第5話 地縛霊を消す方法
無理やり自分を納得させた僕にはお構いなしに、彼女は地縛霊登記簿なるもののある部分を指さした。
「ほら、ここみて」
「地縛の……目的?」
彼女の示した先には、そう書かれていた。
「そう。ここにこの地縛霊の目的が登記してあるわ」
「私たちはみんな、叶えたい思いがあって、それで幽霊になるんですぅ。地縛霊になるときに、それを登記してもらうんですよ」
幽霊事務員がそう横から口をはさんだ。
「ここには、地縛霊が地縛霊である理由が書かれているの。ある意味、彼らの存在意義といってもいい。だから、この目的を達成したとき、地縛霊は消滅するわ」
「それって要は、成仏ってことですか」
幽霊になってまで遂げたい思いがあって、それが満たされれば消える。まさに成仏だ。
「平たく言えばそういうことですね~」
どうやら地縛霊というのは、そういう仕組みらしい。なら、あの犬の目的は何だったんだろう。そう思って再び手元の紙に目を落とす。
「田中義雄と……もう一度暮らしたい」
地縛霊登記簿の「地縛の目的」としてくくられた枠の中には、そう書かれていた。
「それがこの犬が地縛霊になってまで遂げたかった想いね」
「なんでしょう、飼い主か何かだったんですかね? でも消えたってことは、願いは叶ったってことですか」
そう尋ねた僕の声を聴いて、弓野目
「
紙にはそう表題がつけられていた。
「田中義雄さんは、もう亡くなっているわ。これがその証明。除籍謄本は公的な死亡証明書みたいなものよ」
「えっ……じゃあ」
この犬の目的は実現していないじゃないか。死んだ人間と暮らすことはできない。
「そうね、この願いはもう叶わないわ」
それならどうして犬は消えたのだろう。
「地縛霊が消滅する条件は、二つあるの。一つは登記された願いが成就すること。もう一つは、その願いが成就不可能となってしまうこと。思いを遂げることができなくなった地縛霊もまた、存在している意味がないのよ」
「私たちの依り代は、死にきれないほどの願いです。不幸にもそれが叶わないことがはっきりしてしまったら、もうこの世にいても仕方ありませんから……」
思い返せば、確かにあの犬は何かを待っている感じがあった。幽霊になってまで叶えたかった願いを結局叶えられないまま、消えてしまったということか。
なんだか少し、寂しい気がした。
「登記所に、この除籍謄本を提出して、この地縛霊の目的が成就できなくなったことを証明するの。登記所はそのことを確認して、地縛霊の
そうか。登記をするからには登記所があるのか。あれ? 確かに犬は消えたけど、だれが?
「それは冬子先生がやったんですよぉ。依頼者さんに代わって地縛霊登記の申請をするのが、司霊書士のお仕事なんですぅ。不動産の場合は司法書士と土地家屋調査士で分業なんですけど、地縛霊はその辺ごっちゃで全部司霊書士の先生なんですね~」
僕の疑問を察したのか事務員が横やりを入れた。なるほどそういうことか。
不動産の登記申請の代理をする仕事が司法書士や土地家屋調査士。その亜種? として、地縛霊に関する登記をする仕事が司霊書士、ということみたいだった。
「あなたに書いてもらった委任状とこの除籍謄本を提出して、あの犬の地縛霊の滅失登記をしたわ。それであの犬は消えた。よかったわね、悩みが解決して」
なんとなく勝手が分かってきた。にわかには信じがたい話だが、一応筋は通っているようにも思える。
――回りくどい話をしているけど、要はこの人たちは除霊屋みたいなものなんだろう。彼女たちが語って聞かせた情報を必死に整理する中で、ひとまず僕がたどり着いた結論がこれだった。
そうとなれば話は一つだった。登記だのなんだの細かい話はどうでもよくて、聞きたいことは一つしかない。
「じゃあ、同じ方法であの女も除霊できるんですか?」
「除霊じゃなくて滅失登記よ。別に私はゴーストスイーパーじゃない、それに……」
妙なところにこだわりがあるようだった。別に司霊書士でもゴーストスイーパーでも陰陽師でもイタコでも何でもいいだろう。そう思っていると、彼女はいきなりぬっと手を差し出してきた。
えっ? 意図をつかみかねて固まっていると、彼女はさらに手を僕の方へと突き出す。
「……何ですか」
「お代」
そう小さくつぶやく彼女。お代とは?
「冬子先生もお仕事でやっているので……。まずは犬の分のお代をいただきたくて……」
幽霊が弱り顔で補足する。ああ、そういうことか。
士業資格者に仕事をしてもらったら、報酬を支払うというのはまあそうなので、ここはおとなしく応じておく。あの女を除霊できるかという問いに、除霊という言葉は否定したが、できないという否定はしなかった。質問自体に対する答えは肯定なのだろう。そうとなれば、これは降って沸いたチャンスだ。変に渋って、機嫌を損ねるわけにはいかない。
「わかりました。それで、いくらなんですか」
弓野目司霊書士は、僕に差し出していた手をそのまま壁へと向けた。つられて僕もそちらに目をやる。そこに貼られていたのは報酬表だった。
「一万円ですねぇ……」
またしても事務員が補足する。
「そこに書いてある通りよ。『地縛霊滅失登記:平易なもの 一万円』。あと消費税と、除籍謄本の取り寄せ費用七百五十円も」
思ったより高いが致し方なかった。すっかり薄くなった財布から、なけなしの一万と千七百五十円を取り出して支払う。
「はい、ありがとうございました」
そう言ってお金を受け取ると、彼女はそれを大事そうに抱えてそそくさと奥の方に引っ込んでいった。
それで。
終わったことはもういい。問題はカーテンの向こうのあの女だ。戻ってきた弓野目司霊書士に、あらためて尋ねる。
「登記のことはよくわかりませんけれども、とにかく僕はもう一体も除霊してほしいんです。こちらもお願いできますか?」
「それは構わないけれど……。ちょっと調べてみるわね。桃、登記簿の用意をお願いできるかしら」
「かしこまりましたですぅ」
事務員が彼女のものらしきパソコンのところへ向かい、何やら作業をし始めた。……幽霊でも普通にパソコン使えるんだな。
少し手持ち無沙汰になって、事務所の中に何となく目を向けた。あらためて眺めてみるとずいぶん殺風景な印象だった。いや、士業事務所なんて入ったことないので、どこもこんなものなのかもしれないが。それでも、僕が契約した不動産屋はもう少し活気というか、そういうものがあったような……。
というより、全体的に貧乏くさい。僕が座っているソファも、よくよく見ると随分年季が入っているようだった。いまいる接客スペースと事務員が引っ込んでいった作業スペースを隔てるパーテーションも、ところどころ痛んでいる。活気がないように見えるのは、幽霊がいるせいだけではない気がした。
いやいや、失礼なことを思ってはいけない。いまだ腑に落ちないところはあるものの、とにかくこの司霊書士なる職業の女性は僕の悩みを解決してくれたのだ。専門職には敬意をもって接しないといけない。これからは弓野目先生と呼ぼう。
「冬子先生、こちらになりますぅ」
そうこうしているうちに、幽霊事務員が一枚の紙をもって戻ってきた。弓野目先生がそれを受け取ってじっと眺める。
「それで、こっちも除霊代は一万円ですか? 今度はきちんと前払いしたらいいですか?」
ぜひとも除霊はお願いしたかったが、まず確認すべきは費用だ。とはいえ、犬と同じだから今更確認する必要もないだろうが。まあ一応、念のため。
「それはあなた次第になるかしらね」
先生は、手に持った紙を睨むように見ていた。僕次第とはどういうことだろう?
「一万円は登記申請代理の話よ。原因の解決はまた別」
ええっと? 原因の解決というのは……?
「さっきご説明したとおりですぅ。地縛霊を滅失させるためには、彼らの目的を達成してあげるか、その目的が成就不可能なことを証明する必要がありますぅ。冬子先生は、そのどちらかを証明する資料をまとめて霊務局に提出するのがお仕事ですけど、その資料自体は、お客様の方で用意していただく必要があるんですぅ」
困惑する僕に幽霊事務員が説明してくれた。
「でも、犬のときは先生の方で除籍謄本を用意してくれたじゃないですか。除霊が仕事なんじゃないんですか」
「それはサービスよ。簡単だったからおまけしただけ。それに私の仕事はあくまで登記をすることよ。除霊屋じゃないわ」
ぬううぅう――。文句を言いそうになったが、そういうことなら本来有料のことをタダでやってくれたことになる。彼女の方からすれば、感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはないだろう。専門職の値付けは自由なのだ。その仕事の価値は尊重しないといけない。
「もちろん、業務として依頼してもらえるのであれば、登記原因資料の収集もこちらで代行はできるけど」
なんだ、やってくれないわけではないのだな――と僕は安堵した。それならお願いするほかない。
「じゃあそれもお願いします。で、いくらになるんですか」
「三十万円」
弓野目先生が目を上げてぼそりと言う。はい? 聞き間違いだろうか。
「これ見てごらんなさいよ。地縛の目的」
そう言って、さっき事務員から受け取った紙を僕の方へ向けた。どれどれ……。
“地縛の目的”と題された欄には、一言「見たい」とだけ書かれていた。
え? 何を?
「これ、何を見たがってるんですか」
「そんなの知らないわよ。私だって登記簿に書かれていること以上のことはわからないもの。これ見てわかったでしょう、これは結構骨が折れる案件よ。司霊書士報酬で三十万と、その他実費をいただかないと割に合わないわ」
歯ぎしりしながら視線を落とす。三十万なんて、払えるわけなかった。そんなお金が払えるなら、そもそもあんな家引っ越している。
ほとほと困ってしまった僕は、彼女の突き付けた条件をもう一度反芻して、一つの選択肢に思い至った。
――かくなる上は。
「登記だけなら、一万円でやってくれるんですね」
小さくつぶやいた僕に、弓野目先生が告げた。
「ええ。登記申請の代理だけなら一万円でいいわ」
そんな彼女に向かって、力強く宣言する。
「じゃあ、僕の方であの女の想いを遂げさせてやります。あるいはそれがもう叶わないことを証明してやります! それでいいですね!」
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