09.名探偵、みなを集めてさてと言い

 聴世殿の帳の後ろに、呉三娘は腰を下ろした。何故か皇太后もいる。太皇太后はいないようで、少し胸をなでおろした。


「随分と色々嗅ぎまわったようじゃない」


「お褒めにあずかり光栄です」


「言うようになったわねえ」


 挨拶がわりに皇太后と言葉を交わし、皇后は皇帝の前に跪く男に視線を移す。芹太常卿は、充媛の父らしく色の白い上品な貴公子だった。

 内侍が立つよう命じ、太常卿がしずしずと立ち上がる。


「それでは、申し開きを聞きましょう」


 楊宰相が促せば、芹太常卿は目礼してから口を開いた。

 なお、聴世殿には楊宰相の他に刑部尚書、御史大夫、宮正も立ち会っている。正式な裁きの前に、当事者の話を聞くために場を設けた、ということになっている。


「まずは、我が娘が引き起こした愚かな行いについて、心よりお詫び申し上げます。

 ――我が娘、充媛・芹甘露は、先だっての翁茶と除虫菊の取り違えにより、皇后陛下に双松殿での謹慎を命じられました。

 娘は皇帝陛下のお傍近くに侍り、いずれは御子を挙げるべく、一族の期待を一身に背負って出仕いたしました。それが、侍女の些細な過ちによって陛下から遠ざけられ、どれほど絶望したことでしょうか。

 父としては情けないことに、後宮の奥深くに閉じ込められた娘の思いを知ることができず、また娘も助けを求めることができず、いつしか心を病んでしまったのでしょう。

 もはや陛下の寵愛を得るべくもなく、後宮の最も寂れた宮に逼塞し、娘は破滅的な死を望むようになったのです。激しい炎に身を焼かれ、跡形もなく消え失せたいと、そう思ったのでしょう。

 許されぬ罪を犯したことは、承知しております。

 しかし、まだ世間も知らぬ年若い娘が思いつめた末の行動です。どうか、どうか、お慈悲を賜りたく……!」


 太常卿は再び跪き、叩頭――床に額を打ち付ける礼――をした。


「立ちなさい」


 声を掛けられて、彼は叩頭を止めて立ち上がり、それでもまだ深々と頭を下げた。


「放火は重罪だ。ましてや皇帝陛下のおわす宮中でのことだ。本人が死んだから、それで終わりというわけにはいかない」


 楊宰相が目くばせすると、刑部尚書が頷いた。


「それはもちろん承知しております。

 私はただ――当家にはまだ年若い息子がおります。もしも息子まで罪を背負うことになったら、と思うと、娘を失った妻が更に辛い思いをするのが哀れで哀れで……。叶うことなら、息子にはお慈悲をいただければ、と」


 放火は本人は死罪、家族は都から追放だ。更に貴族の場合は免職、左遷も伴う。しかもこれは普通の放火の場合で、宮中でのことともなれば家名断絶もあり得る。いつの日か恩赦でも出ない限り、中央に戻るのは難しいだろう。


「ふむ。卿自身は罰を受けるとして、家督を息子に譲り、家名の断絶は避けたいというところかな。刑部尚書、刑罰としてはどうだ」


「はい、宰相閣下、他に死者も出ておりませんので、皇帝陛下のお気持ち次第かと存じます。まあ、双松殿の再建費用は弁済すべきかと思案いたしますが」


 臣下たちの目が、皇帝に向いた。


「判断する前に、宮正の調査結果を聞きたい。後宮のことだから皇后の意見もね」





「――というわけで、未だ双松殿のご遺体が芹充媛様とは確定されておりません。

 分かっていることは、芹充媛様が不正を用いて放火の道具を手に入れられたこと、芹充媛様と侍女が一名行方不明になっていること、火事の発生した日に芹充媛様と同じ位置にほくろのある宦官が、太医とともに後宮を出て戻っていないこと、です」


 袁宮正は説明し終えると、一礼して壁際の官吏の列に戻った。

 最後の下りは、これまで伏せていたため、聴世殿に騒めきが広がった。これではまるで、芹充媛が後宮から逃亡したかのようではないか、と。


「なるほど。この事実をうまく説明できる筋書はあるかな」


「件の宦官を連れて出た太医から話を聞くべきかと存じます」


 口を開いたのは刑部尚書だった。すかさず宮正が答えた。


「御史台に協力を依頼し、すでに取り調べしてあります」


「ええ、取り調べの結果はこちらに」


 御史大夫が内侍に報告書を手渡し、皇帝は内侍から受け取った報告書を開いた。


「要旨をご説明しますと、彼は太医院から薬を持ち帰るために双松殿で付けられた宦官を連れて行っただけで、太医院から出た後は知らないと申しております」


「しかし、彼はずいぶん頻繁に双松殿に、芹充媛が移される前は蓮生殿に往診に行っているね。昔からの主治医か?」


「いえ、娘の主治医ではありません。ただ、彼の家とは往来がございますので、見知った者の診察を受けたかったのでしょう。何しろ後宮は孤独な場所ですから」


 芹氏の弁明に口を差しはさんだのは皇太后だった。帳を隔てていても分かるであろう、棘のある声が投げかけられた。


「おや、まるで皇帝にお仕えするのが不幸かのように言うのね。言っておきますけど、別に好き好んであなたの娘を召しだしたわけじゃないのよ。言葉に気をつけなさい」


「は、いえ、決してそういう訳では。何しろ今上陛下にはすでに皇后が立てられておりますし、しかもかの樨国公のご息女です。娘も身の置き所が」


「へえ、まるで私が充媛を虐げていたかのように言うではないか。どうせなら本当に虐めておけばよかった」


 今度は皇后に言い返され、芹太常卿の顔が赤くなる。


「いえいえ、そうではなく。後宮は女の世界ですから、陰湿な嫌がらせもあったであろうと」


「なるほど? 皇后の管理能力に難ありと」


「そ、そんな邪推をされては……! だから」


「だから何。邪推をするような皇后だから娘は自殺したのだと言いたいのか。そう、私が若く美しい娘に嫉妬して翁茶の件で度を越して厳罰を課したとか?」


「な、いえ、皇帝陛下! 私が言いたいのは娘は親元から離れて孤独を感じていたということなのです!」


「それなら最初からそう言えばいいのよ、ねえ、皇后」


 皇太后は皇帝の家庭のことに嘴をさしはさまれるのが不快だったのだろう、刺のある声音だった。


「そうですねえ、皇太后様」


「そうだな。朕もそう思う。

 お前の周囲を中心に、皇后を中傷する噂が流れていると聞く。娘を救いたい気持ちはわかるが、陰湿な真似はするな」


「皇帝陛下……。娘は、娘は」


 弁明をしようとした芹太常卿は、言葉をつけられなかったのか絶句して項垂れた。


「さて、話を続けようか。

 宮正の話では、死んだのは充媛か侍女かは分からないという話だったが」


「本人に話を聞くのが一番早いでしょう」


 呉三娘が言うと、衛兵がさっと動いて聴世殿を出て行った。太常卿が狼狽えて周囲を見回した。


「ほ、本人というのは……?」

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