10.運命の恋人たち

 やがて近衛兵と鉄砂宮の兵に連れられて、一組の男女が聴世殿へと連れ込まれた。

 一人は、艶やかな黒髪を乱した美しい少女。もう一人は太医の官服を身に着けた若い男性だ。その場にいる誰にも一目で分かった。それが、芹充媛と例の太医であるということが。


「皇后陛下、これは……」


 最初に声を発したのは、楊宰相だった。


「これが、後宮を逃亡した理由ですか……」


「そして、翁茶の事件の原因でもある」


 芹充媛は質素な襖と裙を身に着けており、浅黄色の裙は――下腹部がふっくらと膨らんでいた。

 彼女は目に見えて分かるほどに震えていて、一人で立つことができないのか太医に体を支えられていた。支える太医は表情が抜け落ちて青ざめた顔をしている。


「翁茶は妊娠してから半年までに飲めば堕胎することができる。除虫菊と取り違えたと偽って、故意に除虫菊を飲んだんだ。疑われないように蓮生殿の他の妃たちにも配ってね。

 残念ながら、出血はしたものの、うまくはいかなかったようだけど。おそらく、すでに産み月に近くなり過ぎていたのではないかな」


「あら。じゃあもう生まれてもおかしくないのね。あまりお腹が膨らまない体質なのかしら」


「ええ。そうなのでしょう」


 あの時――翁茶の件で皇后が不染殿を訪ねた時、芹充媛はゆったりとした大袖衫を身に着けていた。元々体の線が出にくい着物を更に緩めに着つけていたし、体の前で手を組み、前かがみになれば袂で腹部が隠される。

 宦官含め官服の袍もまたゆったりとしているし、大袖衫と同じく袂が大きく作られているので、体の前で手を揃えていれば、腹のふくらみは目立たなかったことだろう。


「皇后、それではやはり、焼死したのは消えた侍女ということかな」


「ええ。侍女の名は六品の侍女・荏喜雨じんきう。元は芹家が慈母院から引き取った孤児でした。

 あの日、夕方に太医・莞凌雲かんりょううんが宦官に連れられて双松殿を訪れた。室内には芹婕妤と荏六品と、宦官と他の侍女たち。

 まず最初に荏の体の自由を奪う。例えば、莞太医の得意な点穴てんけつとかね。それから衣服を剥いで充媛の衣を着せ、念のために手足を戒めて、寝台に横たえた。

 寝台の周りにたっぷりと油を撒き――慈母への祈祷のために祭壇の前には甕二十個ほどの油が置かれていたそうだから、十分に撒けたことだろう。

 それから、あらかじめ燃え尽きる時間を計測しておいた線香か蝋燭を油の上に設置する。


 充媛は宦官の衣装に着替え、宦官は侍女の服を身に着けた。女装した宦官は、そのまま双松殿の侍女の部屋に隠れる。侍女たちも知っていたということだね。

 充媛は莞太医と一緒に後宮を出て、太医院へ。

 太医院で予め用意された女物の衣装に着替えて、芹家が入手しておいた、長楽宮への遣いのための牌を身に着け、宮城を抜け出した。


 夜になり、女官が就寝前の点呼をしても、宦官が荏六品のふりをしているので侍女の人数は合っている。宦官の数は足りないが、太医院へ出て行った記録はあるので、女官はさほど不信に思わなかったそうだ。侍女たちと違い、宦官は内廷と外廷を自由に行き来できるし、不義の心配もないから比較的管理が緩やかだから。

 そして、油に火がついた」


 聴世殿の中は静まり返り、呉三娘の声以外に聞こえるのは、芹婕妤の乱れた呼吸の音だけだ。


「混乱に乗じて宦官は女装を脱ぎ捨てて肌着姿で避難する。荏六品の体は、見分けがつかないほどに焼け焦げる。その頃には芹婕妤は自由の身。隠れ家に身を隠し、あとは子を産む準備を整えるだけ」


 呉三娘が語り終えると、芹太常卿ががくりと膝をついた。しかし助け起こす者はいない。


「自害するにしても火というのはおかしいと思っていました。毒でも紐でもなく、火を用いたのは身元を隠すためだったということですね」


 最初に声を発したのは、楊宰相だった。


「さて、そうなると――後宮での放火に加え、不義密通、六品の侍女の殺害も罪状に加わりますな。これだけのことをするのに、当事者だけでどうにかできたはずはない。双松殿の侍女たちも、芹家も共犯だと考えるのが自然です」


「お、お待ちを! 私は、娘が火をつけるつもりだとは知らなかったのです!

 確かに、不義により妊娠したことを知り、後宮から抜け出すための協力はしました。しかし、子が生まれたら戻すつもりでいたのです!」


 這いつくばったままの太常卿が裏返った声で叫んだ。しかし彼を見る他の者の目は冷たい。

 と、そこへ芹充媛が莞太医から体を離して玉座の前に跪いた。


「父の言う通りです。父は私を逃がそうとしてはくれましたが、火をつけることは知りませんでした。私がすべて考え、実行したのです。

 私は――私は彼を愛しています。再び後宮に戻ることなど、考えられませんでした。芹充媛が死んだことにすれば、後宮に私の居場所はなくなる。どこかでひっそりと、彼と子供とともに生きていければ、ただそれだけだったのです」


 莞太医も恋人の隣に跪いた。年のころは二十歳を少し過ぎたころか。男らしい顔立ちの、知性的な瞳が印象的な人物だった。


「甘露が後宮に召されたとき、一度はこの思いを諦めようと思いました。けれど、太医として後宮で彼女と再会し、妃としての役割も果たすことができず、ただただ宮殿に閉じ込められているだけの彼女の境遇を知り……今なら私に靡いてくれるのではないかと、思いを抑えることができなくなってしまったのです。

 すべては私の愚かさ故のこと。私が彼女の心の隙に付け込んだのです。

 許されぬ過ちを犯したことは理解しています。どのような罰も受けます。

 けれど、どうか、芹家と芹充媛様へはお慈悲を賜りたく、伏してお願い申し上げます」


 芹充媛と莞太医は、揃って叩頭した。


「顔を上げよ。何を言おうとお前たちが犯した罪は許されざるものだ」


「はい、心得ております」


 太医が顔を上げ、跪いたまま答えた。楊宰相が刑部尚書に目くばせし、咳払いした彼が一歩前に出る。


「放火と殺人だけで、芹充媛様と莞太医は死罪、協力した上、親である芹太常卿夫妻も死罪、莞太医の両親も同じく。あとはどう死を賜るか――凌遅、腰斬や毒杯、絞首など――と、一族のどこまで責任を負わせるか、ですね」


「両親は何も知らないのです! 罪を犯したのは私です、罰を与えるのなら私だけにしてください!」


「そんな! 私はただ、愛する人とともにありたいと願っただけです! どうして死ななければならないの!?」


 莞太医と芹充媛が取り乱して皇帝へといざり寄り、兵たちと内侍が間に入る。しかし恋人たちは尚も皇帝に言い募った。

 呉三娘は、冷え冷えとした心持ちで醜態を晒す三人の貴族を眺めていた。


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注)点穴:この話では針麻酔の一種

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