第6話 何かを変えるには勇気が必要

 目を瞑り、火凛の言葉を反芻はんすうする。


『幼馴染がしたい』


 その言葉を言う事にどれだけの勇気が必要だったのだろうか。

 今の関係でも構わない。お互いにそう思っていると思い込んでいた。


 しかし、実際は違った。火凛はやり直したかったのだ。を。

 しかも、ただの幼馴染ではない。ただの幼馴染なら今で十分だし、実際に今日学校で公言している。火凛がやろうとしているのは、だと公表することだ。


「でも、いきなり仲良くしすぎたら大変な事になるって分かってたから。だから、少しずつ仲良くなろうとしてたの」

「……なるほどな」


 確かに、クラス内でカーストの高い彼女がいきなり仲良くしてきたらこちらにも色々と不都合が生じる。具体的には主に嫉妬ややっかみなど。あのチャラ男がいい例だ。


 考え込む俺を見て、火凛は一度目を瞑った。

「……違ったね。私、その前に言う事があった」


 火凛は目を潤ませながら、しかししっかりと俺を見る。


 そして、頭を下げた。


「あの時……ううん。あの時もだけど、今まで本当にごめんなさい。…………あの時、私は水音と仲良くする事を恥ずかしいって思ってた。そんな自分のくだらない羞恥心で水音を傷つけていた。辛い時は水音が慰めてくれたのに、水音はあんなに優しくしてくれたのに……私、一度も謝る事をしてなかったから」


 火凛に頭を上げさせようとした……が、止めた。火凛の覚悟を踏みにじる気がしたから。


「……まあ、寂しく無かったと言えば嘘になる」

 あの時は学校に行くことも辛かった。火凛に話しかけても無視され、そして男子からは嫌がらせを受ける日々。


 そして、とある男子からいじめを受けたりもした。この事は火凛も知らないと思うが、わざわざ言う必要も無いだろう。


『もう私に話しかけないで』


……そんな時にこの言葉はかなり心に効いてしまった。


 しかも、この言葉で何度他のクラスメイトにからかわれた事か。


 しかし、だ。


「だけど、許す」


 本来、許しを乞うべきなのは俺の方だ。なんせ、彼女の純潔を奪ったのは俺なのだから。

 それに、あの時の事はもう今では気にしていない。


 それでも、火凛はずっと気にしていたのだ。そして、今また勇気を出している。


 その姿はとてもかっこいいと思った。


 だから、俺も勇気を出さなければいけない。




「――俺の方こそすまなかった」

 火凛に向かって頭を下げる。


「――え?」


「火凛が今まで、何かを言おうとしてくれていたのは分かっていた。そんな時……俺はいつも逃げていた」


 火凛が気持ちを全て明かしてくれたように。俺も誠意を示さなければいけない。


「……怖かったんだ。この関係が壊れるのが。また火凛が離れるかもしれないって考えてしまうのが」


 勝手に壊れるくらいなら、自分から壊した方が良い。そう思っていた。しかし、あの時火凛は『いや』と言った。


 その言葉にホッとしてしまった。火凛はまだ俺の居場所を残してくれているんだと思っていた。


 そんな現状維持を火凛は……望んでいなかったのだ。


 ……いや、自分の心から目を背けてはいけない。俺だってそれを望んでいるのだから。ただ、俺は臆病だった。だから、俺も変わらなければならない。


「『幼馴染をしたい』これは本当なら俺から言うべきことだったんだ。俺の方からも謝らせてくれ」

「ち、ちがっ、水音は何も悪くなくて、それに全部私から始めたことだから」

「いや、火凛は何も悪くない。悪いのは全て俺で――」



「はい、ストップ」


 その時、俺と火凛の間に腕が伸ばされた。


「お互いに言い合うだけなのは時間食うだけだよ。ここは第三者の私が整理する」


 それは、白雪だった。白雪は俺と火凛を一度見てきた。


「異論は?」

「……無いよ」

「俺もだ」

 白雪はそれを聞いて、パンと手を打った。


「それじゃ、まずは火凛からね。火凛が謝ったのは、今まで獅童君に迷惑を掛けていたから。それでいい?」

「良い……けど、でも、あの時」

「そこまで全部ひっくるめて獅童君は許したと思うんだけど。違うの?」

 白雪はそう俺に聞いてきた。


「いや、違わない。今までの火凛が迷惑に思っていた事は今ではもう気にしていない。だから、許した」

「おっけ。火凛は謝って、許して貰えた。これが今日の火凛の目標の一つだよ。これで良いよね?」

「で、でも」

「…………今は欲出さないで。細かいことは後で二人でやればいいから。火凛が謝って、許して貰えた。今はこれで納得しない?」

「う、うん……分かった。ごめんね」

「……良いっての。私達、親友っしょ?」


 白雪はそう言ってニカッと笑った。それにつられたのか火凛も微笑んでいる。


 ……しかし、白雪の笑い方はどこか不自然だ。どこかもどかしそうと言うべきか


「それで、次に獅童君。ごめんね。私、火凛からしか話聞いてないからさ。獅童君が謝りたいってのも、今まであった何かしらのこと、って事で良いの?」


 しかし、白雪にそう聞かれてその事はすぐに忘れてしまった。



「ああ……今日火凛から言わせてしまったことも含めて、だな」

「おっけ。それで火凛、どうすんの?」

「どうする……って、私はそんな事気にしてないし」

 火凛の言葉に、白雪は一瞬考え込む姿を見せた。


「気にしてない、って一言で終わらせるのは簡単だと思うよ。でも、獅童君はそうしなかった。この意味が分からない訳では無いでしょ?」

 その言葉を聞いて、火凛はハッとした。


「……そう、だったね。ごめ「ああもう! 謝りすぎ!」」



 火凛の言葉に被せるように白雪は声を荒らげた。


「二人ともマイナスな方向に行き過ぎだってば! どっちかからこの言葉が出ると思ってたけど、このままだと私が帰ったあともずーっとやってそうだし! これから先はごめんじゃなくてにして! そうすれば全部解決するから!」

 急なことに思わず目を丸くする。火凛も同じように白雪を見ていた。


 そして、お互いに力が抜けた。


 先程の違和感はこれか。だから白雪はもどかしそうにしていたのか。


「……ああ。その方が良いな」

「そうだね……奏音もありがとね」

「はい、どういたしまして。私と火凛は親友なんだから、遠慮しないでよ? それじゃ、まずは獅童君から。改めて言葉にしてみて」


 そう白雪は俺に振ってきた。数秒ほど言葉を考える。


「……そう、だな。火凛。今まで色々と面倒を掛けてしまった。助けてくれてありがとうな」

「ううん……どういたしまして」


 火凛ははにかみながらそう返してきた。その瞬間、心に引っかかっていたものが全て取り除かれた気がした。


 そこまで自分は単純だったのかと思ってしまったが、それはひねくれた考えだろう。



「はい解決! じゃあ火凛、獅童君みたいにもっかい!」


 今度は火凛へとそう振った。火凛は微笑みながら言葉を口にした。


「水音、今までめんどくさかった私だけど、いつも全部包み込んでくれてありがとう」

「……ああ。どういたしまして」


 そう返せば、火凛は一瞬の間を置いて微笑んだ。憑き物が落ちたような、純粋な微笑み。


 そんな俺達を見て、白雪は笑った。


「よし! 全部解決したね。それじゃ、もう一個の方話すよ」


 そう言われて先程までの会話を思い出す。そうだ、まだ返事をしていなかったのか。


「これは私が入るのは野暮だからね。火凛、心の整理も着いたっしょ?もう一回言ってあげて」


「うん」

 火凛はまたこちらの目をじっと見てきた。


「水音。また私と幼馴染を……やってくれますか?」


 その返事などとっくに決まっていた。


「ああ。俺の方からも頼む。また幼馴染をやろう」


 その言葉に火凛の瞳がどんどん潤み出していく。しかし、火凛は決して泣かなかった。


「よかったね、火凛」

 その頭を白雪はそっと撫でた。その目は慈愛に満ち溢れている。


 白雪もずっと火凛の事を気にかけてくれていたのだろう。


「白雪もありがとな。白雪が居なければここまで話が進まなかっただろうから」

「ん? どういたしまして! 獅童君もガンガン頼ってくれて良いからね! 私達ももう友達じゃん」


 そう言われて思わず固まってしまった。


「……友達か」

「そ、友達!」

 今度はそのニカッとした笑いを俺に向けてしてきた。裏表の無い、純粋な笑みを。




 そして、火凛の頭から手を離して俺と火凛を交互に見る。


「ま、そういう事だから。明日からは友達として二人のサポートとかするからね。あ、最初は獅童君から火凛に話しかけなくても良いから」

「……まあ、言いたいことは分かる」


 変にこちらから動けば周りとの軋轢が酷くなるだけだろう。それは二人も、俺も望んでいない。火凛や白雪から動いて貰えれば変なやっかみも減るはずだ。

 しかし、男としてそれはどうなのか? と思わない訳では無いが。


 ……とにかく、動いてはいけない。今は二人に任せながら俺の出来ることを探そう。


「よし、それじゃ色々解決したし、私は行こうかな」

「えっ? もう行っちゃうの?」

 唐突な言葉に火凛は素っ頓狂な声を上げた。それもそうだろう。白雪は俺と火凛の言い合いを纏めてくれた。それだけで帰していいのか。


「いや、だって。獅童君が来てるって事は……するんでしょ? 二人のアレを邪魔する訳にもいかないしさ。毎日ずっと夜遅くまでしてるらしいし……見てていいって言うなら見学してみたいけどね?」


 白雪はボソボソと小さな声で呟いていたが、部屋は静かなため全て聞こえていた。


「い、いや、違うよ? そんな、私が水音の体目的だったみたいな……」

「でも最初はそーだったらしーじゃんか」

「違っ……くて、あれは……うぅ」


 顔をリンゴのように真っ赤にさせて火凛は怒る……違うな、恥ずかしがってもいる。


「……あはは。からかうのはこんなところにしとこっか。実のところを言えば私も処女だから、ほら。火凛と獅童君のそーいうところ見てたら流れで三人で……とかなっちゃうかもしんないじゃん。獅童君も優しくしてくれるって聞くし」


「男の俺の前でそんな話をしないで――」

「それはダメ!」

 俺の言葉を遮って火凛は横から抱きついて来た。飛びつく形だったため、胸に抱き抱えられる形だ。頭が男冥利に尽きる場所にある。柔らかい。


「じょーだんじょーだん、あんたの幼馴染は取らないって。てゆかさ」


 俺の視界のほとんどがやわっこいもので埋まっているので、少しだけ首を動かすと、白雪は俺の手を指さした。


「いや、あんまり自然すぎて私も一瞬気づかなかったんだけど。それ、無意識じゃないの? 学校で気ぃつけなよ?」


 顔はそれ以上動かしていないが、そこに何があるのか……いや、なにをしているのかは分かる。



 床に置かれた手は、恋人のように手をからませていた。……いつからなのかは分からない。先程まで対面で座っていたから、今火凛が抱きついてきた時なのだろう。すっと流れるように手を繋がれた訳だ。しかし、その記憶は無い。


「……いつの間に。俺も気づかなかった。火凛は意図してやったのか?」

「うんん。気がついたらつい……いつも手繋いでたから……」

 言われてみれば、火凛が隣に座るようになってから手を繋いでいる事が多くなった気がする。致している時もずっと手を繋いでいるし。


 それにしたって、これは不味い。学校でそんな事をしている所を見られたら血祭りに上げられるぞ。火凛の事だから既にファンクラブとか出来ていてもおかしくない。


「もっと距離を置くのを習慣づけるしか」

「やだ! そんなの!」

 火凛は子供のように駄々を捏ねた。……そういえば、火凛はいつも手繋いだり頭を撫でたりだいしゅ……こほん。とにかく、身体的に接触の多い行為が好きだったな。


 精神的なものが影響してる可能性もあるから、今すぐ矯正は出来ないだろう。それに、俺が気をつければ良いだけの話だ。


「……学校で気をつければ大丈夫か」

「はぁ……火凛がこんな風になった理由はこれか」

「ん? どういう事だ?」


 白雪の言葉を疑問に思ってそう尋ねるも、なんでもないと一言で返された。


「ま、どっちにしろこんな青春と性春を行き来する場所に長居してたら本当に発情しかねないし、私はもー行くわ」

「違和感のある言葉遣いだな……」


「……ん、やっぱり行くんだ。また来てね、奏音」

「獅童君と火凛の絡みも面白かったし、また来るよ」

「今度は今日のお礼として美味しいものも用意しとくから」

「やった! じゃあ近いうちにまた来る!」


 そして、火凛は見送ってくるから待っててと言って外へと行った。


「……さて、どうするべきか」


 このままだと十中八九、俺はクラスメイト……いや、全校生徒の男子達から総スカンを食らう事になる。いくら火凛から動くにしても、だ。やっかみは消えないだろうし、過激な生徒もいるかもしれない。チャラ男のような。

 俺は別に良いのだが(どうせ一人だし)それを知れば火凛は悲しむだろう。もしかしたら解決しようと動くかもしれない。そこまで手を煩わせるのは男として……幼馴染としてダメだと思う。


 やはり最低限身だしなみを整えるべきだろうか? 髪を切って、服装に気をつけて、身だしなみを整える。香水なんかも使うべきだろうか?


 しかし、俺のセンスの問題もある。前に出かけた時に精一杯オシャレをしてみたのだが、火凛からは『その格好は私以外の人の前でしないで』と言われたのだ。何度聴いても良い意味なのか悪い意味なのか教えてくれなかったので、変に他の生徒を刺激する事になるかもしれない。


 だけど、今考えたところでどうしようもない。やっかみを受けたところでの話だ。


「まあ、火凛から隠し通せば良いだけの事か」

「何を隠すの?」


 気がつけば目の前に火凛の顔があった。文字通り目の前だ。鼻先が触れ合う程の距離。

「うぉわ。か、火凛か。早かったな」


 思わず仰け反ってしまう。それを見て、火凛はどこか不満そうに鼻を鳴らした。


「それで? 何か隠し事をしてるの?」

「い、いや、それはだな」


 やべえ。どうしよう。……あ、そうだ。


「前から言おうと思ってたんだが、いつも俺が泊めてもらってばかりで悪いから、今度は俺の家に泊まらないか……? ほら、長らく俺の母さん達にも会ってないし、水美みなみも会いたがってたから」

「行く!」

 目を輝かせて火凛は頷いた。

 なんだか今日の火凛は子供みたいだ。



「あれ? でもそれがどうして隠すのに繋がるの?」

 やっぱ誤魔化せないよな……さて……そうだ。


「それは……あれだ、男子高校生の部屋には人様に見せられないものもそこそこあってだな」


 大丈夫。嘘は言っていない。使う機会こそほとんどないが、見せたくないものぐらいある。アルバム写真とか。


「ふふっ、今更? お互いに体の隅から隅まで知ってる関係なのに?」


「いや、それとこれとは別と言いますかなんと言いますか」

「ふーん、そんな事言っちゃうんだ」


 とん、と胸を軽く押されてカーペットの上に仰向けに倒れる。


 あ、このパターンは。するんですね。いや、俺もしたいと思ってましたけど。


「なんか妬けちゃうな。私がいるのにそんなの持ってるって」


 そのまま押し倒される。俺の上で火凛は舌なめずりをした。


「今日のこと、ありがとね。その分、いっぱい気持ちよくしてあげる♡」



 その日はお互いに貪り尽くしたとだけ記して置こう。気がつけば朝になっていたとも。


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