01.皇后、芋が食べたい
「寒い。あったかいものが食べたい」
もうすぐ十一月というある日、呉三娘は猛烈にうまいものが食べたくなっていた。
後宮の食事は
つまり、あったかいものを食べたいといって、皇后宮で火を焚いて料理をするわけにはいかない。できるのは、せいぜい七輪で湯を沸かすことくらい。
「主~、無茶言わないでくださいよう。あったかいお茶入れますからあ」
寿珪がよしよし、と呉三娘の肩をなでた。
「やだ。液体じゃなくて固体が食べたい」
「そうは言いましても~」
「甘いものが食べたい。あったかくて甘いものが食べたい」
後宮に入って一年。故郷では兵たちに交じって大鍋から汁物をよそって食べていた呉三娘である。きれいだがちょっとしか入っていない宮中の食事にも、いい加減我慢の限界だった。
「だって、この前甘いものが食べたいって言ったらさ、なんかこう、紅葉? の形した砂糖の塊みたいなのが出てきてさ、違うの、私が食べたいのは! まんじゅうとか! 油条とか! 月餅とか! そういう、食い物なの! 腹立つー!」
「あ~、気持ちは分かりますう」
寿珪、嘉玖も呉三娘と同じような生活をしていたので、彼我の落差には思うところがあるのだろう。二人して同じような表情で考えを巡らせ始めた。
「内膳房で作ってもらったら、届くまでに時間かかりますしねえ」
「忍び込もうにも、毒殺とかあるから、意外と人の出入りに厳しいし~」
「となると、ここで火鉢で作れるものですかねえ」
「火鉢……炭……芋……」
「「焼き芋だ!」」
☆
尚食の女官が困惑した顔で、寿珪を見ている。
「はあ、芋、ですか……」
「ええ、皇后陛下は突然芋版作りに目覚められ、七色芋を大量に使いたいと仰せです」
言っていない、言っていないが、呉三娘はぐっと堪えた。
「芋、版、ですか……」
「そうです、芋版です。芋を切って、平面を彫って判子にするやつです。皇后陛下は不器用なので、作り損じができることを見越して大量に欲しいのです」
尚寝局の女官が、困惑した顔で嘉玖を見ている。
「火鉢はまだ出す時期ではないのです。十一月に入ってから出すことに決まっておりますので……」
「皇后陛下が寒いと仰せです。ええ、この方は本当にびっくりするくらい冷え性なので、このくらいの気候でも手足が冷えて冷えて」
「それならば、温石をお持ちいたしますが」
「温石なんてすぐ冷めてしまいますから駄目です。火鉢を出しなさい。それから炭も多めに」
確かに冷え性だが、規則を破ってまでどうにかしようとするほどではない。だが、呉三娘はぐっとこらえた。
芋版にはまった手先不器用で冷え性な女、という訳の分からない属性を付与されたが、これで甘い温かい焼き芋が手に入るのだから。
☆
七色芋とは、外側の皮はどれも茶色いが、切ると一つ一つ色が違うという面白い芋である。食感は里芋に似て少し粘り気があるが、とても甘い。庶民の愛する甘味だ。長期間保存もできるので国中で備蓄食としても重宝されている。
「やった! 黄色!」
「私は青ですね~。水関係の運がよくってもなあ」
「私は桃だあ~。恋愛運とか……後宮で……」
色によって、その日の運勢を占う、というのも庶民では一般的な娯楽だ。
黄色は金運、青は水関係、桃は恋愛関係の運がよいとされる。
「まあまあ、二人とも、私の金運を分けてあげよう」
首尾よく大き目の火鉢と芋を手に入れた三人は、皇后宮の中庭でたんと炭を使って焼き芋を決行した。
「ああ~甘~い! おいしいねえ」
久しぶりに味わうあったかい甘いものである。呉三娘は目を瞑り、心ゆくまでその味を堪能する。
「おいしいですねえ」
「懐かしいです~」
皇后と、皇后付きの侍女二人が火鉢を囲んでしゃがみこみ、焼き芋を食べている。他の国の者が見れば驚くだろうが、ここにいるのは樨国人ばかり。炭火焼肉を始めなかっただけましだと思う程度で、さほど気にも留めない。
と、その時。
「皇后陛下へご報告!」
皇后宮付きの女官が駆けてきた。
「あ、嫌な予感」
女官は礼をすると、芋をもぐもぐしている寿珪に向かって口を開いた。
「宮正がお話を聞きたいと、知らせが参りました!」
「宮正が? 何の用で?」
「はい、何やら炭の件で、とのことです」
女官の目が、火鉢へと向いた。
呉三娘はため息をついて、焼きあがった芋を取り上げた。
「あなたも芋、食べる?」
☆
知らせの後、来訪の許可を得た袁宮正は早々に皇后宮を訪れた。
「訪問のお許しをいただき、まことにありがとうございます」
「いいよ、楽にして」
「ありがとうございます」
「それで、炭の件とは?」
呉三娘の許しを得て体を起こした袁氏は、少し困った顔で話し出した。
「実は、御花園で小火が発生しまして、どこから火気が持ち込まれたのかと調べていたのです。すると皇后陛下が火鉢と炭を御所望になったとの記録があり、状況を確認するために参上した次第です」
皇城は基本木造建築なので、火の管理は厳しい。その中で小火が発生したとあっては、詳しく捜査しなければならないのは当然である。さらに御花園は皇后宮のすぐ北に位置しているから袁氏が皇后に確認しにきたのもまた、当然といえた。
呉三娘は頷いて、宮正に答えた。
「実は私冷え性で」
「それだけですか? やけに炭の量が多かったようなのですが。
いえ、決して疑っている訳ではありません。ただ、形式的にお調べしなければならないというだけで」
「分かってるから」
わかってはいる、しかし、正直に話してもよいものか――主に、皇后の面子的な意味で。
「あのう、それは焼き芋のためですねえ」
躊躇う呉三娘を後目に、嘉玖があっさりと吐いた。
「芋」
「そう」
「芋が食べたくて、火鉢と炭を出させたと、そういうことですか」
呉三娘はあきらめた。元はと言えば、後宮の甘味が乏しいのが悪い。
「そう。証拠と言ってはなんだけど、食べた芋の皮ならあるよ」
袁宮正はしばし絶句した後、口を押えた。
「か、皮っ、皮はいいです……」
「いいんだよ、笑って」
「くっ……!」
そうは言われても、皇后の行動を笑うことなど、普通はしてはならないものだ。袁宮正は根性で笑いの発作を押し込めたようだった。
「尚食に聞けば、同時期に七色芋も注文しているのが分かるから、それでいい?」
「は、はい」
若干まだ震えの残る声を聴いて、呉三娘のいたずら心がくすぐられた。
背に手を回し、隠し持っていたそれを宮正に示す。
「あなたも食べる? 芋」
「ぶほっ」
袁宮正はしばらくの間体を折って笑い続け、何度も謝りながら皇后宮を後にした。芋はもっていかなかった。
「おいしいのにねえ、芋」
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