07.難しいお年頃

 実際のところ、誰かが後宮で焼身自殺あるいは誰かを焼き殺したいと思ったとして、実現するには協力者が必要だ。まず油を持ち込むのに相当量の金がいる。侍女にはできない。そういう意味では芹家の主張も筋は通っている。

 呉三娘は執務に当てている部屋で、なんとも言えない違和感の正体を突き止めようと宙をにらみつけていた。そこへ、寿珪がひょっこりと現れて来客を告げる。


「皇后陛下~また来ましたよ~」


「また来ましたか~」


 寿珪の言葉に、呉三娘も彼女の語尾をまねて答えた。


「金は返して、食べ物だけ受け取っといて~」


「あ、そっちじゃなくてお妃さまたちの方です~」


「あれっ、あ、そうか。今日来るって言ってたね」


 火事により西六宮に済んでいた妃嬪たちは永寿宮に避難していたが、安全確認が取れたので順次元の宮殿に戻ってきており、帰着の挨拶に来るとの連絡を昨日もらっていたのだった。


「じゃあ通しておいて。すぐに行く」


「はーい」


 呉三娘が立ち上がると、控えていた侍女が衣服の乱れを直してくれる。それが終わると、嘉玖に手を取られて彼女は部屋と足を踏み入れた。妃嬪たちが勢ぞろいして跪いている光景は華やかでありながら重苦しくもある。こんな子供であっても身分の重い頸木を負っているのだ。


「皇后陛下にご挨拶申し上げます」


 皇后が宝座に腰を下ろすと、代表して楊徳妃が声を上げ、続いて他の妃たちが同じように挨拶をした。


「楽にして」


 正面に皇后の宝座、その左右に妃たちの席が設えられており、座っている呉三娘の右手が楊徳妃で、彼女を先頭に入口に向かって妃嬪の約半数が、左手が香淑妃で、同様に残りに妃嬪たちが入口に向かって並んでいる。龍婕妤と芹充媛がいなくなったので、計十三人の少女たちだ。


「皇帝陛下にも皇后陛下にもお怪我がなく、何よりでした」


「ありがとう、香淑妃。皆も何事もなくてよかった」


「ですが、芹充媛様がお亡くなりになったとか……」


 そう言ったのは、蓮生殿で芹充媛の向かいの配殿に住んでいた妃だ。楊宰相は伝統ある貴族でもあり、科挙出身の官僚でもあるので、娘の暮らす蓮生殿には守旧派貴族の芹家、高級官僚のけん家の両家の娘を配していた。修媛しゅうえん枅美朱けんびしゅは芹充媛と歳も近かったので、思うところもあるのだろう。


「まだ芹充媛様かどうかはわからないのではなくて?」


 香淑妃がやんわりと言葉を差しはさむ。


「ええ、ですが、思い悩んでいらしたようですので、自害という話にも信憑性があるのではないかと思ってしまうのです。あの方は私たちより年上でしたから、ほら、今はやりの太郎たろう大娘たいじょうの物語みたいに結ばれぬ恋を嘆いて、とか」


 呉三娘はちらりと双子侍女を見た。少し前に見せられた寸劇と似たような話だろうか。後宮は閉ざされた場所なので、室内で楽しめる小説は妃嬪たちの楽しみの一つとなっている。


「まあ、自害!」


「ただの事故だとばかり」


「皇后陛下、本当ですの?」


 途端に少女たちが騒めき始める。呉三娘は表情を変えずに、ちらりと枅修媛を見た。楊氏が娘の傍に配しただけあって、そこそこに美しい娘だ。確か、十四歳だったか。色々と拗らせる年頃では、ある。


「さてね。宮正が調べているところだから、いずれ分かるでしょう」


「ですが、部屋の中には芹充媛様お一人だったのですし、後宮の火の管理は厳重ですから、そうとしか思えません」


 それはそうなのだが、余計な騒ぎは起こしたくない。仕方なしに呉三娘は話題を逸らすことにした。


「双松殿の正殿に一人しかいなかったからといって、その人が火をつけたとは言い切れないよ」


「どういうことです……?」


 好奇心に瞳を輝かせた少女たちに、呉三娘は秘密を打ち明けるかのように小さな声で話し始めた。


「戦場では、離れた場所で同時に作戦を開始するときにね、香を使うことがある。

 同時に火をつけた、燃える速度が同じ香をそれぞれの場所に持っていくんだ。そして、それが燃え尽きた時が作戦開始の時ってわけ。

 だから、油なんかの燃えやすい物の上に、燃える時間を把握している線香や蝋燭なんかを置いておけば、本人がいなくとも望んだ時間に火をつけられるというわけよ」


 香時計というものがある。香の燃焼速度で時間を計る道具だ。これに使われるのは線香ではなく抹香だが、原理としては同じである。発火物もよくよく考えて配置しなければならないが、決して荒唐無稽な話ではない。


「あの方は体調を崩されてから熱心に慈母神を祀っていらしたから、消し忘れた線香が原因ということもあり得ますね」


「誰かが彼女を害そうとしたとして、その場にいなくてもよかったということですか?」


「侍女が一人いなくなったそうですし、その者が」


「いいえ、侍女が双松殿にいたのかもしれませんわよ」


「そういえば内侍監が頓死したという話もありましたわね」


「宦官が失踪したという話も」


 いい具合に話が散漫になってくれたようだ。ことに枅修媛は「時間差密室殺人の謎ね……!」と妙に目を輝かせている。いや、別に密室ではなかったが。


「……時間差、か」


 枅修媛が放った言葉に、ふと引っかかるものを覚えて呉三娘は呟いたのだった。





「寿珪、火事の前に双松殿を出た者を調べてくれる? できれば外廷へ出た者を」


 少女たちが帰った後、呉三娘は命じた。


「というと、宦官ですか~?」


「そうかもしれないし、そうではないかもしれない。

 あの日、火事の前に芹充媛が双松殿にいたことは女官や宦官が見ているでしょう。だから、彼女が一人で閉じこもる直前に双松殿を出た者を調べてほしい」


「まさか、充媛様が火事の前に後宮を出たってことです?」


「これだけ探して見つからないのだから、考え方を変える必要があるかと思って」


 時間差――火事より前であれば、それほど後宮の警備は厳しくなかった。酒と偽って油を持ち込めたほどなのだから。呉三娘が芹充媛なら火事の前に後宮を出る。


「なるほどですね~。

 その日の出入りは宮正が調べているはずですから、遣いをやります」





 袁宮正はすぐに皇后宮へと訪れた。何だか最近この人とよく会うな、と思いながら呉三娘は彼女の来訪を受けた。


「火事の日の人の出入りですが、日々の食事や清掃の他には太医が召されていますね」


「翁茶事件の前から体の具合が優れなかったものね」


「行き帰りに宦官が一人付いていたとか」


「帰りにも?」


 行きであれば双松殿からの迎えであろうが、宦官が帰りにも付いて行く必要はない。


「追加の薬を太医院へもらいに行ったと」


「その宦官はいつ戻ったかわかる?」


「あ……記録では見当たらなかったようです。もう一度調べます」


「それから、双松殿から戻った時に太医が連れていた宦官の顔立ちを確認してちょうだい。そうだね、芹充媛の似顔絵を見せてみて」


「宦官の扮装をさせたもの、ですね?」


 袁宮正が小首をかしげてみせたので、呉三娘は微笑みを返した。


「その通り」


「充媛様は際立って美しい方でしたから、変装していても記憶に残るでしょう。口元のほくろというはっきりした特徴もありますし」


「それから、太医院から退出した者に同じように美しい者か、あるいは顔を隠したものがいなかったかもね」


 そう付け足すと、宮正は少し難しい顔をした。


「それは少々難しいかもしれません」


「なぜ?」


「太医たちは横のつながりが非常に強く、仲間を売るようなことはしないでしょう」


 宮正曰く、医者や薬師等医学に携わる者たち世界の世界は狭く、特に太医になるほどの高名な医学者を排出する家は片手で数えるほどだそうだ。そのため、彼らは幼いころから互いに行き来しており、家族も同然で裏切ることはないだろうと。


「ただ、気になるのは芹家がもともと太医の家系だったという点です。

 歴史が非常に古いので忘れられがちですが、元は央の建国前から長く続く医学の名家です」


「ああ、確かそうだったね」


 例の蓮生殿の事件の時、そんなに翁茶を子供ばかりの後宮に送るものかな、と呉三娘は思ったのだが、元はあれも薬茶なのだ、芹家から他家への差し入れというならあり得る話だったのだろう。


「そういうことなら、明明」


「はい」


 ひょろりとした侍女が壁際から皇后の前に進み出た。


「三日前だけど、追えるかな」


「はい」


「じゃあ、外出の許可を出すから追跡してちょうだい。嘉玖、手配をよろしく」


「はい」


「はーい」


 侍女たちに矢継ぎ早に指示を出す皇后を、宮正は不思議そうに見ている。


「あの……?」


「あなたは、門の出入りの方をお願いね。太医院から退出した者については、こちらでも調べるよ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る