11.命の軽重

「荏喜雨は?」


 皇帝の玉座の背後から、彼女は一言発した。大きな声ではないが、呉三娘の声はよく通る。


「彼女はどんな罪を犯して死ななければならなかったの?

 まだ十八歳で、身よりもなく、充媛に仕えていただけの、荏六品は?」


「し……仕方がなかったのです。

 芹充媛様を逃がすためには、代わりの体が必要で、油は後宮に持ち込めてもさすがに死体を運び込むことはできず、それなら後宮にあるものでなんとかしなければならないと。

 それなら、悲しむ者もいない、あの侍女が一番――」


「一番都合がよかった?」


 呉三娘の言葉に、莞太医は黙り込んだ。代わりに口を開いたのは芹太常卿とその娘だ。


「しかし、彼女はもともと奴婢の身分です。引き取るに当たって我が家の使用人の養子にしましたが、それでも庶人、それを殺したとして、貴人たる我々がそれほどの重罪になるとは」


「あの子は常々、人並の生活ができるのは芹家のおかげだと感謝していましたわ。

 孤児が成人まで生き延びられるのは稀でしょうし、生き延びられたとしてまともな生活は望めないものでしょう? ここで死んだとして、我が家に引き取られなければ遅かれ早かれ、同じような死を迎えていたはずです」


「だから、殺してもよかった?」


「いいえ、そういうわけでは……」


「ただ、事情を汲んでくだされば、と」


 呉三娘が刑部尚書に「どうなの?」と声を掛ける。まるで字引扱いだが、初老の尚書は文句も言わずに答えた。


「それを勘案しても、先ほどの量刑に変わりはありません。いずれにしろ出仕に際し六品の官位を賜った時点で、荏六品は奴隷でも庶人でもありませんからね。

 ちなみに身分が下の者が上の者を殺せば罰は重くなりますが、逆の場合に軽くなるということはないのです。命の重さは同じで、身分による影響度に関して加算があるという考えですね。

 まあ、見ようによっては、軽くなるように見えるかもしれませんが」


「玉も石くれも、石は石ということだな」


 呉三娘は冷え切った目で運命の恋人たちをしばし眺めてから、ぽつりと零した。


「そんな……」


「あれのために私が死ななければならないなんて! そんなのってないわ!

 あんな孤児上がりのために、どうして私が!」


「甘露!」


「違うわ! ちがう……

 ああ、皇后陛下、お慈悲を! 私は愛する人と結ばれたかっただけなのです!

 こんなの、こんなのは嫌……!」


 身をよじり、我を忘れて哀願する姿は、どれほど乱れていようと美しかった。だから、父親も彼女に多大な期待を寄せ、掌中の珠として育ててきたのだろう。その結果がこの愚かなまでの選民思想だとは。

 呉三娘は、割り切れない思いで、ため息をついた。

 と、「はっ」と嘲笑うかのような息を漏らし、皇太后が声を発した。


「だから?」


 その声は、明らかに怒りを含んでいた。


「この国で、『愛する人と結ばれる女』がどれだけいると思っているのよ。夢を見るのも大概にしなさいな」


「で、でも、平民は」


「平民の女だって父の許しがなければ結婚はできないのよ。

 ましてや私たちのような名家の女はね。

 そりゃあね、男たちは愛する女を妾にすることもできるんだもの、そういう意味では不公平だと思うわよ。

 だけど、私も、ここにいる皇后も、恋した相手と結婚なんてできないのよ。そう、四大国の国公の娘であるこの呉三娘であってもね。なーにが愛する人と一緒にいたかった、よ。太常卿の娘が聞いて呆れるわ。

 そんなことのために殺されるなんて、荏なんとやらも浮かばれないわね」


 最後にもう一度「はんっ」と鼻で笑ってから、皇太后は宝座に背を預けた。


「……私も皇太后様と同意見だ。

 まあ、お前に命の重さだとか、貴族の娘の生きざまだとかを説くつもりはない。その愚かさのために罰を重くしようとも思わない。罪に対する罰は法で決まっている」


 呉三娘が冷え冷えとした声音で言い、皇帝を見やった。


「そうだな。私も皇后と同意見だ。法に則り――」


「お待ちください! この子は! お腹の子はどうなるの!?」


「無礼者! 誰ぞ、この女の口を塞げ!」


 芹充媛が皇帝の言葉を遮り、内侍が眉を吊り上げて叱責した。鉄砂宮の兵が懐から手巾を出して充媛の口へ宛がおうと動き出す。

 呉三娘は皇帝の耳元に口を寄せて尋ねた。「どうされますか」と。


「――法に則り、処するように。妃嬪が生んだ不義の子は通例に従い死を」


 淡々と少年皇帝が言葉を続けた。芹充媛は抑え込まれてもなお泣き叫び、衛兵が苦労して猿轡を噛ませようとしている。


「どうして! この子には何の罪もないのに!」


 莞太医もすがるような目で皇帝を見上げている。


「後宮で、皇帝の胤ではない子が生まれるということ自体が大罪なのだ。皇帝の閨事は敬事房で余さず記録しているが、皇城の外の庶民は後宮で起きたことなど知らぬ。後宮で生まれた子供がいつか、皇帝の子を僭称する可能性は否定できない。

 あなたがこの子を救えと言うのは即ち、皇統の簒奪を目論んでいると言っているようなものだ」


 楊宰相が芹充媛の前に立ちはだかって厳しく指弾した。


「さらに謀反の罪まで背負いたいというのなら、続ければよい」


「あ……そんな……」


 それきり、芹充媛もがくりと項垂れ、意味のある言葉を発することはなかった。皇太后が重いため息をついて、「嫌な話ね」と呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る