想いは雪の如し

大谷

前編 初雪

 初雪が観測されたというニュースが流れている中、父親から大事な話があると言われた。

 転勤が決まり、4月になったら家族で引っ越すことになった、どうやら西のほうに行くらしい。大きな都会ではないが、名前ならだれもが聞いたことがある都市だった。

 僕はまだ高校1年生。もう高校生だから一人暮らししても良いのではないか、という話にもなったが、どのみち大学でするし、大学受験のときの一人暮らしはさすがに厳しいだろうということから、向こうの高校に転校することにした。

 友達に「転校する」と伝えなければならない。先生が代わりに伝えてくれると言ってくれたが、断った。やはり友達には自分の言葉で伝えたい。

 編入先の高校も決めたところで、編入試験の勉強を始めた。あまりレベルが変わらないとはいえ、普段は定期テストの勉強しかしていないから、さすがに対策しながら勉強しておかねばならない。


 朝から教室で勉強していると、友達の浩二こうじから声をかけられた。高校に入ってから最初にできた友達だ。

「おっ、朝から勉強か?珍しいな。雨でも降るのか?というか今日は雪降ってたな」

 奇妙なものを見る目をして、なんだか僕をバカにしているような口調で言ってきた。でもこれが彼の平常運転だ。

「おはよう、浩二。これは試験勉強。」

「試験勉強?おいおい、今度の定期テストは2月だぞ。2ヶ月前から始めるって、お前急に真面目になったな」

「いや、実は4月になったら転校することになったんだ。で、これは転校する先の高校の編入試験のための勉強ってやつ。」

 意外にもあっさり「転校する」と言ってしまった。

「えっ、マジで!?……」

 浩二は言葉を失っていた。でもこれは正常の反応だと思う。普段通りの朝、何の前触れもなくさらっと重大な事実を伝えたのだから。しかも仲の良い友達から、転校という別れの話を切り出されたのだ。

 しばらく言葉が出ず、呆気に取られた表情をしていた浩二だったが、口を開いた。

「そっか、寂しくなるな。残りちょっとの間、変わらずよろしく頼むよ」

「ありがとう。これからもよろしくな」

「で、これは他の誰かに言ったのか?」

「いや、お前が最初だ。最初がお前なの、なんか嫌だな」

「嫌ってストレートに言うな。失礼だな」

 寂しそうな感情を隠せないまま、いつもの笑顔に戻っていた浩二だったが、何か思いついたのか急にニヤニヤしながら尋ねてきた。

「もしかして蘭花らんかちゃんに先に言いたかったのか?」

 蘭花ちゃんは委員会が同じで、それのおかげで一緒にいることが多い。難関大学を志望しているだけあってクラスで1,2を争うほどの学力を持つが、それ以外はいたって普通の女子高生である。

 そして、僕は少しばかり彼女のことが気になっている。「気になっている」と誤魔化しているが、どうやら浩二には僕の好きな人と解釈しているらしい。事実かもしれないけれど。

「うっせーな、ちゃうわ。」

 とぶっきらぼうに言い返した。浩二は疑いを持った目をしつつも口元はにやけている。自分は恥ずかしくなって目を机の上の問題集に移した。浩二はこのまま追求できないと考えたのか、諦めたように話題を変えてきた。

「俺が他のみんなに言っておくか?」

「うーん…」

 少し考えたが、以外とすぐに答えが出た。

「いや、言わなくてもいいよ。友達には自分の言葉で『転校する』って言いたいし。」

 浩二の口からみんなに伝えてしまっては、先生の提案を断った意味が無い。それに、自分が伝えたい人には早めに自分の口から伝えてしまいたいのだ。その思いが強かったせいで少し強めの口調で言ってしまった。

 浩二は少し気まずく思ったのか

「オーケー、わかった。とりあえず勉強頑張れよ」

 とだけ残して立ち去っていった。



 それから何日か経った。まだ浩二以外、誰にも伝えていない。

 地面にうっすらと雪が積もっている。この程度なら何もしなくても昼になったらとけるだろう。白い息を吐きながら、今日も学校へ向かう。この学校に通うのもあと3ヶ月もない。

 今日の放課後は委員会の仕事がある。今日は少しだけ遅くなりそうだった。教室の加湿器についての説明会を委員として受けること、それから加湿器を教室に運び込み、試運転をして異常がないか確認すること。本来なら加湿器はもっと早い時期に教室に置かれるはずであったが、配布のときにいくつか故障が発覚したので僕らのクラスが後回しの対象になっていた。

 放課後あった説明会は、後回しとなったクラスのみなので、僕らを含めて8人ほどしかいなかった。

 先生の長ったらしい説明を、隣では蘭花ちゃんが真剣な表情でメモを取っている。一方、僕はそんな横顔をチラチラ見ながら、ボーっと聞き流していた。この後は2人だけでの作業があるから、このタイミングを逃すと当分言うチャンスは巡ってこないだろう。どう話を切り出すべきなのか。

 そんなことをずっと考えていたら、いつの間にか説明は終了していた。加湿器を教室に運ぶ作業と試運転だけ。

 僕が加湿器を抱え2人並んで廊下を歩いていると、蘭花ちゃんが口を開いた。

「さっきの説明会、全然話聞いてなかったでしょ!」

 少し尖った口調で言ってきた。

「いやいや、ちゃんと聞いてたしー」

 とりあえずごまかした

「いや、絶対聞いてなかったでしょ。この前の委員会でも、メモ取っていると思ってたらお絵描きしてたし」

「はい、その通りです。今回も全然聞いていませんでした。ごめんなさい。ちょっと考え事してて…」

「でしょうね。やっぱりちゃんとメモ取っていて正解だったわ。」

 お叱りを受けながら歩いているうちに教室についた。教室にはもう誰もいない。夕方から雪という予報があったからか、普段教室で勉強している人も今日は早めに帰宅したようだ。教室の暖房も切れているし、部屋は少しひんやりとしている。

 加湿器を指示されていた場所に置き、一息つく。蘭花ちゃんはメモを取り出し、それを見ながら作業をはじめた。

「で、何考えていたの?だれか好きな人のことでも考えてた?」

 ドキッとした。ここで大真面目に「はいそうです」と言えるわけがない。しかし、転校することを伝えるには絶好のチャンスかもしれないと瞬時に判断できた。なかなか言い出しにくいが、これはしっかり言わねばならない。少しだけ勇気を振り絞った。

「実はさ…」

 言う前に一呼吸置いた。浩二のときのようにさらっと言わないようにと気を付けた結果、間をつくってしまった。続ける。

「僕、4月になったら引っ越すことになったんだ。」

 彼女の作業の手が止まった。こちらをじっと見つめてきた。

 目が合った。なんだか恥ずかしくなってすぐ目線を少し下にずらした。


 無言の長い間ができた。

 この間をなんとかしなければならないと思い、さっき絞ってからになってしまった勇気をさらに絞った。

「けっこう遠くにいくからさ…だから…この学校通えるのも3月までなんだよね…」

 僕の口から途切れ途切れで言葉が出てくる。頭に浮かんでくる言葉をさらにひとつ、ひとつ、紡いでいく。

「だから…残りは短いけど…これからも変わらず…よろしくね…」

 口から言葉が完全に途切れてしたった。また無言の空間ができる。

 気まずい。まるで振られたような気分だ。もっとも、振られた経験なんて無いし、そもそも誰か女の子に告白したことなど無いから本当にそうなるのかは分からないけれど。

 長い沈黙の後、蘭花ちゃんが顔を下に向け、口を開いた。

「そっかぁ…そうなんだね…」

 さらに続けた

「向こうに行っても、元気でね。」

「うん、わかった…」

 気まずいムードは変わらない。この沈んだ雰囲気をなんとか断ち切りたいと思い、頑張って笑おうとした。いつもの明るい雰囲気に戻ってもらいたかった。

「でもそういう別れの挨拶的なものは転校する直前に言ってもらえる?まだここに3ヶ月はいるんだしさ。」

「いやいや、そっちがそういうムードにさせたんでしょうよ。」

 蘭花ちゃんはやや呆れた様子で苦笑いをした。いつもの感じに戻ったようだった。

 時計を見ると、もう教室に着いてから10分以上経っていた。

「やっべ、もうこんな時間じゃん。さっさと仕事終わらせて帰ろうぜー」

「これに水入れてきて。私はこっちやっておくから。」

 加湿器に水をいれるため、僕はタンクを持って教室を出た。

 水を入れながら頭の中を整理する。これで良かったはずだ、と自分に言い聞かせる。言いたかったことは伝えたはずだ。

 しかし、急に変な妄想が頭に浮かんだ。男女二人が放課後の教室、無言で向かい合っているというシチュエーション。傍からはどう見えるだろうか??? でもあれだけ無言の間があったにも関わらず足音も聞こえなかった。だからきっとだれも見ていないだろう、という少しだけ謎の安心感が生まれた。

 そんなことをボーっと考えていたらタンクから水が溢れ出ていた。慌てて水道を止めて蓋を閉め、水道場にあった雑巾でタンクについた水を拭く。

 戻るとタンクを設置して電源を入れるだけにしてくれていた。僕の出る幕が無いのではと思うほど仕事ができる子だ。

 スイッチを入れ、加湿器が稼働したのを確認するだけだが、立ち上がるまでなかなか時間がかかる。しかし今回沈黙を破ったのは蘭花ちゃんだった。

「ところでさ…、優奈ゆうなちゃんにはこのこと伝えたの?」

 はっとした。蘭花ちゃんから僕の幼馴染の名前が出てくることにも驚いたが、それ以上に彼女に転校することを伝えていなかった、という事実にうろたえた。一瞬どう答えれば良いのか分からなくなった。

「いや、それがまだなんだよ。なかなか会う機会が無くてさ…。」

 精一杯のごまかしをした。

「早めに伝えてあげなよ、昔からの仲なんでしょ。」

「うん…」

 やってしまった、どうして伝えていなかったのだろう。自分の過ちが心に突き刺さる。その過ちから少し目をそむけるために、浮かんだ疑問をぶつけてみた。

「てか、どうして優奈ちゃんのこと知ってるの?」

「えっと…、友達の友達ってところかな。」

 どうやら優奈ちゃんのクラスメイトに茉祐ちゃんという子がいて、その子と蘭花ちゃんが中学からの友達らしい。女子の人脈の広さには感心だ。いや、ひょっとしたら僕の交友関係が狭すぎるだけなのかもしれない。

 加湿器の稼働を確認し、今日の委員会の仕事は終わりだ。

「私はこれから部室に顔出してくるから。バイバーイ」

「うん、また明日~」

 1人になると、自分の過失がどれほど重大なものであったか。それが心に重くのしかかってくる。僕は何かから逃げるように学校を出た。


 外は雪が降っていて、地面はうっすら白みを帯びている。

 朝になったら積もっていそうだ。

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