04.長い夜と喪失の朝
皇帝を夜具でぐるぐる巻きにして輿に乗せ、一行は小走りで鳳麒門へ向かった。門に到着すると、すでに藍将軍と龍将軍が兵を率いて到着しており、今晩の当直の三省の幹部も待ち構えていた。
「おや、皇后陛下、勇ましい出で立ちで」
相変わらず軽薄な龍将軍が呉三娘に声をかけた。
「おい、失礼だぞ」
すかさず藍将軍が叱責するが、どこ吹く風といった風情である。名家の貴公子は叩き上げの将官とは感性が違うらしい。
「で、火元はどこなんです」
「双松殿とのことだ」
答えたのは、皇帝である。夜具にくるまれて丸々とした姿がなんとも言えず微笑ましい。
「鉄砂宮の兵を向かわせ、他の宮殿へは永寿宮に避難するよう伝令を出しました」
呉三娘が補足すると龍将軍が渋い顔をした。
「後宮へ男は入れないからな……」
やがて到着した尚宮を中心に情報が鳳麒門へ集まるよう手配し、一行は皇帝を守るように陣を敷いた。鳳麒門を挟んで後宮寄りは鉄砂宮の兵が、反対側を禁軍が囲んでいる。皇帝も運び込ませた衣服、防寒着に小部屋で着替え、門の中央に置かせた床几に君主らしくしっかりと腰を落ち着けた。呉三娘はその傍らに立つ。
後宮から女官や宦官が慌ただしく報告に現れ、そのうち皇太后まで鳳麒門にやって来て皇帝の隣に彼を守るように陣取った。
「安心して。他の子たちは全員永寿宮に来ていたわ。芹充媛以外はね」
「そうですか……」
皇太后は呉三娘にそう告げると、気遣わしげな顔で皇帝を見た。少年皇帝はただ、後宮の北東に上がる煙をじっと眺めている。煙は白い煙になり、今はほとんど消えていた。
避難の混乱で消息が掴めないのか、あるいは逃げ遅れたのか。女官たちからの報告にも彼女の行方については言及がなかった。
「皇帝陛下」
宦官からの報告を受けた内侍が、恭しく跪いて奏上した。
「火はほぼ消し止められ、双松殿本殿、配殿と後殿は全半焼したようです。他の宮殿への延焼は今のところありません。侍女、女官、宦官もおおむね無事が確認されたとのことですが……双松殿本殿から遺体が発見されたそうです」
それはちょうど、夜が明けて空が白み始める頃のことだった。
☆
鳳麒殿の安全が確認されるのを待って皇帝夫妻はそちらへと移った。今日の朝政は中止、宮廷全体で火事の対応にあたることになり、皇太后が皇帝に付き添って勤政殿へと向かい、呉三娘は後宮の指揮を執るため皇后宮へと戻った。
彼女が身支度を終えて主間に座すと、すぐに妃嬪たちが一人一人無事を報告しにやってきた。彼女たちが永寿宮から戻れるのは、各宮殿の安全確認後になるのでもう少し先のことになる。
位の高い順、同じ位なら年長の順だ。楊徳妃、香淑妃が筆頭で、次々に十から十四歳の子供たちが現れる。
芹充媛は最も年長の娘だった。歳より大人びていて、少女たちの中にいると、やはり目立っていたものだ。名門の子女らしく気品があり教養もあったが、それをひけらかすこともない、おっとりとした娘だったように思う。
あの時、あの血の匂いに満ちた部屋で、下手に後宮内での謹慎など命じず、追放していればよかったのだろうか。祈りの日々を過ごしていると聞いていたが、何か心に抱えていたのだろうか。
「見つかった遺体は何人分?」
妃嬪の挨拶を一通り終えた後、呉三娘は尚宮を呼び出して火災の詳細を確認していた。
「一人です。他の者たちは怪我はしているものの命に別状はありません」
「死んだのは、誰なの」
「見つかった場所からみて芹充媛様ご本人かと」
「そう……」
顔が確認できないのだろう、と察して呉三娘は小さくため息を吐いた。
「もう一人所在が確認できない侍女もおりますが、ご遺体は充媛様の寝室から見つかりましたので。状況的にはそう判断するしかありません」
「火元は分かっているの?」
「最も激しく燃えていたのが寝室です。火はそこから燃え広がったと見られます」
「寝室に火の気なんてある? まだ火鉢も出せないのに」
「それはまだ調査中です」
皇后が芋を焼くために火鉢と炭を出させただけで調査があったのだ。あり得るとしたら七輪の火だが、そんなものを妃嬪の寝室に置くはずがない。その場合の火元は侍女の控室である耳殿や後殿となるはずだ。
「尚寝、尚食と連携してよく調査するように。
……私も双松殿に行ってもいいかな。もう消火は終わっているんでしょう」
「しかし、皇后陛下においでいただけるような状態ではありませんが……」
「構わない。
それに、私はこの宮中の誰よりも焼け跡を目にしてきたと思う。気遣いは無用だ」
少し語気を強めて言うと、尚宮はそれ以上は言わず、恭しく頭を下げた。
「かしこまりました、私が先触れに出向きます。ご都合のよい時にいらっしゃってくださいませ」
☆
双松殿は昨晩とは違い、焼けたのはほぼ本殿、配殿、後殿も延焼していたが、予想していたほどひどくはない。
呉三娘は芹充媛の寝室に足を踏み入れた。寝台が激しく燃えたらしく、真っ黒に焼け落ちている。そこを中心として部屋の西の端にある勝手口までが一番火の手が強かったらしい。調度類は跡形もなく炭となっていた。窓は木の鎧戸まで閉め切っており、内側の玻璃は割れていたが鎧戸は炎に表面を嘗められた程度で済んだようで形を残している。
「遺体はどこに?」
「寝台の中に」
本殿も屋根や骨組みまでは燃えていない。宮殿建築は燃えにくい建材を使うからだ。それに加え昨晩は冷え込んだので窓や扉を閉め切っていたこともあり、激しく燃え上がらなかったらしい。
密閉空間では不思議と炎は激しくならず、扉を開けた時に激しく燃え上がる傾向がある。鉄砂宮の兵はよく訓練されているので、こういう時は室内の温度が下がるまで扉や窓を開けてはいけないと知っている。中に人がいると分かっていても、それが皇帝や皇后でもなければ、延焼を防ぐ方を優先するのだ。
樨でも逃げる源軍が捕虜を閉じ込めた建物に火を放った例はあり、そういった場合人は火傷を負う前に煙にまかれて息絶えるものだ。建物の出口に殺到した、数知れぬ人の体……。
「寝台の中に?
……双松殿にいた者は、皆無事なんだね?」
「ええ、一人だけ行方が分かりませんが」
「そう、よかった。当面この皇后が保護して、しっかり治療を受けさせよう。名簿を後で届けて頂戴。
遺体はどこへ?」
「一旦鉄砂宮の空き部屋に移してあります」
「見に行く」
「え!? 皇后陛下、それは……! 男女の別も分からぬほどのひどい状態と聞いております!」
慌てて尚宮が止めに入る。それはそうだろう。皇后が目にするようなものではないし、芹充媛の尊厳にもかかわる。だが呉三娘は気づかないふりをして強弁した。
「私はこの宮中の誰よりも焼け跡を目にしてきたと言ったね。それはつまり、誰よりも死者を目にしてきたということだ。私のことは気にしなくていいよ。倒れたりしないから」
「主……?」
双子侍女が不安な顔をしている。彼女たちは樨の奪還からずっと一緒に行動していたので、呉三娘と同じものを目にしてきている。きっと主の心の傷を心配しているのだ。
確かに、故郷を思い出さないといったら嘘になる。あの時の衝撃も、悲しみも、恐怖も、何年経とうが消えるものではない。
だが、今彼女の心を占めているのは、何よりも「怒り」だ。
「大丈夫。確かめたいことがあるだけだから」
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注)三省:この国の行政を構成する三つの省、中書省、尚書省、門下省の三省。
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