05.誰かが彼女を殺した

 遺体が安置されているのは、簪事件の時冷宮として使われた建物だった。今は一応、綺麗に片づけられて、粗末な寝台に白い布が掛けられていた。嘆き悲しむ侍女たちが主の遺体を囲んでむせび泣いている。


「下がってくれるかな」


 少々の罪悪感を感じながら双松殿の侍女に声をかけ、部屋に双子侍女しかいなくなったのを確認してから呉三娘はそっと布をめくる。

 尚宮の言ったことは真実で、確かに男女の区別もつかない状態だった。分かるのは、せいぜい身長と体格、最期のとき取っていた姿勢くらいか。


「これは……」


「こんなことって、あります~……?」


 呉三娘と同じことに気づいた双子侍女が、何とも居心地悪そうに声を上げた。

 遺体は寝台と同じくらい焼け焦げており、両手と両脚をぴっちりと閉じて、体を丸めていた。


「ここと、ここ、それにここ」


 そう言って、呉三娘は遺体の手首と足首と、膝を指さした。


「分かりにくいけど、何かで縛られた跡だよね。周辺と色が違う」


「あれだけの火が出ていて悠長に寝ているのは不自然です~。縛られていたって何とかもがいて逃げようとすると思いますけど……」


「あの火事でこんなにひどい状態になるなんて、油でもかけられたとしか思えませんよう」


 主が口火を切れば、侍女たちも口々に不審な点を挙げた。


「既に意識がない状態で、念のため縛られた上で火をつけられたってことかな」


「でも何で? 別にこんな方法じゃなくても普通に毒とか盛ればいいんじゃないんですかあ」


「ここ後宮ですもん。刺されようが首を絞められようが、身内が結託すれば穏便にお亡くなりになったことにするのは簡単ですよう。こんな激しい方法を使う理由がわかんないですう」


 そう、奇しくも洪青海が龍婕妤に話したように、後宮での不審死の大半は「穏便に」済まされる。皇帝の家庭で問題を起こしたとなれば、例え被害者でも何らかの罰を受ける可能性があるからだ。

 つまり、この人物を殺した者は、罰を受けることを差し引いても彼女に焼死して欲しかったということになる。


「一番考えられるのは、顔を隠したいって理由だけど。

 実際これが芹充媛なのか、行方不明の侍女なのか分からないし」


「でも、何でですう?

 どちらが死んだってさほど問題にはならないと思いますけど~」


 寿珪の言い方はひどいが、確かにその通りだった。侍女は言わずもがな、芹充媛だって皇帝の寵愛を得る見込みはほぼない妃嬪である。宮中で頓死したとして、哀れには思うが、ただそれだけのことだ。


「全然分からない。まずは行方不明の侍女――芹充媛かもしれないけど、彼女を見つけないことにはね」





 そうして、後宮中の捜索が始まったが、翌日になっても彼女は見つからなかった。何故なら、火事が起きた夜に呉三娘の命を受けた嘉玖が後宮の門を開ける許可を出したからだ。

 双松殿は東六宮の北東の隅にあり、後宮内を通って避難するより後宮の北へ避難した方が早い。


「そうは言っても内廷にはいるはずなんだけどなあ」


 呉三娘がぼやけば、寿珪もぼやく。

 皇后宮の一室、卓の上の籠には、秋の味覚が山と盛られて、小皿に食べやすいよう皮を剥かれた梨や数粒の葡萄、棗が分けてあった。しゃくしゃくといい音を立てて呉三娘は梨を平らげた。


「そうは言っても、後宮の外は広いし雑然としてますからあ」


 後宮から出たと言っても、宮中から出られた訳ではないので、皇城を囲む塀の中には必ずいるはずだ。もっと言えば、皇城の北半分から出ていないはずだ。皇城の北半分は内廷と言われ、皇帝の私的空間、南半分は外廷と言われ、公的空間となっており、それぞれを行き来するには所定の牌を持っている必要がある。火事の日、嘉玖が出した許可は後宮――東西十二宮と後三殿から内廷内への脱出で、外廷への脱出は認めていない。

 後宮と違い内廷は広いし、使用人のための空間もあり混沌としている。たった一人の人間を探し出すのは容易ではなかった。


「油が持ち込まれた経路は分かった?」


 鉄砂宮と宮正の結論も呉三娘達と同じだった。あの燃え方は油を撒いて火をつけたものである、ということだ。そういう訳で、早々に捜査が開始されていた。


「ああ、それは伝統的なやり方ってやつでしたよ~」


「伝統的な――賄賂ってこと?」


「そうです。芹充媛様は祈りの日々を過ごされていた訳ですけど、祭壇に備える酒だとかで、ちょくちょく市中から運び込んでいたんですねえ」


「持ち込まれる酒壷はたっくさんあったので、調べたのはそのうちの一つってわけですねえ」


 本来ならば、そもそもそんな大量の飲食物の持ち込みは禁じられているし、持ち込むなら全て確認しなければならないものではある。だが、多少の融通を利かせてもらうことはできるものだ。ことに東六宮は現在寂れているので、不正もしやすかったことだろう。


「葡萄はやっぱり樨の方がおいしいなあ」


 葡萄を一粒つまんで、口に放り込んだ呉三娘は、もぐもぐと口の中で葡萄の実と皮を分けて、皮をそれ用に置かれた壷へ吐き出した。これもまあ、賄賂ではある。芹充媛の実家から、火事の処断について手心を加えてくれ、というやつだ。呉三娘は一緒に送られてきた金銀は送り返し、果物だけもらうことにした。


「綱紀粛正が必要だな」


 芹家から送られてきた書状には、今回の火災についての型通りの反省の言葉に続き、娘がいかに追い詰められていたかを切々と訴える下りが長々としたためられていた。多少の手違いで幽閉などやりすぎだ、将来を悲観した娘が自害したのも仕方がない、と。

 年若い皇后に罪悪感を抱かせようという思惑なのだろう。なめられたものだ。第一、このような態度をとられては、かえって手心を加えにくくなる。


「双松殿で死亡した侍女の弔いをしなければならないね」


「え? でも、まだどちらだか分かってないですよねえ?」


「侍女だよ」


 呉三娘は籠から葡萄を摘み出して、壷に捨てた。


「生き残った侍女たちの身辺を洗わせて。あと、内廷含む後宮からの物の搬出を禁じる。加えて火事が起きた日から搬出された荷物をひとつ残らず調べ上げるように。特に、人が入れそうなほど大きなもの、芹家に持ち込まれたものをね」


 皇城内への物の運び入れに手心を加えられるというのなら、外へ出すことも可能なはずだ。内廷の捜索だけに絞らず、外も探すべきだ。それなら、最初に手を入れるべきは充媛の実家だろう。

 埃が出ようと出まいと、徹底的に叩く。


「後宮への可燃物の持ち込み、妃嬪の後宮からの逃亡疑いだ。芹家を厳しく詮議させる」


 火事は火事として、皇后呉三娘としては、この機に彼女の勢力を削ごうとするものに甘い顔を見せることもできないのであった。罪悪感ごときで動く皇后だと思われるわけにはいかないのだ。

 まったくもって、不本意である。

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