17.転生双子侍女の述懐(3)

 皇帝率いる央国軍は樨国公の言った通りに砂漠の砂に足を取られ、目印のない土地で方向感覚を失って大敗を喫した。何より、樨と長年対抗してきた源が弱兵であるはずがなかった。

 晴が思うに源と樨とは元々同じ民族なのだろう。呉家の血の濃いの者の異様さは別として、兵卒レベルになれば源兵の戦闘力とそれほど大きな差はなかったと思う。

 だから、彼らは呉一族を置いて出征してはならなかったのだ。


 呉家を欠いた央の軍はまともな殿軍も形成できず、尻に源国軍を引っ付けたまま樨国の門へと駆け込み、関門はあっさりと落とされた。

 その勢いのまま源は樨国の国都へと押し寄せ、民草を逃がす時間を稼ぐために、少ない手勢で最前線で最後まで戦った呉家の息子たち、娘たちは戦死、国都は略奪の憂き目に遭う。源は捕虜を本国へ送ると国都を守る兵を残し、勢いのままに央都へと向かって行った。


 国都からの兵が樨国公の幽閉されている砦へと駆けつけると、砦の樨国兵たちはすぐさま皇帝の命を破り、樨国公と呉三娘を牢から出した。幸いなことに、樨の主力は国境沿いの砦に分散している。呉三娘と樨国公は取り急ぎ近くの砦の兵だけかき集め、二手に分かれて国都へと向かった。

 呉三娘は敵を引き付けるため、正面から国都へ向かう。その途上で見張り台に民とともに隠れていた兵へ他の砦へ伝令を走らせるよう命じた。


「何をお伝えすれば?」


 救援求む、かなと晴は思った。


「決まっている。『我ら勝利せり』だ。

 狼煙も城の連中にもよく見えるようたんと燃やせ」


 それを聞いた民の目に、希望の火がともる。


「かあっこいい~! 主、すごい、戦記物のヒーローみたい!」


「え、なに?」


 そうして呉三娘は正面から国都へ乗り込み、狼煙を見て待ち構えていた敵兵をことごとく蹴散らした。慌てた源兵がわらわらと飛び出てきた頃合いを見計らって、今度は秘密の隧道を通って城内に進入した樨国公が内側から源兵を突き崩す。

 戦いは一日もかからず、呉三娘の言う通り瞬く間の圧勝であった。

 だが――源は腹いせとばかりに火を放ちながら落ち延びて行った。


 焼き払われた国都の、門前の広場。

 ご丁寧に顔だけはきれいに残し、見るも無残に引き裂かれ、燃やされた呉家の一族の亡骸が磔になっていた。苦悶の表情は、源が時間をかけて彼らを責め殺したのだろうことを窺わせた。呉三娘は間に合わなかったのだ。


「兄上、姉上たちを降ろせ。丁寧にな」


 呉三娘は兵の前では決して感情を見せない。だが、それは何も感じていないということではないのだ。

 原作小説の呉三娘はどうだっただろうか。深窓の令嬢として育てられたのであれば、樨国公とともに幽閉はされなかったかもしれない。だが国都にいて逃げ遅れたのであれば、もっとひどい目に遭ったはずだ。城のほど近くには、女性ばかりが押し込められていた官舎があったし、城内にも同じような部屋があった。


 有能な将といっても、十八歳だ。日本なら高校生。

 PTSDになるには、どちらも十分な体験だろう。いや、大の男でも、だ。彼女は闇堕ちしたのではなく、心を病んでしまったのではないだろうか。


「主、大丈夫ですか」


「少し休みませんか」


 寿珪と嘉玖が口々に声をかけると、呉三娘は硬い表情のまま、小さくうなずいた。


「ありがとう。本当は少しつらかった」

 

 双子は、がしっと左右から彼女を挟んで肩を組み、ぽろりとこぼれた涙を兵たちから隠してあげた。





 それから樨の守りを父と生き残った央都勢に任せ、精兵を選び出した呉三娘は央都目指して駆け抜けた。休憩はほとんど取らなかった。食事は馬上で携帯食をかじるだけ。一度として体験したことのない強行軍だったが、故郷を踏みにじられた樨国兵は、誰一人文句を言わなかった。


 黒石馬と選り抜きの樨国人でなければ達成できない速さで央都にたどり着いた一行は、欧山に身を隠した。彼らがいかに強くとも、衆寡敵せずという言葉の通り、数の差には勝てない。だから、暗闇に乗じての奇襲をかけることになっていた。選び抜かれた精鋭たちは、聖獅子の血が濃く出たのか、皆夜目が利く。

 決戦の前、呉三娘は密かに城内へと忍び込み、朝廷の勢力図を探った。聖獅子の姿になれば、空を飛ぶことができるし体の大きさも変えられるのだ。


「新しい皇帝陛下は、君子の器だよ」


 他の者が言えば、なんだこいつ、であるが、聖獣たる呉三娘にはそれがわかるらしい。先帝はひと目で昏君と断じたし、太傅は徳があると言っていた。


「なるほど、それでは玉璽を渡すのですね」


 樨の将が訳知り顔で言えば、呉三娘は小さくうなずいた。

 玉璽は、呉家の者たちが国都を死守している間に脱出した高官の一人が持っていた。彼――太傅は迷うことなく樨国公へそれを託し、樨国公は央都へ向かう娘に託した。



 そして、蹂躙が始まる。

 ほとんど機械のような無慈悲さで、呉三娘は央都を囲む兵を切り崩した。命乞いする者も、矢の届く範囲、槍の届く範囲であれば、容赦なくその命を刈り取った。

 そして、敗走する指揮官を追うと見せかけて城壁から遠ざかり、人目がなくなると寿珪に金の兜を託して獅子の姿へと変じた。曙光の中を、輝く聖獣が駆けて行くのを、晴は目を細めながら見守った。

 原作にはない展開だった。





 くわ、と皇后呉三娘が大口を開けて欠伸した。

 窓の外、薄曇りの空を見やって、独り言のように呟く。


「そろそろ、安和宮に着いたころかな」


 少しばかり冷えるようになってきた。体脂肪率が低い呉三娘は寒がりだ。晴はそろそろ本格的な冬支度をしなければならないかな、と思う。


「しかし疲れたなあ。ババアとクソババアの間に挟まれるとか……」


 思い出してしまったのか、眉間に皺を寄せる主を見て、寿珪と嘉玖が笑った。


「主、口悪ぅ~」


「だって嫌だったんだもん……」


 榻の上にのんべんだらりと伸びている姿は、猫……獅子の姿でゴロゴロしている様子を思い起こさせる。

 何だかんだで皇后として後宮に入ってから、鬱々と過ごす彼女に少しばかり危機感を感じて、楊徳妃の元へ潜入させたのは一月ほど前だったろうか。嫌だ嫌だと言いながら、呉三娘はこのところ何だか生き生きしている。


「青海はどうしよっかなあ。口は割らないだろうけど、放っておいたら口封じに殺されちゃうだろうし。いや、奴の命はどうでもいいんだけど」


 いずれ太皇太后を糾弾する時に使えるかもしれないと思っているのだろう。

 呉三娘は武一辺倒かといえば、そうでもない。琴棋詩書画のうち、画以外はまあまあできるし、いわゆる教養と呼ばれるものは基本、身に着けている。

 用兵も、人心掌握術も大したものだった。後者については誰に教えられずとも自然とできていたので、天性のものかもしれない。

 樨国軍は全軍これ呉三娘ファンといった有様だ。


 もう、原作のように孤独で不幸な名ばかり皇后はいない。


「我は悪神なり。嫉妬と憎悪を糧にし、恐怖と殺戮を齎す。我は血と死の化身なり」


 原作で弾劾の場に引き出された呉三娘は、正気を失った虚ろな表情でこう言って、ヒロインに襲い掛かり、聖剣で返り討ちにされる。

 小説では楊徳妃は顔の怪我を理由に後宮を退下していて、皇帝の初恋の思い出となっていたが、それもなくなった。

 呉三娘の凶行は芹充媛を皮切りに始まるが、それもまあ、ないだろう。寵愛する妃のない皇帝は、最も年長で出産可能年齢であった芹充媛を寝所に呼ぶことが多く、そのために名ばかり皇后の嫉妬を受けた、というものなので。

 妃嬪たちに嫉妬も憎悪もない、自己肯定感の権化――ちょっといきすぎてしまった感もあるが――である今の呉三娘ならそのような事態にはならないはずだ。


 ヒロインが出仕するのは、皇帝が成人を迎えてから。早くともあと二年後だ。

 無事乗り切れますように、と黒田晴は見も知らぬ神々とやらに祈ったのだった。


<第二話 了>


※同時刻にこの話含め3話同時更新です(この話の前に2話)

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