魔女の惚れ薬
東京・渋谷のとある路地に、妖しいフォントで書かれた表札がある。
『魔法屋』
そのシンプルかつ直球すぎる名称を見て、本当に魔法を売っていると思う客は果たしているのだろうか? もしいたとして、魔法の販売を期待して入って来られても困るのだが。
「もうやんなっちゃうわー」
午前。他に客のいない店で、常連の女性が愚痴を言いだした。彼女は近所で商売をしている占い師で、テレビにもよく出演している人気者だ。
「最近、近くで商売を始めた怪しい薬屋が客を持って行っちゃってねー」
怪しい薬屋が客を奪う? 私は眉間にシワを寄せて怪訝な顔をした。占い師から客を奪う薬屋とはどういう事なのだろうか。
「あはは、意味が分からないって顔してる! それがね、あのおばさんの売ってる薬が『魔女の惚れ薬』だって言うのよ。私のところに来る客はほとんどが恋に悩む女子だから占いを頼る子が激減してるの」
なるほど、合点がいった。確かに占いと言えば恋占いが定番だ。惚れ薬などというものがあれば、占いに頼る必要はないだろう。そしてそれは、私にも大いに関係のある話だ。
ここ『魔法屋』は、占いグッズを中心に様々なオカルトグッズを販売しているオカルトショップだ。メインの客層も当然占いを好む若い女性である。道理で最近客入りが減ってきていると思っていたのだ。
「それは、私にとっても無視できない話ですね」
困ったものだ。本業だけではとてもじゃないがこんな都会に店を構えていられない。普遍的な人気を誇る占いグッズの売り上げがあってこその魔法屋だというのに。
「でしょー? 惚れ薬にも負けないキャッチーな宣伝文句はないかしら?」
そんな胡散臭い商売敵が相手でも、あくまで自分の仕事で客を取り戻そうとする彼女の心意気に感心してしまった。私はその薬屋をどうにかしてやろうと考えていたのに。
「そうですね……ちなみにその惚れ薬というのは、どのような評判なのでしょう?」
客が奪われるというからには、さぞかし上手く宣伝しているのだろう。多くの女性がその効果を信じているという事だ。一番に考えられるのは口コミを装ったサクラによる宣伝、いわゆるステマというやつだ。この手のものは「効果があった」と体験談を語るのが何よりも有効だからな。
……本当に効果がある可能性も否定できないがな。できればそうであって欲しくないものだが。
「それが、物凄い効き目らしいのよ! 見事意中の男性を射止めてお礼を言いにくる女性がひっきりなしにくるそうよ」
それは、よくないな。おそらく本物の魔法使いだ。
実は、現代日本にも魔法使いが少なからず存在する。そんな連中に魔法を売る店も多数存在し、この魔法屋もその一つだ。だが魔法使い以外に魔法を売るわけにはいかないので、表向きは一般の店を装っているのだった。
惚れ薬を作るには『
「惚れ薬なんかで恋を成就させても幸せにはなれないわ。相手の気持ちが
力説する彼女。さすがはテレビにも出るプロの占い師だ、本当に心から客の女性達の事を案じているんだな。薬の効果も信じた上で、それでは解決にならないと看破しているのだ。
彼女は魔法使いではない。当然占いも魔法の力など使わないものだが、本人は自分に魔力があると信じている。彼女がやっている事は相談者から現状を聞き出し、適切なアドバイスを与えるカウンセリングのような活動だ。これは魔法ソムリエである私から見ても、決してインチキなどではないと断言できる。
常人を遥かに凌ぐ洞察力と、多くの悩みを見てきた長年の経験からくる判断力が、彼女にまるで魔法のようなアドバイス力を与えているのだ。その彼女が言うのだから、幸せになれないのは間違いないだろう。
タネを知っている私からすれば、比較的短期間で魔法が解けるのですぐに破局する事は分かり切っているがな。
「……わかりました。そんなあなたにとっておきの宣伝文句を」
彼女が実力で勝負するというのだから、余計な手出しは野暮というものだ。どうせ件の魔女は早晩店を畳む事になるだろうからな。
『まだ気付いていないのですか? 貴女の魅力、教えます』
言葉は別になんでもいい。どんなに効果があろうと、いや効果があればこそ、惚れ薬という強硬手段に出るのは誰だって気が引けるものだ。余程切羽詰まっているのでなければ、ちょっとした言葉で思い直すだろう。
「あら素敵ね、気に入ったわ!」
常連さんはこの宣伝文句が気に入ったらしく、礼を言って店を後にするのだった。
夕方、いつもより少ない客が引いた頃。見知った顔が現れた。
「マスター、惚れ薬って本当にあるんですか?」
またお前か、という思いをはっきり表情に出して若い女性客を迎える。彼女も常連になりつつあるが、こちらはれっきとした魔法使いである。以前彼女に魔法を売ってから頻繁にこの店を訪れるようになった。
魔法使いとしては未熟で、魔法に関する知識もほとんどないが、魔力だけは本物だ。こうやって店に通っては私に魔法の質問をしてくる。そろそろ相談料を取ろうかと思ってきた。
「ああ、あるぞ。お前も魔女の惚れ薬を作りたいのか? 言っておくが一般人に売るのは厳禁だ」
私の言葉に目を見開き、驚きの表情を見せる。
「ええっ、それじゃああれはニセモノなんですか? それとも違法?」
やはり例の惚れ薬の件を耳にしてやってきたようだ。彼女の様子を見る限り、薬を欲しているわけではなさそうだな。また興味本位か。
「違法だよ。実物を見てはいないが噂に聞く状況が事実なら間違いなく魔法で作られたものだ」
「あのおばさんはどうなるんです?」
「……お前も知っておいた方が良いだろう。魔法使いがルールを破れば、そいつを取り締まる上位の魔法使いがやって来る。魔法警察とでも呼ぶべき存在がな。魔法使いを捕まえる専門家だから、まず勝てないと思っていい」
どんな世界にも例外というものはあるが、魔法警察に勝てる在野の魔法使いなどそうそう存在するものではない。
「そんなのがいるんですね~、マスターとどっちが強いんですか?」
目を輝かせて聞いてくる。こいつは子供か? 会員登録をしているので実年齢は知っているが、目の前で話をしていると実際よりも幼く見える。
「私の方が強いに決まっているだろう」
愚問だ。全ての魔法の効果と使い方を知り、同時にいくつも使える魔法ソムリエに敵う魔法使いはいない。だからこそ気難しい魔法使い達も大人しく金を払って魔法を学びに来るのだ。
「はー、凄いですねえ」
何故か嬉しそうに言う。どうでもいいが買い物をしないのだろうか? 占い師の方はよく色々なグッズを買っていってくれるというのに。
「あの惚れ薬を使った子達はどうなるんですか?」
「ふむ、あの薬は数週間で効果が切れる。効果が切れても記憶は残っているが、気持ちが離れるのでほぼ破局を迎えるだろう。薬を使った事で何かの罪に問われたりはしないが、幸せになれないので罰を受けているようなものだな」
後半は占い師の言葉を使わせてもらった。それを聞いた彼女は焦りの表情をする。
「そんなの可哀想じゃないですか、薬を買った人達も被害者なんですよ! 魔法警察はいつ来るんです?」
薬を盛っているのだから加害者だろう、と思ったが早く解決してもらいたいのは私も同感だ。
「焦っても仕方がない。実際のところ、本当に魔薬なのかは分からないのでね。おそらく既に捜査はしているだろうから、我々にできる事はない」
いずれにせよ私は何もするつもりはないが。あの占い師が上手く魔女から客を奪い返してくれるだろうしな。
女魔法使いは釈然としない様子だったが、どうにもできない事は理解したらしく、挨拶をして店を出ていった。もちろん何も買っていない。
数日後。店を開くとすぐにいつもの占い師がやってきた。
「聞いて! あの薬屋、店を畳んでどこかに行っちゃったわ。あの言葉を店の前に目立つように置いておいたら、もう効果てきめん! どんどん女の子達が私の店に来て、あちらは商売にならなくなっちゃったみたい」
実に楽しそうに笑いながら成果報告をしてくれた。店じまいをした理由は別だろうが、彼女は予想以上に良い仕事をしたようだ。元々人気の占い師だったのも大きいのだろう。
「それでね、昨日の夜に以前うちで占いをした子が挨拶に来たの。気になっていた子に告白できたんだって。結果は上手く行かなかったけど、勇気を出して告白できた事が自信になったって。前に来た時とは比べ物にならないぐらい魅力的な笑顔を見せてくれたわ。きっとあの子にはもっと素敵な出会いが待っているって、ピンと来ちゃった」
人気占い師のお墨付きだ。きっとその子には良い恋愛が待っているのだろうな。
販売数が少なければその分罪も軽くなる。魔女はこの心優しい占い師に感謝をするべきだな。おそらくうちに来る若い魔法使いと同じように、ルールをよく知らずに軽い気持ちでやったはずだ。魔法使いにとってあんな薬を人に売るのはリスクばかりが大きくて得るものがないからな。
常連客と雑談をしながら、私は新たな危惧を抱いていた。最近、魔法使いのルールを把握していない者が増えている気がする。魔法の力に目覚めた者は地域の斡旋者が責任を持って教育する事になっているのだが……。
まったく、いつの世の中もやるべき仕事を真面目にこなさない者ばかりで困る。私は心の中で悪態をつきながら、上機嫌で店を後にする占い師の背中を見送るのだった。
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