第5話 隠したい気持ち
幸子さんが一緒に住んでいるのが、変だと言われたのは、小学生の頃だった。その時初めて、家系のことや幸子さんのことを教えてもらった。
私が保育園、小学生の頃から、両親は、祖父母とともに設計事務所で働いていた。そのため、家に帰るとお茶の教室がない限り、幸子さんが出迎えてくれた。おやつを食べながら、学校で会ったことを幸子さんに話す。そして、頭を優しく撫でてくれた。
ある日、学校で幼馴染の咲子ちゃんを含め、他の友達と話をしていると、家族構成の話になった。
確か、冬の学期末だったと思う。お年玉は、どれくらいもらえるかなど話をしていた。帰省してくるおじさんが何人だから、お年玉が期待できると嬉しそうに話す子もいた。そのうち、家族の話になった。どんな流れで、その話になったのかはよく覚えてない。確か最初は、何人家族なのかと言う話になった。ほとんどの友達は、四人、もしくは三人家族だった。数人は、祖父母と住んでいると言うことで、六人家族だ。七人家族は私だけだった。その時は、まだ祖父が生きていたから。
誰かが「七人?彩ちゃん、兄弟は弟だけだよね?おじいちゃんとおばあちゃんと、お父さん、お母さん、彩ちゃん、弟でしょ?あと、誰なの?」と聞いてきた。
「幸子さんよ。和子さんの妹。おばあちゃんの妹が一緒に住んでいるの」と私は答えた。
するとその子が「おばあちゃんのこと、和子さんて呼ぶの?変なの。それになんで、おばあちゃんの妹さんが一緒に住んでいるの。それもおかしくない?」とさらに聞いてきた。
私は、おばあちゃんのことを、和子さんと名前で呼ぶのは普通のことと思っていたから、ちょっと戸惑った。でも、この時まで、この呼び方も、幸子さんが一緒に住んでいることも、不思議に思ったことはなかった。
その時、幼馴染の咲子ちゃんが、「おかしくないよ、私も彩ちゃんのお家に遊びに行ったら、『幸子さん』て呼んでるわ。私のお母さんに、この話をしたら『素敵な呼び方よね』て言ってたもん。それに、他のお家のこと、変とか言わない方がいいよ」とかばってくれた。
私としては、かばわれることでもないとは思うのだけど、その時は、咲子ちゃんのおかげて、その話は終わった。ただ、私の中に疑問が浮かんだ。和子さんの妹が一緒に住むことって、変なことなのかな?と。
今までなんの疑問も持たなかった。そう言えば、お父さんのおじいちゃんとおばあちゃんの家には、彼らの兄弟は一緒に住んでいない。ふと、「幸子さんは、特別な力を持っているから?」と思った。私は、この時も幸子さんは、片目を失ったために、特別な力を授かったと思っていた。
家に帰ったら、幸子さんに聞いてみよう。理由がわかれば、「変なの」と言った友達に説明できる。でも、「特別な力」は内緒かもしれない。そしてら、「変なの」と言ったお友達に説明できないけど、私だけの秘密ができる。
私は、わくわくして、走って家に帰り勢いよく玄関を開けた。すると、その日は、母・涼子さんが出迎えてくれた。
「おかえり、彩乃。手を洗ってね。おやつは、テーブルの上ね」
「幸子さん?どこにいるの?」
「今日は、『初釜』の打ち合わせよ。もう、うちの娘と息子は明けても暮れても、『幸子さん』ね」とちょっと呆れた顔を私に向けた。弟は、すでに帰ってきて、公園に遊びに行ったらしい。
テーブルには、暖かい牛乳とクッキーが置いてある。私が席について、おやつを食べ始めると、涼子さんが目の前に座った。いつものように、学校であったことを話す。その中で、家族のことを聞かれ、変だと言われたことも話した。
「お母さん、幸子さんが一緒に住んでいるのは、変なことなの?」と私は尋ねた。(この時は涼子さんのことを、まだ『お母さん』と呼んでいた。)
「変なことじゃないわよ。それぞれお家の事情があるのだから、いいのよ。彩乃も他のお友達の家族をいろいろ言ったりしないでね」と母は言った。
「『お家の事情』?」私は少し考えた。
「それって、幸子さんが片目を怪我して、特別な力を持ったから?それが『お家の事情』なら、一緒に住んでいても変じゃないよね。変だって言った子に、怪我の理由とか言えば、家が変じゃないってわかってくれるかな。お母さん、怪我の理由知ってる?」体を乗り出して、私は涼子さんに聞いた。
すると、「彩乃」と涼子さんは、ため息をつくように私の名前を言った。その時の母の顔は、怒ったような、困ったような顔だった。
私は、何か悪いこと言ったのかもしれないと思って、おやつを食べるのをやめた。涼子さんは、再び大きく息を吐いた。「どうしようかしら」と言った感じで私を見ている。私は居心地が悪くなって、ちょっと肩をすぼめた。
すると、急に涼子さんが、ニコッと笑った。
「彩乃、あなたはもう、小学三年生よね。そのこと、お母さんが答えなかったら、幸子さんに直接聞きにいくわよね。それもいいかもしれないけど、無邪気さは、時に人を傷つけちゃうかもしれないな。」
そして、ため息をつくように、続けた。
「八歳か・・・。よし、我が家の『お家の事情』を知っていてもいい頃だと思うわ。大した事情じゃないのだけど、ちゃんと話したことなかったから」と言った。びっくりするほど優しい声だった。
涼子さんが話をする『我が家のお家事情』は、その時の私にとっては、遠い世界の物語のようだった。
私たちの祖先は、伊賀方でさほど大きくはない工房を持つ、窯元であった。和子さんと幸子さんは窯元の娘さんだった。その工房で、幸子さんが左目を失う怪我をした。その怪我をしたことで、幸子さんは、とても苦しんだ。自分が片目になったことももちろんだけど、周りの人にも迷惑をかけてしまったことを、ものすごく悔やんだ。
「彩乃は、今、好きな男の子いる?」と突然、涼子さんが話の途中で聞いてきた。
「わかんないけど、宗くんは優しいから好きかな」と、顔を赤くして答えたのを覚えている。
「その宗くんに迷惑かけたら、どう思う?」
「うーん、悲しいと思う」
「そうね、好きな人は大切にしたいものね。多分、幸子さんはその時、宗くんのような人がいたと思うの。その人に迷惑がかかっちゃったみたいでね。とても悲しい思いをしたのよ」と言い、涼子さんは話を続けた。
幸子さんが片目を失った時、私から見ると高祖父にあたる人物が、工房を閉めることを決意し、大阪に移ってきた。和子さんは、高祖父の事業を手伝った。片目が不自由になった幸子さんは、手に職をつけた。和裁と洋裁の技術を習得し、内職で仕事をしていた。茶道の師範になってからは、お茶の先生としても、収入を得ている。
幸子さんには、お嫁に行く話も幾度かあったらしいけど、幸子さんが断っていたという。幸子さんが、傷ついていることを知っているから、家族は誰も、彼女のすることに反対はしなかった。
涼子さんが知るのは、そこまでだという。
「私も、和子さんや父に聞いただけだから、本当のことは幸子さんに聞かないとわからないけど、幸子さんが悲しい思いをしていることはわかったかな?彩乃」
「うん、わかった」
「彩乃が、幸子さんを変だと言われないようにしたいと思うことは大事だとお母さんは思う。けどね、そのために、幸子さんに悲しいことを思い出させるのはどうかな?」
「かわいそうだと思う」というと、なぜか涙が出てきた。
「彩乃、そんなつもりじゃなかったの、ごめんなさい」涙が止まらず、わんわん泣いた。
涼子さんが、近づいてきて、私を抱きしめた。
「謝らなくていいのよ、彩乃は知らなかったんだから。これからも、家のことを知らない人がいろいろ言ってくると思うの。でもね、彩乃は、幸子さんと家族なのだから、堂々としていればいいわ。変だという人には、変だと言わせておけばいい。それに、咲子ちゃんが言うように、他の家のことを変だということ自体が変よ」そして、涼子さんは、私のかをお両手で包んで言った。
「咲子ちゃん、大正解。おかあさんも、咲子ちゃんママのこと好きよ。さっぱりしてて、気持ちいいよね」
そう言って、私を抱きしめた。涼子さんが優しく背中をポンポンしてくれる。そのポンポンが、体に響けば響くほど、涙が溢れてきた。
いつまでも泣き止まない私を涼子さんは、はずっと抱きしめてくれていたっけ。
それからも、家族のことを聞かれることはあった。やはり幸子さんのことを話すと「変わっている家族」と言われた。自分も年齢が上がるにつれて、「変だ」という友達の考え方も理解できた。「大叔母」である「お嫁に行かない女性」が一緒に住んでいる家は、外から見ると、普通とは違った家族と思えるのだろう。
でも、私には関係なかった。幸子さんがいる家が昔のことをいろいろ思い出しながら、私は幸子さんを見つめた。
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