中編 積もる
夢を見た。
目線がやけに低い。これは幼い頃の記憶が夢として現れているのかもしれない。
列を作ってみんなで道を歩いている。僕はいちばん後ろだ。
道端にタンポポが咲いていた。なかなか大きなタンポポだった。見とれていると列のみんなはどんどん先へ進んでいっていた。
このままだと遅れてしまう。慌てて駆け出そうとしたら、段差につまづいて転んでしまった。膝がちょっとすりむけ、赤くなっている。
前を歩く列は自分を置いてどんどん先へ進んでいる。誰も気づいてくれない。
僕は泣きそうになった。
そんなとき、列の1人の女の子がこちらを振り返り、慌てたようにこっちに向かって走ってきた。
優奈ちゃんだ。
優奈ちゃんは「大丈夫?」とお姉ちゃんのような優しい眼差しを向けたまま問いかけ、手を差し伸べた。痛さよりも彼女の優しさで泣きそうになった。弱々しく手を伸ばすと、彼女は僕の手を強く握りしめ、僕をグイっと引っ張り上げてくれた。
その勢いに身を任せ、僕は立ち上がる。
立ち上がった僕の顔を心配そうにのぞき込む。
このときの僕の表情はどうだったのだろうか。やさしさに再び泣きそうだったのをぐっとこらえた。
「一緒に行こう、みんな先に行ってるよ!」
明るい表情でそう言うと、僕の手を引っ張ってゆっくりと走り出した。僕が転ばないようなスピードで。
僕もその手が離れないように、彼女の後ろを駆けていく。
朝陽がカーテンの隙間からベッドへ差し込んでくる。
カーテンを全開にして外を見ると、陽の光が積もった雪に反射されてちょっと眩しい。
幼馴染の優奈ちゃん。どうやって伝えようか。
彼女とは幼稚園、なんならその前からずっと一緒の仲である。
本当は転校が決まったと最初に伝えなければならない相手であるはずだった。なのに、伝え忘れてしまっていた。
違う、伝え忘れていたわけではない。小さい頃からずっと一緒にいたから、近くにいることが当たり前になっていた。そう自分に言い聞かせた。言ってしまったら、きっと寂しい思いをさせてしまう、と無理やり思いこむことにした。
でもこれは完全なる言い訳だ。一日でも、一分でも、一秒でも早く伝えねばならない。でも、正しい伝え方は何なのだろうか。
そんなことを考えているからだろうか。目の前には数学の問題集が開かれているが、全く手につかない。
朝学習も終わり授業の時間になっても、なかなか集中できない。古文の授業で指名されたことに気づくことができず、先生に軽く怒られてしまった。
罪悪感のうえにさらに異なる悪いことが重なり、余計に落ち込む。和訳も予習はしていた部分があったが、単語の訳を間違えていた。
こうして勉強に全く集中できない日は何日も続いた。問題集を金曜までに半分まで到達させる予定を立てていたが、目標まで残り16ページも残っている。
ノートを広げながら一人で黙々とお弁当を食べていると、浩二が話しかけてきた。
「どうしたお前。最近元気ないぞ。何かあったのか?もしかして振られたのか?」
いきなりド直球質問が飛んできた。ここ数日は1人でお昼の時間を過ごしていたので、話しかけてくれるのはありがたかったが、内容が内容である。
「告ってもねーのに振られるわけ無いじゃん。てか、そもそも好きな人とかいねーし。」
「いやいや、この前蘭花ちゃんと二人きりでなんか気まずい空間を作り上げていたー、とか噂で聞いたぞ?」
なんかものすごくニヤニヤして聞いてきた。
「いや全然違うしー! ただ転校すると伝えただけだよぉ!」
強く否定したいという感情のまま、つい語気を強めてそう言い放ってしまった。
その声が少し多きすぎたのか、周りの一部の人がこちらを向いた。
「えっ、転校!?」
「おいまじかよ」
「どこに転校するの?」
普段から声のでかい連中が反応してしまったことで、教室がざわざわしてきた。教室中視線がこちらに向く。自分にこれほど視線が向かれたことは、4月に自己紹介してからあっただろうか。
とりあえず立ち上がってみる。すると、ざわつきがピタリと止み、教室のみんなが僕へ注目の眼差しを向けてきた。緊張で足が竦む。
「えっと……。実は、親の転勤で、4月に引っ越すので、4月からは、向こうの学校に転校することになりました。」
教室はまだ静まり返った。まだ僕のターンらしい。誰か喋ってくれ、と思っているが、誰も口を開かない。
「だから、ここにいるのも3月までです。それまで、短いですが、変わらず宜しくお願いします。」
分かりやすく驚いている人。僕の事情をなんとなく悟ってくれ、頷いている人。無関心で上の空の人。クラスメイトの反応は様々だ。少し教室のざわつきが戻ってきたとこで、僕は席に座った。
「いやー、寂しくなるな。」
「向こうでも元気でな。」
「あと3ヶ月か?それまでよろしくね。」
何人かが僕のところへ寄ってきて、話かけてくれた。今まで全く絡みの無かった人も声をかけにきてくれた。
寂しくなるなとは言ってくれたけれど、本当に「寂しい」と思ってくれている人は何人いるのだろうか。転校したら僕のことなどすぐに忘れてしまう人ばかりだろう。
教室の大勢の人と話す機会なんて今まで全然無かった。慣れないことをしたせいか、家に帰ると少し体が重い。
熱を測ってみると、37.4℃。やはり熱がある。
勉強が全然進まないから、多少具合が悪くてもやらねばならないと思い、問題集を広げたものの、頭が全く回らない。問題番号だけ記したノートとにらめっこしたまま、時間だけが過ぎていく。
やっぱり勉強は無理だ。一晩寝て治れば、と思い布団に入る。
僕は小学校にいるようだ。鉄筋コンクリート3階建ての校舎が、なんだか懐かしい。
昼休みのようで、グラウンドでは上級生たちがサッカーをして遊んでいる。
僕は昔から運動が苦手だから、小学生時代は昼休みで外にいるときも何もせずのんびり過ごすことが多かった。
特にすることもなく座っていたところ、こちらにサッカーボールが飛んできて、花壇の上へ転がってきた。ボールを追いかけてきた男の子は、花壇であることにも構わず足でボールをうまく操って、グラウンドのほうへ蹴り飛ばす。
男の子はそのまま戻った。花壇のほうへ目を向けると、植えてあった花が踏まれてぐちゃぐちゃされてあった。いつも花壇の世話をしている
次来たら注意したろう、そう考えていたら、またすぐにボールが飛んできた。
さっきと違う子ではあったが、花壇を荒らす動きは変わらない。
「あの……、そこ花壇なので荒らさないでもらえます?」
「ああ゛?」
そいつ振り返り、僕を睨みつけてきた。
背中が一瞬凍った。
というか、嫌なことを思い出した。
こいつらは小学校でも有名な悪い先輩だ。
自分に都合が悪いことになると、すぐ怒って手を出してくるような連中だ。
「おめぇ、もういっぺん言ってみろ!」
鬼のような形相で睨んだまま、そう言ってきた。
「そこは花壇だから、上がらないでください!」
「ぅるせえ!だまってろ!」
理不尽にもキレられた。
拳がこちらにくる。
その手の動きがなぜかスローモーションに見えた
避けたいけれども、身体が言うことを聞かない。身体がまったく動かない。
これは顔面を殴られる———
「うわぁ!!!!」
ベッドから起き上がりながら叫んでいた。呼吸は荒い。見えたのはかすかに光る足元灯だけの、真っ暗な世界だった。
なんだ、殴られそうになったのは夢だったのか、と少し安堵の溜息が漏れる。
枕元に置いてあるデジタル時計を見る。まだ深夜の2時46分。上体は無意識的に置きあがったが、まだだるさが残っている。身体も熱っぽい。
もう一度横になって、布団をかぶる。
人間というものは不思議なもので、続けて寝ると夢の続きを見てしまうらしい。
僕は横になっていた。天井にはカーテンレールが見える。
横目で窓のほうを見ると、グラウンドが見える。ここは保健室のようだ
人が立っているのが確認できた。女の子だろう。
顔を見て誰なのかを確認する。
優奈ちゃんだ。
「…目、覚めたの? 良かったぁ」
ホッと息をついて、安堵の表情を見せた。
僕はどうしてここで寝ていて、優奈ちゃんに心配をかけてしまったのかと考えたが、すぐ答えはでた。
そうだった、僕は殴られたのだった。その割にはケロッとしている。
そして、もう1人、こちらに近づいてきた。
「おかあ…さん?」
お母さんだった。
紛れもなくお母さんだ。
今までの不安や辛いことが心の底からあふれ出してくる。
そして、同時に安心感も募ってきて、目から涙がこぼれ始めてきた。
「おかあさん… おかあさん………!」
頭を撫でてくれた。気持ちいい。安心感がさらに倍増してくる。
お母さんの胸元に頭を預けて安らいだまま、意識が遠のいていく。
結局、朝になっても体調は戻らず、体調が戻ったのは冬休み前最後の日だった。浩二たちには心配されたが、この間声をかけてくれた子たちはスルー。
最終日ということもあり授業がほとんどなかったことだけが救いだった。
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