第6話 幸子ブーム

 そんな幼い頃の記憶を思い出しなが、私は、ごくっと唾を飲んだ。 私はまた、知らずに何か周りを傷つけているのかもしれないと思ったからだ。


 すると幸子さんが静かに語りかけてくれた。

「彩乃ちゃん。彼は、彩乃ちゃんのこと、よく見ているのよ。だから、彩乃ちゃんが、大好きなことだけを、一番にやってもらいたいと言うのね。それなら、会えなくても、怒らないんじゃない?これからの時代の男よね、彼女の仕事も理解するなんて。いいじゃない」

「そうかな、でも、やりたいこと私しているのよ。自分を優先しているよ」

幸子さんは笑顔を私に見せた。その後、大きなため息をついて、こう言った。

「彩乃ちゃん、大切な人、見失わないようにね」


 どういう意味?


 私は、それを聞いて、幸子さんにずっと聞きたかったを思わず口にした。

「幸子さん、幸子さんには、大切な人がいたの?」

「あら、どうしたの、急に。彩乃ちゃんのお話だと思っていたけど」

「なら、質問を変える。『大切な人』て、どうしたらわかるの?」

「うーん、そうね。どうしたらわかるのかしら」幸子さんはレモンの香炉をみた。


「その香炉を作ってくれた人が、幸子さんの大切な人なの?」私は、思い切って聞いてみた。

「ふふ、そうかな」と香炉を見ながら幸子さんは答えてくれた。私はさらに、聞き続けた。

「幸子さん、私ね、幸子さんに悲しい思いをさせたくなくて、このことを聞くのを控えていた。でも、ずっとずっと聞きたかった。なぜ、結婚しなかったのか。どうして、その香炉を大切に持っているのか。その香炉の人が好きだから、お嫁に行かなかったの?」

「あら、あら!次は質問責め?いいけど。今まで我慢していたの、その質問するの?あっちゃんは、子供の頃、当たり前のように聞いてきたてたわよ、そのような質問」

「あっちゃんが?」

「そうよ、あっちゃんは、目の怪我の理由も、私に対して不思議に思ったことは、なんでも聞いてきたわ。彩乃ちゃんは、遠慮して聞いてこなかったようだけど」


「それは・・」私は、言葉に詰まった。


「涼子ちゃんに、お話、聞いたからよね。泣いてくれたって言ってたわ。まだ、小さいのに、一生懸命私のこと理解してくれようとしたのよね」私は、幸子さんを改めて見つめ直した。

「彩乃ちゃんがね、小学生のある日を境に、私に遠慮がちになったの。ちょっとニュアンスが違うか。そうそう、とても、いたわってくれるようになったのよ。それは、それで嬉しかったのだけど、前は、もっと伸び伸びしていたのにと思ったわ。それで、涼子ちゃんに、心当たりがあるかどうか聞いたら、私の話も含め、実家のことを彩乃ちゃんに話したのだと言われたの」


 幸子さんは、一呼吸置いて、話を続けた。


「あなたとあっちゃんが、生まれた時から、いつか、私の目のことや、大叔母が一緒に住んでいることが不思議と思う時が来る。その時がきたら、きちんと答えていこうと家族全員で話し合っていたわ。ご近所さんは、すでに知っていることだから、特に周りに隠すこともないでしょ。だから、あえて説明しなかったのよ。実際、私の目の、障害者としては扱われてないしね」

「えっ、障害者ではないの?」

「そうよ。障害者手帳は持っていないわ。まぁ、障害者でもいいのではないかと思う時もあるけど。今は、その話は、どうでもいいわね。だから、あなたたちのことは、自然に任せておいた。そしたら、あなたもあっちゃんも、どうも、私を神格化したみたいで、それはそれで困ったわ」そう言って、幸子さんは苦笑した。


「だって、本当にすごいなって思ってたもの」と私が照れながら答えた。

「ありがとう、彩乃ちゃん。家の中では、子供達から、私のことに対する質問は、直接、私に聞いてもいいことになっていたの。でも、涼子ちゃんも思いやりがある子だから、そんなことしたら、私が傷つくと思ったみたい。それで、かいつまんで過去のことを話したらしいけど、彩乃ちゃんには、私が『かわいそうな存在』と伝わってしまったようね」

「そんな風に思ったことはないよ、幸子さん」私はすがるように幸子さんに言った。幸子さんも、すぐ答えてくれた。

「うん、わかるわ、彩乃ちゃん。でもね、小学生のあなたには、まだ、相手の気持ちや周りの状況を汲むことは、重すぎだかもって思ったの。だから、あっちゃんが同じように聞いてきたら、私に直接聞いて構わないと涼子さんや智幸さんに言っておいたの。実際、直接私に聞いてきたわ」

「じゃ、あっちゃんは、幸子さんの目の怪我の理由を知っているの?」

「ええ、状況もしっかり説明したわ」けろっと幸子さんが言った。

「そうだったんだ、知らなかった」

「あっちゃんは、『なんで、お嫁に行かなかったの』とも、何度も聞いてきたわ」

「え!何度も?幸子さん、なんて答えたの?」

「なんだったけかな?最初の時は、さすがにびっくりして、適当に答えたと思うの。『あっちゃんのそばに居たいから』とかなんとか言って」

「そうなんだ。そのあとは?」

「素直に、『どうしてかしらね?』って言ったと思う。本当のことだから」

「なるほど・・・」と答えて、私は身体中から力が抜けるのを感じた。


「聞いてよかったのか」と心の中で思った。涼子さんは、あの時、「聞いちゃいけない」とは言わなかった。「悲しい思いを思い出させるのは、どうかな?」と言ったのだ。


 そして、多分、涼子さんは、気づいていた。私は、幸子さんをお友達に、自慢したかったのだ。可愛いお人形を自慢するように、特別な能力を持つかもしれない幸子さんのことを。だから、涼子さんは「興味本位で、人のことを詮索しないように」と教えてかった。


 そして、私自身も、あの時、私を変だと言ったお友達と同じだったと気づいた。

 だから、泣いた。もちろん幸子さんの悲しい出来事も理由の一つだが、それ以上に、自分のうぬぼれた気持ちを涼子さんに見透かされたようで、泣いたのだ。さらに、私がしようとしていることは、幸子さんを晒し者にすることだった。


 子供だから、そこまでは、理解していなかっただろうけど、とにかく私は、自分のしようしたことが恥ずかしくて、隠したかった。


 そういえば、あっちゃんも同じように幸子さんを、崇拝していた時があった。いつも間にか「幸子ブーム」は過ぎていたようだったけど。


 私とあっちゃんは、父のたっての願いで、中学に上がるまでそろばんを習っていた。父曰く、「そろばんを習得することは、頭脳に高性能のCPUを埋め込むのと同じこと」だそうだ。昭和の時代は、そろばんは人気だったが、平成生まれの私たちの時代では、そろばん塾は数が少なかった。そのため、大阪市内まで、通っていた。


 その日は、そろばん塾の日だった。そろばん塾の送り迎えは、父の役目。でも、あっちゃんが、なかなか帰ってこない。すると、出発時間ギリギリに、泣きながら帰ってきた。


「淳、どうした?なんで泣いている、転んだのか?」塾に車で送る役目の父が、あっちゃんに駆け寄った。膝をちょっと擦りむいている。

「僕、『幸子さんは眼帯をしててかっこいいんだ』って友達に自慢したんだ。そしたら、みんな、ばかにするんだ。悔しくて、『笑うな』と怒ったら、突き飛ばされた」とそう言って、さらに、大泣きをした。


 その頃、自分の能力を隠すために眼帯をしている主人公のアニメがあった。他に、脇役で、眼帯をしているキャラもいた。あっちゃんは、それを夢中でみていた。多分、それと幸子さんを重ねていたのだろう。とにかく、擦りむいた膝の手当てをして、私とあっちゃんは、父の運転する車に乗った。


あっちゃんは、まだぐずっていた。父が、優しく声をかけた。

「幸子さんの眼帯は、かっこいいか、淳」

「うん、すごくかっこいい。僕のヒーローだよ」急に弾んだ声に変わった。

「淳、『ヒーロー』は、男性に使うものだ。幸子さんに使うなら、『ヒロイン』だよ」

「ヒロイン?」

「お姫様のことだ。白雪姫や、シンデレラは淳も知っているだろう?」

「うん、そっか、ヒロインっていうのか。だから、みんな笑ったのかな?」

「なんて言われたかわからないが、眼帯は、お父さんの時代は、海賊がしているイメージがあるな」

「そうなの?でも、僕の好きな海賊のアニメでは出てこないよ。それに、茶道のお教室の時は、幸子さん、眼帯外しているじゃないか。眼帯で隠している目は、茶道で使う特別な力なんだよ。きっと、それを使って、茶道をしてるんだ。お父さんは、知らないの?」

「うん、特別な力を持っているとは、聞いたことはない」父がそう答えた時、車は塾の前に止まった。


 私は、その話を聞いていて、あっちゃんに、幸子さんの目のことを説明しなくちゃって思った。私も、特別な能力を持っていると思っていたけど、そうじゃないって。でも、その後、すぐそろばん塾で、お友達と話をしたり、授業が始まって、そのことを忘れてしまった。


「幸子さん、もしかして、あっちゃん『眼帯外すと、特殊な能力がでちゃうの?』とか聞いてきた?」

「そうよ、『義眼は、ダイヤかサファイヤか』と聞いてきた」

「それ、アニメの影響よ。私があっちゃんに変わって謝るわ。ごめんなさい」

「謝る必要ないわよ。逆に、あっちゃんを、驚かせちゃったし。あの時、あの子、まだ、小学2年生だったかしら。遠慮なく、『義眼』の説明もしたし、『私の左目は無い。空っぽよ。』って言ったら、絶句してた。ある意味、彩乃ちゃんより、あっちゃんの方が、私の状況、受け止めるが大変だったかも」

「ショックだったとは思う」

「そうね、笑っちゃいけないけど、『義眼』を見せた時のあっちゃんの驚きの顔!今でも忘れられないわ。。今の言葉で言うと『固まってた』かしら?私の手前、怖いとか気持ち悪いとかいえないみたいでね。悪いことしちゃった」そう言って、幸子さんは、クスクス笑い出した。私もつられて笑い出した。


 その様子を見て、私は、「なんだ、なんだ、聞いてよかったのか」と思い、なんとなく、私は安心した。涼子さんから、幸子さんの話を聞いたあの時から、ずっと引きずっていた何かがなくなったようだった。


 すっと幸子さんが、笑うのをやめて、笑顔で言った。

「ずっと、彩乃ちゃんのことを心配していたのよ。周りに気を使いすぎて、言いたいことや、やりたいことが選べなくなってしまわなかとね。でもね、中学に入って、バスケ部に入ったりして、活発で明るい彩乃ちゃんは、そのままだった。すごく安心した」すると、幸子さんは、ちょっと遠い目をした。


「和ちゃんにね、彩乃ちゃんが気を使い過ぎてないかなっと相談したことがあったの。和ちゃんは『周りの空気を読める子ってことでいいんじゃない』とまとめてくれたわ。何かあれば、手を差し伸べようってことで、そのままの彩乃ちゃんを見守ることにしたの」


和子さんらしいまとめ方だ。でも、そんなに、気を遣う子供の見えていたのか、私。

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