第7話 死者の想いを探ること
ずずずっ、とお茶をすする。弓野目事務所で、僕は幽霊事務員――桃さんというそうだ――が入れてくれたお茶を飲んでいた。
写真を見つけたあの日、僕は弓野目事務所に戻ると、わかったことの報告をした。僕の話を聞いた弓野目先生は、調べてあげるから数日後にまた来なさいとだけ言った。そうして今日あらためて弓野目事務所に来たのだが、先生はあいにくの留守。それで仕方なしに、出してもらったお茶をいただきながら、桃さんと先生の帰りを待っていた。
「河村さんは、もうこの辺りは大体見て回られましたか?」
「いや、あの地縛霊のことでそれどころじゃなくて、全然ですね……」
幽霊と二人きりで留守番というのも変な状況だなとぼんやり思う。もっとも桃さんに関して言えば、普通に意思の疎通もとれるし、弓野目先生の助手だし、お茶も入れてくれるしということで、僕の中にもう警戒感は残っていなかった。
いまや普通に、世間話なんかしている。桃さんは外見だけ見れば僕と同年代で、幽霊である点を脇に置けば、割と話しやすい。
「そうなんですかぁ。素敵な町なんですからもったいないですぅ」
「はあ……」
正直、何の面白みもないただの住宅街だと思うのだけど。
「何でもないところに生活があふれてるじゃないですか。ああ、みんな生きてるなぁ、
幽霊らしい独特の価値観だなあ……と、そう胸の中でこっそり呟いた。桃さんはニコニコのまま「もし今回の件が無事に終わったら、いろいろと練り歩いてみるといいですよ。まあ私は基本この事務所から動けないので、練り歩いたことはないんですけどね~」と拾っていいのかいけないのかわからない自虐トークをかましていた。
いまいち共感できていない僕の様子を悟ってか、桃さんは少し話題を変えた。
「生きてる方には、あんまり興味湧きませんかね……? それじゃあ、スカイクラウドビルは行かれましたか?」
「そんな名前のビル、ありましたっけ?」
「……いやいや河村さん、それはあんまりにもこの町に興味なさすぎじゃないですかね?」
そうは言われても、幽霊騒ぎで本当に精神の限界だったのだ。とてもこんな町のビルの一つ一つになんて、意識を向けてはいられない。
「有名なんですか、それ」
「ほら、北にあるでっかいビルですよぉ。一年くらい前に開業したやつです。この町にしてはめずらしく若い方向けのお店とかも入っているなんて聞きますから、河村さんもあそこなら楽しめるんじゃないですか?」
そこまで言われて、ようやくピンときた。
この地味な住宅街には、まるで似つかわしくない高層ビルが一棟建っている。桃さんの言うとおり、比較的若い層向けのショップが軒を連ねていて、映画館なんかも入っていた。電車で中心街に行かないのであれば、この町では唯一といっていいまともな商業施設なので、うちの大学の学生ならみんな知っている。ただ、名前までは覚えていなかっただけだ。
「そういえばあそこって、土器ドキミュージアムとかもあるじゃないですかぁ。河村さん土器好きですか?」
「そんな渋い趣味ないですよ……。てか、土器なんてあるんですか、あそこ」
「なんでも、あのタワーはもともと町の南に建つはずだったんだそうですよ。ところが予定地を掘り返してみたら遺跡が出てきて、急遽いまの立地に場所が変わったんだとか。そのとき発掘された土器を展示してるみたいですぅ。まあ、冬子先生がここに事務所を開いたのが半年くらい前なので、私たちは土器騒ぎも当時の賑わいもよく知らないんですけどねぇ」
妙な変遷をたどったビルだな……と思う。
当時の賑わいと言われて、そういえば開業直後に全国放送のテレビでも少しで取り上げられていたな、とうっすら思い出した。確か、設計したのが有名な建築家でうんぬん――みたいな話題もあった気がする。
ただそんなビルのあれこれよりも、僕は桃さんが言った別の部分が気になっていた。
「この事務所って、昔からここにあるわけじゃないんですか?」
てっきり長年ここで事務所を開いているのかと思ったので、半年前からというのは少し意外だった。
「あ、冬子先生は地縛霊じゃなくてちゃんと生きてますから、見た目通りの年齢ですよぉ」
「いやいや、別に弓野目先生が実は幽霊で、一人で何十年も事務所をやってるなんて思ってませんから」
相変わらずのニコニコ顔で噛み合わない回答が返ってきたので、訂正しつつ再度尋ねる。
「ほらあの、失礼かもしれないですけど、この事務所って、何というか、先祖代々やってる……みたいな感じかと思ってました」
「?」
意図をつかみかねたのか、桃さんが首をかしげる。
「いや、例えばこれとか、かなり年季入ってるじゃないですか」
そう言いながら、僕は自分が座っているソファを指さした。そのしぐさを見て、合点がいったように「あー!」と桃さんの顔がパッと輝いた。頭の上にびっくりマークが浮かびあがらんばかりの勢いに、表情豊かな幽霊だなと思う。
「確かに、お恥ずかしい話ですが調度品とかボロボロですよねぇ。それはですねぇ……」
桃さんが説明を始めようとしたまさにそのとき、チリンチリン――と音がした。弓野目先生が戻ってきたようだった。
「あ! すみません、失礼しますね~」と桃さんは話を打ち切って先生の出迎えへと行ってしまう。残念ながら事務所の状況についてはお預けになった。またの機会に聞くことにしよう。
弓野目先生は僕に気づくと、「あら、よく来たわね」とだけ言った。それから、まっすぐ事務机へと向かうと、そのまま引き出しをがらっと開けて、一冊のクリアファイルを取り出した。
「これ見てごらんなさい」
そう言って手渡してくれたファイルを受け取り、中を確認してみる。
それは、福井佳代子の除籍謄本だった。
ざっと目を通してみると、そこには驚くべき事実が記載されていた。
一つは、彼女に翔太という息子がいたこと。写真の裏にあった名前と同じだった。やはりあの赤ちゃんは彼女の子供だったのだ。もう一つが、彼女が翔太さんを生んですぐに離婚をしていたこと。そして最後に、翔太さんが一歳の時に特別養子縁組に出されていたこと。どういう事情か、彼は福井佳代子の手を離れ、養親の下で育ったようだった。これによれば、いまの彼は福井翔太ではなく、安田翔太と名乗っているはずだった。今年、三十五歳になっている。
「息子さんがいたんですね。しかも養子に出していたんですか」
「そうみたいね」
弓野目先生がそっけなく答える。
「これって、今回の件と何か関係あるんでしょうか?」
「さあ? 私に聞かれてもわからないわ」
冷たく突き放されてしまったが、まあそれもそうだろう。赤の他人のことなのだ。先生にだってわかるはずはない。
「でも、気になることは調べてみることね。何よりも情報収集が事件解決の第一歩よ。死者の想いを探ることは簡単ではないけれど、情報を集約していく中で、見えてくるものもある」
事務机に座った弓野目先生は、手元の書類に目をやりながらそう言葉だけをよこした。
士業の先生にこう言っては逆に失礼かもしれないが、真剣なその目つきからは、プロの
この人も、依頼を受けたときは地縛の目的を成就させたりしているのだ。つまり彼女は、登記手続きだけじゃなくて、原因調査のプロでもある。彼女なりに、進め方のヒントをくれているのだろう。
淡々としていて、つかみどころがなくて、変わった人だけど、優しい人でもあるんだな――と僕は率直にそう思った。
「どなたか、生前の佳代子さんのことを知っている方はいないんですか?」
「地縛霊にまつわる調査をするとき、その人が生きていたときのことを調べるのは鉄則よ」
書類整理を始めたらしい桃さんの問いかけに、弓野目先生も同調した。
二人の言葉を胸に、あらためて考える。
死者の、人の想いを探ることだと先生は言った。それはきっと生半可な覚悟では果たせないことだ。もっと踏み込まないといけない。福井佳代子という女性のことを、もっと理解しないといけない。
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