08.双子侍女による解説にならない解説
皇后呉三娘が、表には出さずに激怒していることは、付き合いの長い双子侍女にはよくわかった。
彼女は武人であり、容赦なく命を刈り取るが、命を軽んじているわけではないのだ。龍婕妤に言った通り、殊に非戦闘員には非常に優しいのである。命が何より大事! などということは言わないが、基本的に犠牲を出さないように努める人だ。
それに加え、芹家の後宮をなめくさった陳情の数々。
この世界の人間は、
後宮での焼身自殺と、後宮での放火殺人プラス後宮からの逃亡なら後者の方が罪は重いのである。
実家の呉家の情報網も使い、呉三娘は火事に関することだけではなく芹家自体の情報も集めていた。
「根が腐った大木は、さっさと伐らないと迷惑だからねえ」
そう言った彼女の目は、口調とは反対に剣呑なものだった。
「お金持ちだねえ。こんなに賄賂を送れるなんて」
後宮の門衛たちに渡った金銭や、図られた便宜、更に後宮の外での根回しに使われた費用は、いささか度を越していた。確かに芹充媛の父の正三品太常卿という地位は、かなりの高位ではある。だが、この度の支出は血迷ったとしか言いようがないほどのものだ。
芹充媛は、原作小説では呉三娘の最初の犠牲者となる妃嬪だった。誰よりも美しく、出産可能年齢であったことから、皇帝の寝所に呼ばれることも多かった。それ故に孤独を深めた名ばかり皇后の恨みを買い、惨殺される。後宮で続出した呪殺事件の端緒となった事件だ。
だから、双子侍女としては少々気がかりではあるのだ。この事件をきっかけにして、呉三娘が闇堕ちしてしまうのではないかと。
☆
「太常寺かあ。まあ自分たちでも賄賂はもらっているだろうけど。後は横領かなあ。
それとも、身代を傾けてでもどうにかしたいことがあったとか?
よくない感じがするねえ」
こういう時の呉三娘の勘は外れない。神獣でもある彼女は、悪徳の匂いが分かるのかもしれない。
「ああ、やっぱり?
よくないねえ、祭祀を司る地位の人が、そういう悪いことしちゃあね」
鼻が利くのは呉三娘だけではない。冥明明は樨国から連れてきた者たちの中でも非常に鼻が利く。戦場では斥候を担当していた彼女の能力は、犬と同等、いや、総合的に見れば遥かに凌ぐと言っていい。
「流石に双松殿の周辺は焦げ臭くて駄目でしたが、太医院からの臭いは追跡できましたよ。
あの日、芹充媛を診察した太医の臭いを追跡した結果、一回だけ普段と違うところへ向かっていました。立ち寄り先全て、呉家の者が見張ってます」
それから、宮正もきっちり仕事をこなしてくれた。この人は、前皇帝時代に宦官に権限を奪われて逼塞していた時代の恨みがあるのか、その反動で実力を認めてくれる呉三娘に好意を抱いているようだった。太皇太后や皇太后と対立した時に皇后につくかは分からないが。
「どの門衛もよく覚えていました。太医とともに、少しふくよかだが、美しい宦官が通ったと。
それから、あの日太医と退出した宦官は後宮に戻った記録がありませんでした」
「でも双松殿で消えたのは芹充媛または侍女一人だよね。火事の後にいつの間にか戻っていたってこと?」
「はい、そういうことになります」
「あと、ですね。外の人にも協力を頼んだのですが、あの日、芹家から頼まれて臨時の牌を発給したそうです。長楽宮の太皇太后陛下への付け届けを運ぶ、若い女性ばかり五人分です。まあ、例によって鼻薬をきかされて、入城する者を実際には確認せずに渡したらしく……」
「四人が牌を使って皇城に入り、五人が牌を使って皇城から出た」
「――かもしれません。牌がないのに入ろうとするものは見咎めますが、牌を余分に持っている分には門衛に止められることはまずないですから」
つまり、芹充媛は双松殿から宦官の振りをして後宮を出て、用意されていた牌を使って太医とともに皇城から出たと、という推理が成り立つ。長楽宮は太医院とそう遠くない。
「謎は全て解けた!」
寿珪と嘉玖は、びしりと人差し指で中空をさした。呉三娘が白けた目で二人を見ている。
「何言ってんの? 謎なんて最初からないよ」
「ええ~でもお」
「管理の不備を突かれたってだけ。調べればいずれ分かることだよ。
だからあんなに芹家は私に陳情してきたわけだねえ」
呉三娘は、この時代の人にしては非常に合理的な考えを持っている。
だから――双子侍女は思う。芹家が何を考えて、こんなことをしでかしたのかは知らないが、普通に後宮から出してくれって頼めばよかったのに、と。彼女はきっと、何らかの理屈をつけて、認めてあげたはずだ。
「しかし、どうして芹充媛はこのようなことをしたのでしょうか。
この方法を使えば芹充媛を連れ出すことはできたのですから、火事を起こす必要はありません。
一時的な退出ではなく妃嬪の地位を返上したいというのなら、そう申し出ればよかったのです。
人の命を奪ってまで、このようなことをする理由が、私にはわかりません」
生真面目そうな宮正が、訥々と心情を述べた。まるっと同意である。
「それはねえ、『芹充媛』の焼死体が必要だったんだと思うよ」
「焼死体が……?」
呉三娘はしばし、宙を睨みつけて、それからぽつりと零した。
「血生臭かったしな」
「え?」
相変わらず、皇后は宙を睨みつけている。双子侍女は知っている。こういう時、彼女の脳みそはものすごい勢いで回転しているのだ。牢から脱出して、樨を取り戻す策を考えている時も、央都を奪還する策を考えているときもこういう顔をしていたからだ。
そして、そういう時の呉三娘は絶対に失敗しない。
「主、何言ってるんですかあ?」
「だとしたら――うん」
そして、勝手に納得して頷いた。
呉三娘は冥明明に視線をやると、指示を出した。
「見張りをつけているところへ踏み込んで、中にいる人を連行させて」
「おっ!
呉三娘は寿珪の言葉を無視して、宮正に指示を出した。
嘉玖も「神妙に縛につけぃ」と言ったが、それも無視された。
「証言をまとめて調書を作成しておいてくれる? あなたのことだから、あらかたできているんだろうけど。明日提出できるかな」
「あ、ええ、はい。すでにまとめてあります」
「さすがだね。助かるよ」
この、呉三娘の信頼に満ちた微笑み、目つき。樨国人が彼女に忠誠を誓って止まないのは、彼女のこれのせいである。人たらしなのだ。
その証拠に、宮正は目を輝かせて、唇にはこらえきれない喜びの笑みを浮かべている。
「寿珪、皇帝陛下に伝言を頼む。
政務の後に聴世殿に太常卿を呼んで、この件に決着をつけるって」
「はい~! 『名探偵、みなを集めてさてと言い』ってやつですね~!
お任せっ!」
「……何言ってんの?」
だが、双子侍女には冷たいのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます