閑話 小さな魔女。



 何時いつときも、知らぬは仏と当人ばかり。

 ガーランド外周西区に生きるスラム孤児が密かに楽しむ名物が一つ、カリスマ孤児タクトを巡る争奪戦は、グループ内で知らぬは本人、タクトのみ。

 しかし、最近はもう一つ、じわじわと火力を上げつつある争奪戦が幕を開けていた。

 オリジン・シリアスとの邂逅を経て、急速に成り上がって行く超優良物件足るガーランド一の愛され孤児。愛されてる事実さえも当人ばかりが知らない孤児ラディア・スコーピアに心を奪われた者が現在六人。

 勿論これは適齢で、かつ恋愛的な意味でのみ意味を持つ『心を奪われた』であり、その括りを外せばガーランド行政公務員都市清掃課に所属するが相当数参加してしまう。

 アンチエイド措置の存在を鑑みればでないさえも一部は恋愛的な意味での争奪戦にも参加出来るのであろうが、やはりとは古今東西津々浦々に於いて、無視出来ないファクターである。

 そして、年齢差の条件を横に置いたとしても、やはり恋愛事に進展と呼べる程の動きが見えるのは、やはりコレも古今東西津々浦々に於いて、渦中の当人が居る場所で起こるのが必定である。


「…………あっ、ネマおねーちゃん」

「ん、むく?」


 渦中の人、ラディア・スコーピアが団長を務める傭兵団砂蟲。

 その所属足る唯一の輸送機であり、人員を移動と居住区画さえも担う特注シールドダングであるシャムの中。

 ビックリする程鋭い切れ味を見せた切り札ジョーカーによって見事ガーランド行きを勝ち取った五歳児、ムクニト・スーテムは、これから同僚になる予定の先輩で、でもあるネムネマ・スコーピアと真夜中に邂逅した。

 ガーランド出発を明日に控えた砂蟲は、ロコロックル・カーペルクから輸送を依頼されてる積荷を既にシャムへと積み込み、現在は本日を最後に契約が切れる駐機場にてサーベイル最後の晩を過ごして居る。

 明日の早朝…………、否、時刻的にはもう当日である。数時間後にはサーベイルから出発する予定である為、ムクニトは昨日付で砂蟲預かりとなり、家族と別れる最後の日すらもスーテム家で過ごすこと無くシャムへと引っ越し済み。

 都市から出て憂いなくガーランドで過ごす為に、もう既に徒歩傭兵ウォーカーとして傭兵登録も済ませてあり、ムクニトは今この時点でもう市民では無く傭兵扱いとなってる。


「はやおき? それとも、ねれない?」

「……えと、ちがくて、そのっ」

「にーたんの、こと?」

「…………ぅん」


 時刻は午前三時。深夜と呼ぶべきか早朝と呼ぶべきか悩ましい時刻に、ムクニトはシャムのリビングにて黄昏居て、にその場を見られてしまったのである。

 シリアスが普段よりも凄い事をすると張り切って居た日のこの時間、調整剤を飲んでるはずのネムネマが起きてるのは限り無くオカシイ事であるが、仮に調となれば何も矛盾はしていない。

 リビングにてフードマテリアル製のホットミルクを飲みながら黄昏ていたムクニトは、自身が何を悩んで居るのかさえすぐに看破された事を恥じて赤面、俯いてしまう。


「…………たんとーちょくにゅーに、きいてもいーい?」

「……ぅん」


 夜の帳がまだ上がらない時刻に、ネムネマはムクニトの心にメスを入れる。


「むくは、にーたん、すき?」

「………………ぅん」


 赤面して俯く小さなムクニトは、限界まで目を閉じてふるふると震える。


「らいくじゃなくて、らぶのほうで?」


 ネムネマも、既に気が付いてる事を態々聞き出す。これは単なる確認作業。


「ぅ、うんっ……、ぼく、おにーちゃんが、すき……」


 質問される度に顔の赤さが増すムクニトは、何をまかり間違ったのか、それともシリアスの性癖がそもそもの間違いなのか、シャムにて寝泊まりが決まって着替えも持ち込み、シャワーさえ浴びて騒動から相応の時間が経った今も、何故かゴスロリワンピースを着た美少女スタイルだ。

 現代に蘇りし古代の英智シリアスは、随分と罪深い事をしてしまったらしい。


「…………や、やっぱり、へん、だよねっ」


 許されない想いを抱いてしまった。それを自覚してるムクニトは、否定される前提で声を出す。


「いや、べつに?」


 しかし、聞かれたネムネマは気のない声で即答した。


「………………ふぇ?」


 予想と違う答えに、ムクニトは困惑して顔を上げる。そこにはキラキラの金髪が眩しい、眠そうな顔のネムネマが居る。

 なんて事の無い会話を、他愛も無く喋ってるだけ。そんな印象を受けるネムネマの態度に、ムクニトは更に困惑した。


「むく、ねまがよいこと、おしえてあげる」


 自身の恋心もバレバレで、世間的にはおかしな感情だと理解してるムクニトは、まさか即答でそれを否定、つまり性別を超えて恋をしてしまった自分を肯定された事で、ネムネマの声がより深く刺さる状態になってしまった。

 ムクニトは、ラディアに幼い恋心を抱いてしまった。そしてムクニトはラディア並に賢く、その気持ちが世間で後ろ指を指される様な物だと理解してる。

 なのに、まさかまさかのノータイムで「いや、べつに?」が返って来て目が丸くなる。


「い、いいこと?」

「そう。あのね、むく。れいせーにかんがえてほしい」

「う、うん……」


 一般的には「ホモ」「ゲイ」「BL」なんて特殊なカルチャー扱いを受けるだろう自分の恋心を、真正面から肯定した少女の言である。ムクニトはつい先程想い人から同じ様に「冷静に考えて欲しい」と言われて根本的な問題を指摘されたばかりである。

 ムクニトは襟を正して聞き入る。ゴスロリワンピースに正すべき襟が有るか否かは些細な問題だ。


「このばあい、かっこいいにーたんがわるくない?」


 このデコスケ野郎はいったい何を言ってるのか。


「…………………………た、たしかにっ!」


 そして賢いはずのムクニトも、やはりまだ冷静とは言い難い精神状態らしい。五歳児で親元から離れたのだから無理も無い。現在もラディアの横でラディアの寝顔を見ながらも起きてるはずのシリアスは、責任を持ってこの場で突っ込み役をするべきである。

 しかしシリアスは何方どちらかと言うとボケ担当なので、この場に居たなら更に状況がカオス化するのでやはり居ない方が良いかも知れない。


「お、おにーちゃんっ、かっこいいんだもんっ! ぼくわるくないもん!」


 しかし、しかしだ。ムクニトからするとネムネマの弁はまさに真理だった。

 ムクニトがラディアに恋したのは、別に一目惚れじゃない。

 最初に会ったウオナミでの邂逅は、ただ優しくてカッコイイ憧れのお兄さんとして見た。

 次に会った遊び会では、引率をする大人達に対して対等に言葉を交わす頼もしい姿と、釣りの『つ』の字も知らずに困り果てて自分を頼ってくれる可愛らしい姿と、心の底から楽しそうに釣りをしてた無邪気な姿が目に映った。

 そうやって育まれた好印象が形を変えたのは、釣竿選びに呼ばれて着いて行って、高価な釣竿をプレゼントされた時だ。


「…………おにーちゃん、かっこよかったんだもんっ」


 決して、高価な物を貰ったから恋をした、なんて理由じゃない。

 ただ、嘘を言わずにムクニトへ自分が望む物を選ばせつつ、その後に「これ実は君へのプレゼント」なんてやり口が、五歳のムクニトから見ると信じられないくらいスマートで、気遣いに溢れて格好良く、そして何より美しいプレゼントに思えたのだ。

 まるでドラマで見るワンシーン。

 気の利く彼氏役が恋人役の女性にサッとプレゼントを用意して見せたシーンを彷彿とさせ、そして自分が彼女役のポジションなのかと思ったら、ムクニトはそれを嬉しく思ってる自分に気が付いてしまった。

 そう。女の子のポジションが、彼女役のポジションに幸せを感じたのだ。

 そして、淡くてまだ形がハッキリして無かった想いながらも、それでも少しでも長く一緒に居たくて夕食に誘い、そこで年パスのプレゼントされ、…………その時にまた心を撃ち抜かれ、最後のトドメを刺された。

 むしろラディアじぶんが迷惑を掛けるんだから、こんなプレゼントなんか気にするなと、ウィンクまでして見せたラディアにムクニトはどうしようも無く恋をしてしまった。

 そこまで歳が離れて無いのに、まるで素敵な大人の男性みたいに振る舞うラディアを見て、胸がきゅんきゅんしてしまったのだ。心が突然女の子になってしまったのだ。


「…………じゃ、じゃぁぼく、おにーちゃんをすきになって、いいのかなぁ」


 だから、ムクニトはこの想いを肯定されて、ネムネマが思うよりもずっとずっと嬉しかった。


「ねまは、よいとおもってる。てゆーか、いまどき、しゅじゅつすればだれでも、おんなのこになれる。だからべつに、よいのでは?」


 ネマの言う通り、現代の技術力で有ればどんな毛むくじゃらな男でもDNAレベルで女性化出来るので、本当に相手と添い遂げる覚悟が有るならば、言う程の問題は無いのである。

 当然その施術に掛かる費用は莫大な為に、一般市民ではおいそれと手が出せる手法では無い。しかし、これから傭兵になろうと言うムクニトで有れば、将来的には充分に選択肢の一つとして考えて良い方法でも有る。

 そして何より。


「そもそも、ねーたんとけっこんするつもりのにーたんがあいてなじてんで、ぜんぶいまさら」


 ド正論である。

 性別どころか、種族どころか、有機物と無機物なんて越えられないはずの壁を超えて恋愛してるラディアが相手なのだ。今更五歳の小さな男の子が十歳の男の子に恋をしたからなんだと言うのか。完全無欠な正論である。


「たしかにっ…………!」


 これが普通の市民を相手に、市民として恋をした場合ならばきっと悩みに悩んで悲しい結末を迎えただろうムクニトの恋は、この砂蟲に於いては団長の存在が全てを肯定してしまう。


「にーたんなんて、きょうもねーたんとすごいえっちなはめはめしてた。ばいおましんのねーたんと、にんげんのにーたんでこいがせいりつしてるのに、おとこのこどうしだから、なに? っていう」

「そっ、そっか……。ぼく、そんなにへんじゃないんだ…………」

「いや、へんなのはへん。そこまちがえるのよくない」

「あぅ……」


 肯定されたり否定されたり、忙しいムクニトのピュアハート。是非清いままで生きて欲しい。


「やっぱりへんなんだ…………」

「ねぇ、へんだとなにか、わるいの?」

「……えっ?」

「へんと、わるいは、ちがう。へんは、べつにわるいこと、ちがうよ?」


 ネムネマが地味に良い事を断言して、ムクニトは少し救われて心が軽くなる。

 そう、変とは『変わってる』と言う意味合いであり、即座に『悪』とは成らない。それでも個性が後ろ指をさされるのは単に愚かな集団心理が原因であり、それさえ気にしないなら実害など無いのだ。

 仮に実害を被ったなら、被害者は別に法を犯して迷惑を掛けた訳でもないのだから、大手を振って行政に泣き付いて加害者に制裁を課して貰えば良い。


「でも、むく。にぃちゃ、ねぇちゃがだいすきだから、たぶんむく、しつれんするよ?」

「…………ぁぅ」

「ねまも、あきらめたもん」


 現在、シャムの中にはラディアに心を奪われた者が三人居る。

 一人は当然、ラディアとほぼ同じ理由で同じ様に、同じ強度と同じ形でラディアを溺愛してるシリアスであり、もう一人は幼い身で複雑な形の恋心を持ってしまった悲運な少年、ムクニト。

 そして最後の一人は、恋心を押し殺し、ラディア争奪戦でシリアスの座る玉座を除いて一番美味しいポジションを得る為に、速攻で争奪戦からドロップアウトした鬼才、ネムネマである。


 そう、ネムネマは多くの嘘を吐いてる。


 ラディアを兄として慕ってる?

 嘘である。


 恋人の座に興味が無い?

 嘘である。


 甘えてたら、えっちなんかし無くて良い?

 嘘である。


 調整剤を服用するから添い寝したい?

 嘘である。


 ネムネマはラディアに強く強く恋をして、そしてシリアスと言う絶対に勝てない無敵のライバルの存在から早々に方向転換して恋人以外で最も合法的にイチャイチャ出来るポジションを探し、そしてその座を得る為に全力で努力を重ね、その結果まんまと毎日激甘に甘やかされて擬似的な恋人の様な生活を送れる素敵ポジションを確保して見せた、八歳児に有るまじき才媛なのだ。

 そしてあわよくば、ラディアとえっちまでしたい興味津々なお年頃で、調整剤を飲んで絶対に起きないからどうぞ自分の真横で盛って下さいと嘘を吐いて、結構な頻度でラディアとシリアスの情事を覗き見してるイケナイ女の子だ。

 勿論本当に調整剤を服用して寝てる時もあるが、五割以上の確率で起きてる。そして真隣でギッシギッシとベッドが軋む様子を薄目で見て楽しみ、偶には寝言を呟いてラディアに抱き着いて甘える様な寝相を装って、行為を盛り上げてたりする。


 ちなみにシリアスには初日からバレてる。


 そもそもシリアスがセクサロイドの身体を得る前から、ネマは寝た振りだけじゃなく恋心に着いても早い段階からバレてる。

 それでも二人の邪魔をしないから少しだけお零れが欲しいと言う契約が、もう既に成されてるのだ。

 知らぬはやはり、渦中の当人だけ。


「…………ぐすっ、じゃぁ、ぼく、おんなのこのかっこうしても、やっぱり、いみなかったのかなぁ」

「……それは、どうだろう? すくなくとも、ねーたんのこうかんどは、かなりたかい。あと、にーたんも、むくのこと、すごいかわいいっておもってる」


 女の子の格好で可愛いと言われて嬉しくなってしまうムクニトは、そう言われて赤くなる。ネムネマはひっそりと内心で「コイツ照れるだけで鬼可愛くてズルいなぁ」とか思ってる。しかしラディアから見ると現在のネムネマも似た様な扱いなので、ネムネマが抱くムクニトの評価は不当と言える。

 ラディアに心を奪われた残り三人中、ガーランドに居る二人だって普段のネムネマを見たらならば「お前もズルいわ」と思うこと請け合いだ。

 なんなら二人とも既にそう思ってるし、一人は実際に口に出して、もう一人はVRバトルで喧嘩を売ってボロ負けしてる。

 三人中残り一人はムクの実姉なので、昨日の時点で散々「ずるいもんずるいもん!」と泣き叫んだ。


「おすすめは、あきらめて、こいびとっぽいことができる、ぽじしょんさがし。ねまは、そうおもって、いもーとなった」

「…………ふぇ、えっ!? ね、ネマおねーちゃんも、おにーちゃんがすきなの?」

「ゅんっ。だいすき。あいしてる。けっこんしたいし、えっちもしたい」

「え、えっち……」


 ムクニトは真っ赤になる。まだ五歳なのでそこまで考えてないのだ。ただふわっと、ラディアに甘えてイチャイチャしたい程度の事しか分からない。むしろ五歳でそこまで考えてるだけでも中々マセてると言える。


「だから、いつかちゃんすがあったとき、にぃちゃとはめはめするために、にぃちゃとねぇちゃのえっちをのぞきみして、べんきょーちゅー」

「え、えっちだよぉ……、このばしょえっちだよぉ…………、ネマおねーちゃんのえっちぃっ」


 その通りである。傭兵団砂蟲はとてもえっちな傭兵団である。

 現在シャムの居住区に居る人員で最も健全な存在は、シリアスに欲情するラディアでも、ラディアに欲情するシリアスでも、その二人の情事を覗いて楽しむネムネマでも、女装して褒められると気持ち良くなってるムクニトでも無く、まさか大の大人が一室に三人詰め込まれて過ごしてるガロ達盗賊モドキと言うのが、何とも砂蟲のカオス度を物語っている。


「そんなこといってぇ…………。むくも、にーたんとえっちなことしたいくせにぃ……」


 調子に乗ったネムネマが、にたぁっと笑ってムクニトの頬をつんつんする。


「そ、そんなことないもん……」


 若干の図星を頬と共に突かれ、赤面して俯く女装少年。その仕草含めて見た目と恋心だけは完全に女の子だ。しかし男である。


「ほんと? ほんとーに? にーたんに、きっとやさしくしてくれるよ? きもちーこと、されたくないの?」

「…………ぅぅ、ぅぅうう」


 早く誰かネムネマを、このデコスケ野郎を止めるべきである。

 このままだと五歳児のピュアハートが汚されてしまう。

 しかし、盗賊モドキ三人衆は既に寝ていて、渦中のラディアもそれは同じ。唯一介入出来そうなシリアスはラディアの愛らしい寝顔を陽電子脳ブレインボックスに焼き付ける作業に忙しいのでこの場所に現れる可能性はゼロどころかマイナスだ。救いは無かった。


「にーたん、きっとたくさん、かわいいねっていってくれるよ?」

「…………ぅぅう」

「やさしくだっこして、あたまなでなでして、かわいいかわいいって、いっぱいほめて、かわいがってくれるよ? それで、ごにょごにょごにょ…………」

「………みゅぅぅっ、されたぃぃ」


 ネムネマに耳打ちされ、ムクニトのピュアハートが失われた瞬間である。

 砂蟲は子供の情操教育に非常に宜しくない団体なので、ラビータ帝国はいち早く傭兵団砂蟲を隔離して青少年から遠ざけるべきである。

 アヤカ・スーテムとザルイオ・スーテムも砂蟲を信じて送り出した息子のピュアハートが一日どころかたった数時間後には汚されてるなんて、思っても見ないだろう。驚きの速さである。次回の邂逅が非常にセンシティブな問題に変わってしまった。


「ぼ、ぼくも、おにーちゃんのいもうとに、なりたいなぁ…………」

「しかし、そのざはすでに、ねまのもの……。ぜったいにわたさない」

「うぅぅう、いじわるぅぅ……」

「べつにおとーとで、よくない?」

「…………おとこのこでも、いいのかなぁ?」

「にーたん、むくのこと、こんなおとーとがほしかったぁ、かわいいなぁって、ゆってたよ?」

「みゅぅぅ、うれしぃぃ……♡」

「ねまは、おとーとのままで、よいとおもうなぁー? そのかっこーなら、おとーとのままで、おんなのこみたいにあまえられて、ひとつぶで、にどおいしーのになぁー?」


 さりげなく自分の座を守りつつ思考誘導まで始めるメスガキが居る傭兵団砂蟲。そろそろ誰かこのデコスケ野郎の頭を叩いて矯正するべきかと思われるが、その座に居たはずのラディアは現在ネムネマの術中にハマって、気付かない内に擬似彼氏役をさせられてる。救いは無いようだ。

 過酷なスラムを生き抜いた賢いラディアが、『普通の兄妹は一緒にバスルームでイチャイチャしないし毎日添い寝もしないし毎食手ずから食事を食べさせもしない』と何故気が付かないのか。

 ネムネマに対するシリアスのアシストが多少あったとしても、最初の『食べさせっこ』も偶然ラディアが自ら始めたと言っても、それが常態化してる異常に気付けない現在は中々にネムネマ時空である。

 ネムネマの妹力が強かったのか、それともラディアがそもそも妹を欲していたのか、判断出来る者は誰も居ない。

 ちなみに、ネムネマに対するシリアスのアシストとはネムネマがラディアに対して一緒にシャワー浴びたいとゴネた時に、シリアスが『時間効率が悪いからさっさと一緒にバスルームに行った方が良い』と後押ししたアレである。

 あの時には既に、シリアスとネムネマの間には取引が成立していた。末恐ろしい八歳児である。ネムネマを捨てた親は割と本当に世紀の馬鹿で有る可能性が急上昇中のストップ高だ。


「…………あ、そうだ。じゃぁむく、ねまとけっこんすゆっ?」

「……ふぇっ?」


 そしてネムネマがまた何か言い始めた。


「へ、えぇっ!? ぼ、ぼくが、ネマおねーちゃんと、けっこんすゅのっ!?」

「そう。そしたら、ねまはにーたんのいもーとだし、むくもぎりのおとーとだよ? ねまはにーたんとずっといっしょにいるから、むくもにーたんとずっといっしょにいられるよ?」

「…………ほ、ほんとだっ」

「むくはままもぱぱもいるから、よーしえんぐみ、むずかしーよ? ちゃんとおとーとになって、かぞくになりたいなら、ねまとけっこんするのが、いちばんはやいよ?」

「す、すごぃ! ネマおねーちゃんすごい……!」


 違う。とても違う。何も凄くない。

 ネムネマの弁は九割九分九厘正しいし嘘は一つも無いが、しかし残った『一厘』が絶望的に違う。

 まずその道を選ぶと確実に『性転換して本当にラディアの恋人に成れる』可能性が消え、『シリアスを説得して愛人になる』道も消え、そして何より『恋人に成れなくても性転換さえしとけば大人になった時に酒の勢い等でワンチャン発生したかも知れない』未来さえ消え、更に言えば難しいとは言ってもまだ両親を説得して『義理』では無く『正式な弟か妹』に成れたかも知れない道すら消える。

 残ったのは正式な妹よりもワンランク下の『義理の弟』ポジションであり、ラディアからも「ああ、ネマ目当てで追って来たのか。なるほどね? そりゃアヤカさんに耳打ちする時に赤くもなるし、頑なに僕に着いてくるって言う訳だよ。ネマに着いて行きたいなんて本音、恥ずかしくて言えないお年頃だよね」とか勘違いされる事請け合いだ。恋する乙女としては悲し過ぎる。


「で、でも、ネマおねーちゃんは、ぼくでいいの……?」

「ゅん? べつによい。ねまのはじめては、がんばってねーたんせっとくして、にーたんにあげるもん。だから、そのあとなら、むくとはめはめしても、べつにいーよ?」

「は、はめはめ……、うぅぅ、はずかしぃ……」

「ねま、むくのこと、きらいじゃないし、ふたりでにーたんにあまえよ?」

「………………ぅんっ♡」

「それに、ねまがむくのあかちゃんうんだら、ねまたちのあかちゃん、にーたんにかわいがってもらえるよっ」

「……あっ、あぅ」

「かぞくみんなで、にぃちゃにあまえるのっ♡ すごいしゃーわせ♡」


 そして、ネムネマにはメリットしか無い。

 ネムネマはそもそもラディアの恋人の座を諦めており、『妹の座をフル活用して擬似彼女的に甘えまくる』事に終始してる。

 しかし、正式な妹で有るからこそ、ネムネマの年齢が上がって行けばラディアもネムネマの結婚相手なんかを心配し出すだろう。

 最悪、ラディアと接点の少ない旦那と世帯を持つことにでも成れば、愛するラディアと離れ離れすら有り得る。

 だが砂蟲に加入がほぼ内定してるムクニトを今から確保しておけば、結婚相手を心配される事が無くなる上に夫婦揃って砂蟲所属。合法的に永遠にラディアの傍に居られる。

 なおかつ、旦那になるはずのムクニト自身がラディアに恋をしてるので、ラディアに対するネムネマの恋心にも文句が付かない。

 もっと言うとムクニトは見た目が女の子なので、自分のラディアに対する想いに雑念が混じりにくい。相手がシッカリとした男だったならラディアへの愛が邪魔してマトモな関係を築けない。しかし今の女装ムクニトなら、女の子同士でイチャイチャしながらラディアに甘える形に成るので精神的に楽だった。

 つまりムクニトはネムネマにとって、自分の想いの理解者であり共犯者であり、類を見ない程に最高の結婚相手。それはムクニトにも言えるが事だが、ムクニトはまだ恋を諦めて無いので条件が違う。

 確かにムクニトにとっても悪い話しでは無いが、最良でも無いのはまた事実。比べてネムネマにとっては最高峰の選択肢であり、ウィンウィンと見せ掛けて実はネムネマの一人勝ちなのだ。


「…………どーする? ねまと、けっこんすゅ?」

「えと、そのっ…………、まだ、わかんなぃよぉ。ぼく、けっこんとか…………」

「ゅんっ、わかた。じゃぁきめたら、おしえて? ねま、まってるから」

「う、うんっ」


 慎重な性格が幸いしてギリッギリのところで最良の喪失を回避したムクニトだが、此処でムクニトに唾を付けられたネムネマにとって損は無い。

 この先、ムクニトの恋が破れたら最有力候補として上がるのは自分に成るし、ムクニトにとって確実に損では無い提案を聞かせて見せたのだから、ムクニトは今後ラディアとの関係を考えるべき時に毎回この話しが頭を過ぎる事だろう。

 ネムネマはシリアスの防御を突破するのは不可能だと考えているし、ならばもう、何もしなくてもムクニトは自動的に自分の所に落ちて来ると考えられる。

 ムクニトは自分の妥協案に乗るか霞程度の可能性に掛けてワンチャン狙うしか選択肢が無いのだから、その二つを比べて選ぶなら余程のギャンブラー出なければ義理の弟ポジションは魅力的に思えるはずだ。


「…………んふぅ♪︎ よろしくね、むくっ」

「うんっ、おはなしきいてくれて、ありがとうね、ネマおねーちゃんっ♡ おねーちゃんがやさしいひとで、よかったぁ」


 優しくない。何も優しくない。

 ある程度の譲歩が有ったとは言え、五歳児の恋心を踏み潰して自身の地盤固めをしようと画策した魔女である。なんの比喩も無く末恐ろしい八歳児だ。


「ところで、ネマおねーちゃんはなにしてるの? ぼくはねてたらめがさめちゃったんだけど。ネマおねーちゃんもねれなかったの?」

「ゅん? えと、ねまは、にーたんとねーたんのえっちがすごすぎて、おまたがむずむずして、むらむらしちゃったから、じぶんのおへやでかいしょーしよーとおもた」

「うぅぅう、おねーちゃんえっちだぁ……」

「んふっ、ねまは、うそつきだし、えっちだよっ。……むくも、いっしょする? ねまが、てつだってあげよーか?」

「うぇッ!? まっ、えぇッ!?」

「にーたんとねーたんが、どんなえっちしてたか、きにならない?」

「…………なるぅ」

「にひっ♡ じゃぁ、おいで? いっしょ、しよ?」

「あぅ、ぅぅう…………」


 更にいたいけな幼子を毒牙にかけて、その恋心を自分にも向けさせようとする策士が居る。

 そうすれば、敵が減り、味方に成り、将来的に自分が有利になるから。

 一方的な利益でないから尚更タチが悪い。

 改めて、とんでもない八歳児である。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る