽目に。愛娘ゼンタに今こそ会える、もう抱きしめられると思っていたのに、と愚痴る。

「風まかせってことは悪魔の慈悲に縋ること」

 はい、設定、出ましたね。風は悪魔の慈悲、ですよ。

 嵐を切り抜けるのに一番重労働だったはずの舵手に寝ずの番をさせて、船長は安らかにおやすみなさい。パワハラブラックな環境。恋人への歌で眠気を散らしていた舵手も、もうこれ以上は無理、と熟睡してしまう。


 で、当然、出ます。

 タイトルロール、オランダ人です。恨めしや〜って感じでデロデロデロ。

「また七年が過ぎた」

 そして苦悩を語る。

 わざと海賊に戦いを挑んだり船を座礁させても死ねない。永遠に航海が続く。救済が叶わないなら待つのは最後の審判の日だけだと。

 え、ちょっと待って。どうやっても死なない、船も傷つかないなら、史上最強の海難レスキュー隊になれるじゃないの。オミクロンなどなんのその。伝染病も負傷なんぞもどこ吹く風で、戦え! オランダ人。悪魔を嘲笑って呪われたなら、それを逆手に取らんかい! 

 いや、これを悲劇にするからオペラなのだ。落ち着け、わたし。


 そして一旦姿を消すオランダ人など気にもかけずに充分眠って元気いっぱいのダラント父ちゃんは、自分の船の横に突如として現れていた船にびっくり。手荒く叩き起こした舵手は「なにも見てませーん。ぜーんぜん大丈夫ー」とトボケるけれど、隣に来たのが幽霊船じゃあしょうがないわよね。

「何者だー」の問いに「オランダ人だ」と返って来る。

 真っ黒な船体に赤い帆でオランダ人。伝説で肖像画にまでなってる。この顔にピンときたら、ってやつ? ここでもう正解が出ているのに、さらにコミュニケーションをはかるダラント。

 この辺の整合性を求めてはいけない。

 船長同士で話が進み「一泊泊めてくれ」から「お前に娘はいるか」「綺麗な娘がいる」「いるなら嫁にくれ、代わりにこの財宝をやろう」「いいともー」の急展開も、オペラなら当たり前。

 煌めく財宝に目が眩んだダラントは手中の珠のゼンタを、そりゃもう嬉々として差し出す事を約束するのだった。……父ちゃん……


 さて。ダラントが目指す故郷の町に舞台は移る。


 港町の若い娘の働き場所は糸紡ぎ。かしましく賑やかに娘たちは糸を紡ぐ。 軽やかにうるさい中で、ゼンタは、彷徨えるオランダ人の肖像画を見つめるばかり。みんなに揶揄われると高々とオランダ人の伝説を語り、これでこの物語の設定が明らかに。

 いわく。

 悪魔が起こした暴風域の只中で絶望的な状態になった時、「永遠に嵐に負けずに航海するぞ」と宣言、自分と部下たちを鼓舞したら、マメな悪魔がそれを聞いて臍を曲げた。自分の作品を批評された芸術家か。

 それ以来、ずっと航海を続ける羽目に。わあ、乗組員、とばっちり。

 でも天使が現れて、いつか地上で救済を得られるだろうと神の恵みを与える。でも今すぐ助けてはくれないんだね。条件は永遠の貞節を誓ってくれる女性を7年に1度の上陸で見つけること。

 ところがそれは全く叶わず、伝説になるまで彷徨い続けている、と。


 自分の歌で自分を煽り続けるゼンタは、しまいには「私の愛で貴方を救う!」と絶叫して気を失う有様。これは、オペラ初登場の筋金入りの二次元オタクではなかろうか。

 ところがどっこい、恋人がいるのだね、このお嬢さん。リア充を図りつつオタ道か。もう共感できないわあ、このむすめ。

 ちゃっかり狡賢いゼンタのお相手は狩人のエリック。声域は当然テノール。ワーグナーのオペラって、だいたいバリトンとかバスの暑苦しくいかついおっさん、じいさんがハバをきかせ、テノールがすごく割りを食うイメージって思い込んでいるのだけれど、このエリックも可哀想ったらない。腕のいい猟師なのだけれど、港町で大体が漁業、航海関係者の中で肩身が狭いらしい。

 え。わたしなら魚だけの食卓に鹿とか兎とか持ってきてくれたら、すごく贔屓にしちゃうけどな。なんなの、四つ足禁止令とかでているの?

 まあ、それで地元の有力者ゼンタの父親ダラントも貧乏なエリックの事を塵芥ぐらいにしか見ていないので、自分の航海中に愛娘の面倒を見るように命じる。つまりはアッシー兼他のムシが寄ってこないよう見張っていろ、と。

 そんな、無茶な。若者二人だよ。当然とばかりに恋仲になるよね。しみじみ気の毒に、相手が悪かったわね、エリック。今ならイベントごとに本を出しているようなゼンタの突き抜けた二次元オタのせいで、毎分毎秒、精神的拷問に耐えている。

「絵の中の男に夢中で、君は僕を苦しめる」としごく真っ当なエリックの不満に「あなたは彼の苦しみがわからないの?」と返す。いや。恋人の現実の苦しみは? 「その(オランダ人の)歌をやめてくれ」の訴えには、「私はまだ子供だから、貴方の言うことがわからないわ」とな。ゼンタ。おまえ、な。

 ところが、哀れなエリックは、さらに「君の父親が肖像画にそっくりな男を連れてきて、その男にキスして君たちが一緒に海に逃げていった夢を見た」と語る。青年。一体、なにがしたいのだ、きみは。

 案の定ゼンタは異常に喜んで「彼と一緒に破滅しなければ!」と陶酔。エリックは「正夢だったのか!!」と絶望して走り去る。いや、君が自分で墓穴掘らなきゃ良いんだよ、とはオペラでは禁句。特にテノールに関してはね。


 続く場面はダラントの家。

 泣き泣き走り去った恋人を追いもせず、るんるんとお家に帰ってきたゼンタは、欲に目が眩んだ父親に旦那になる男だとオランダ人に引き合わされた!!! オペラなので「ジャッジャジャーン、続きはコマーシャルの後で!」にはならない。

 立ち尽くす二人に「若いもの同士だけにしてやろうね」と気をきかすダラントはお見合いのプロか。そんな父ちゃんなど捨て置いて二人の世界は広がる。

 オランダ人は「これは愛なのか。いや、救済への憧れなのだ。この天使が私に救いを与えてくれるのか」と超乙女。それでも「残酷な運命」が待ち受けていることを警告する良心的なオランダ人だが、おた道まっしぐらなゼンタは聞く耳を持たず。二次元三次元問わずアイドルにそっくりな男が目の前に現れたら脇目もふらずに突っ走るのは古今東西共通。「die Treue bis zum Tod (死ぬまで)」から「bis in dem Tod (死んでも)」の貞節を誓う。はい、フラグ、立ちました。


 ここで起承転結の最終パートに一気になだれ込み。


 ところが、この貞節を誓うセリフ、とっくにエリックにも言っていたため、やっと気を取り直して追ってきたリア充彼氏と、もちろん言い争いになる。

 それを見たオランダ人が「またしても裏切られた。だが君を恐ろしい運命から解き放とう」と告げて去っていく。あら。常識のある良い人じゃないか。

 だがリアルオランダ人に出会ってタガの外れたゼンタはその船を追って自死し、その純愛でオランダ人は呪いから解き放たれる。

 船も死を得て沈没する中、オランダ人とゼンタが昇天していく、というエンディングと、オランダ人が去っていくまま終わって救済無しバージョンもあるらしい。

 昇天の方をハッピーバージョンと呼ぶらしいが。え。どっちもバッドエンドじゃん。いや、オランダ人が去って、結局ゼンタはエリックを逃がさないまま一人勝ち。こうなってもまだゼンタが欲しいか、エリック。ドロドロなサスペンス劇場。でもとりあえず人間界はハッピーな感じで? 

 まあ、ワーグナーの登場人物にそういった類の疑問を投げ掛けてはいけない。ヒロインとヒーローが承知の上での双子近親相姦とかあるしね。



 開幕五分前のベルが鳴り。

 さあ、いよいよ……

 あらま。暗い。

 ウィーン国立歌劇場のオペラ公演は、最近、舞台が暗い。劇場内で直接見る分には「うーむ、暗いなあ」程度なのだが、コロナで増えたライブ配信とかだと「ん? 舞台でなんか蠢いている?」ぐらい暗かったりする。いきなり声が響いて「あ、そちらにいらしたんですね」と気づいたり。

 そうか、この作品も暗いのか。まあ、オランダ人だし? 仕方ないけど? せめて陸上の生活部分が明るければ、比較になって良いけれどなあ。ぶつぶつ。老眼に辛いだけである。


 本日のキャストは、キャスト表通りに並べると、まずダラントがフランツ=ヨーゼフ・ゼーリック。重厚な面構えをしつつ、一夜の宿の礼の宝に有頂天。「こんな理想的な婿はない」とオランダ人に馴れ馴れしく絡み懐きドツき、娘をさらに売り込む熱意で笑いを取る。


 上機嫌のダラント父ちゃんに背中をバシバシ叩かれて『なにするんじゃ、お前』と思わず逃げを打ちそうになるオランダ人には、当世きってのワーグナー歌いと評判のブリン・ターフェル。徐々にワーグナーものから撤退していて、ヴォータンに続いて「たぶん今回の公演でオランダ人は歌いおさめ」と言っていたけれど、どうなるでしょうかね。


 二次元オタクのゼンタは予定されていた歌手急病のためリカルダ・メルベス。東京オペラの森でも同役で出演していた。

 娘たちが糸紡ぎに精を出す場で、二階に設けられた鳥の剥製がいっぱい並ぶ部屋をフラフラと彷徨う。娘たちとの精神的乖離を表したいのか、ゼンタの精神状態の不安定さを見せつけたいのか。どっちかは大きに迷うところ。ワーグナーが想定したゼンタ像は「しっかりと芯の通った北欧の娘」なんだそうだけど。肖像画に周囲が引くほど没入している時点で、そりゃ、最初っからだめだろう。

 迸る愛を語る最中に床をゴロゴロ転がる熱演。シンプルなワンピースがいつ捲れ上がり過ぎないか、変な心配をしてしまう。


 自分で墓穴を掘って埋まりつつ不幸を嘆く悩み多きエリックを歌うのがヨルグ・シュナイダー。フォルクスオパー来日公演とかがあったから日本にもファンが多い。彼は本日11時に、急病で歌えなくなった代役が出来るか電話で聞かれ、最終決定は午後2時近くだと言う。出番が多くないとはいえワーグナーもので、この急遽の駆り出しとは。ウィーン国立オペラ座の歌手陣の厚さを語るのでは。(そして何がすごいかって、キャストの変更印刷を入場までに間に合わせてしまう印刷屋さんだね!)

 さらに、舵手のダニエル・イエンスとマリー役のノア・バイナート、この三人は今日がそれぞれの役での初デビュー。

 ベルトランド・デ・ビリーの手堅い指揮で進むけれど、もう少し歌手に配慮してあげれば良いのに、って思わせるところもある。アリアの盛り上がりはオケの盛り上がり場所でもありますけどね、そりゃあ。


 ウィーンオペラ座のエンディングは、ゼンタが自己犠牲を払うバージョンなのだが、オランダ人が去った後、なんと衆人環視の中、油を撒いての焼身自殺。階段で舞台のセリ上がりに消える途中、結構炎は至近距離に見える。ソプラノ歌手体当たり! な感じではあるけれど、オリジナルの、崖から飛んでくれた方が良いかなあ。ゼンタが死んでも舞台は暗いままだし、オーケストラは救済版の終り方だけど苦味が残る。でも音楽は文句無しに美しい。夢のように美しい。


 2時間ちょっとのドラマは幕を下ろした。劇が終わり音楽も終わった。


 同じロージェの観客同士あいさつを交わして、再び防寒着で完全武装しつつ、ちょっとため息なんかついてみる。

 全く日常から切り離された空間で、異世界を味わった満足と、奇妙に哀しい感じは、またいつもの世界に戻らなければならないから? 

 うちに帰るにも大変だ。誓約書を書き、質問表に答え、PCRテストの結果も紙!で提出しなくてはならないし、自主隔離に居所確認。

 そんな面倒な思いまでして地球の四分の一を旅してオペラとは。アホかしら? 

 コロナ禍で世界中の様々な舞台から厳しい状況に負けない公演が、それこそ自宅にいながら鑑賞できる。特にオペラなんぞ、元は王侯貴族の道楽だ。でも道楽を全部こそぎ落とした人生に彩いはないように思う。そうして、この独特の空気は劇場にしかない。


だから、また。

いつか、また。


最後に深呼吸して劇場の外への扉をくぐる。





さ、サイン貰いに楽屋口に行こうかね!




(ワーグナー及び彷徨えるオランダ人に関する情報はウィーン国立オペラ座のパンフレットを参照しています。)












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「今宵、維納であなたと楽劇を」 アラ還BBAも厨二する   大橋 しの @ohashi-shino

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