15.転生双子侍女の述懐(1)

 黒田晴くろだはるは十八歳で、不登校の高校生だった。

 引きこもりというほどではなかったが、あるきっかけで高校に行くのが怖くなってしまったのだ。

 彼女はオタクで、お調子者だった。仲のいい友達もいると思っていた。

 だが、昼休みに少し席を外して教室に戻ったとき、友人たちが彼女のことを話しているのを聞いてしまったのだ。


「晴は悪い子じゃないんだけどさ、あのノリがちょっと、恥ずかしい時あるよね」


「分かる。なんかずっとまくし立ててる時とか、ちょっと引く」


 あはは、と友人たちが笑う。


「面白いことを言ってるつもり、なんだと思うんだけどさあ、正直ちょっとね」


「悪い子じゃないんだけどねえ」


「いやいや、あれはちょっと空気読めなさ過ぎでしょ。正直迷惑な時あるって。

 この前なんて……」


 どっと笑い声があがる。


 ――さあ、と顔に血が上るのが分かった。

 恥ずかしかった。皆、笑ってくれているから、そんな風に思われていたなんて少しも思っていなかったのだ。


 その時は友人たちの視界に入るドアから教室に入りなおして、普通に会話をできたと思う。

 だけど、それから何を話せばおかしなノリじゃないのか、恥ずかしくないのか、話し過ぎていないか、迷惑をかけていないか、分からなくなって――何を話せばいいのか分からなくなってしまった。


 そうして、学校に行けなくなった。


 学校に行けなくなってから、晴は友達に出くわす日中は家の中を出なかった。ラノベや漫画を読んだり、ケーブルテレビでやっている古いドラマの再放送をずっと見たりしていた。ネットはあまりやる気になれなかった。開いたが最後、絶対にエゴサして、自分の陰口が書かれていないかを探してしまうに違いなかったから。





 昼間の再放送は、お年寄り向けなのか時代劇が多かった。そのうち、オチのシーン、例えば某ドラマの印籠が出る時間をほぼ正確に当てられるようになったほどだ。


 両親は、晴が一度玄関で号泣して座り込んでしまってからは、無理に学校へ行かせようとはしなかった。すでに推薦で進路が決まっていて、私立の高校では三学期は授業がほとんどなかったのもあっただろう。

 友達は訪ねて来たが、会わなかった。


 そしてある日、スマホを充電しつつ風呂に入っていて、晴は意識を失ったのだ。





 気が付くと、そこはどこかの公園みたいな場所だった。花と同時に青みがかった果実も生っている、桃のような不思議な木がたくさん生えていて、足元にはきらきらする石が敷き詰められていた。空には虹色に色を変える雲がかかっていたし、その向こうには桂林みたいな水墨画を思わせる奇景が広がっていた。


「桃源郷的な……」


 中華風のラノベに出てきた楽園の名前を呟くと、背後から声をかけられた。


「当たらずともいえども遠からず、です」


 振り返ると、まさにラノベに出てきそうな古代中国風のひらひらした服を着たお団子頭の少女が二人、立っていた。


「ここは、あなたの世界でいう『桃源郷』、私たちの世界の仙境です。

 あの山を越えたところには神々の住まう天境があります。そこまで行ってしまうと、本当に死んでしまうのでお連れすることはできませんが」


 さらっと少女の口から不穏な言葉が出て、晴はぎょっとした。


「本当に死んでしまうって、どゆこと……?」


 少女の一人が答えてくれる。


「あなたは、今死の危機に瀕しています。何の助けもなければ、このまま死んでしまうでしょう」


「え、お風呂に入ってただけなんだけど」


「充電しながら入ったらいけませんね。スマホを湯に落としたら感電しますよ」


「そうなの?」


「「そうです」」


 少女二人が声を合わせて強く言い切った。本当らしい、と思って晴は途方に暮れた。

 たぶん、これは悪い夢なんだと思う。にしたって死にかけるなんて縁起でもない。


「今夢だろうって思いましたね」


「あ、はい」


「まあ、それでもいいです。私たちの願いを聞いてもらえるなら」


 少女たちは、晴を納得させようともせず、あっさりと話題を変えた。


「願いとは?」


「私たちの猫ちゃんを助けてほしいのです!」


「猫ちゃん……?」





 二人の少女曰く、彼女たちの世界にある央という国の西方には樨という国があって、そこは仙境と近く、神獣も住まっているらしい。そのうちの一種が聖獅子なんだとか。


「聖獅子は特に樨が好きで、よく樨国公の一族に生まれるのです。生まれる、というのは説明が難しいのですが、聖獅子の魂を持った人の子として生まれると言いますか、憑依ともまた違い……生まれた子は呉家の子でもあり、聖獅子でもあるのです」


 そうして生まれた子は、獅子に変身でき、人にはあり得ないほどの力を持つという。


「それ、どこかで読んだ気がする」


「そうです、あなたが数多読んだラノベの一つに『何で私がお妃に!? ――後宮でお祓いしてたら皇帝に見染められました』というお話がありましたでしょう。

 あれに出てくるラスボスの皇后が闇堕ちした聖獅子なのです」


 晴は思い出した。

 確か、後宮で妃嬪たちが次々と謎の死を遂げて、都で細々と呪い師をしていた主人公が後宮に連れ去られ、お祓いをするうちに皇帝と惹かれあうという話だった。

 そしてそう、ラスボスは、皇帝よりかなり年上の名ばかり皇后で、後宮で孤独を深めた結果、心を病んで呪われし闇獅子になってしまっていた、というものだったはずだ。


「聖獅子は神々が溺愛する猫ちゃんなんです。

 彼女は本来なら神境にも出入りできるような存在なのに、人ごときに殺されてしまって、神々は大変お嘆きでした。

 けれど、この世界の者には過去をやり直すことはできない。それができるのは、物語としてこの出来事を理解している異世界の者だけなのです。あなたたちにとっては、我々は虚構ですから、あるべき姿を変えることができる」


 分かるような、分からないような。晴は曖昧な表情で首を傾げた。


「うーん、たぶん、分かった? ような気がする。

 それで、どうして私?」


「はい、異世界の者を虚構の世界へ連れ込む条件は、『魂が体から離れていること』。

 有体に言えば、死人でもいいのですが、死人の魂はすぐに消えてしまうので、仮死状態の者がよかったのです」


「あ、私まだ死んでないんですね」


「そして、願わくば、物語を知っている者」


「なるほど」


「そして、正義感の強い者」


「ちょっと待って」


 仮死状態、物語を知っている、までは分かる。正義感が強い、は心当たりがない。

 晴はごく普通の高校生で、別に正義感が強いわけではない。電車でお年寄りに席を譲るのも躊躇うほどだ。


「あら、だってあなたは勧善懲悪がお好きでしょう」


「え、そんなもんでいいの?」


「嫌いなら観るはずありませんもの。

 だから、私たちはあなたを選んだのです。

 聖獅子――呉三娘の心を守り、悪に染まらぬよう正しい道を指し示す者として」


 何か、大変大きな勘違いが生じていると晴は思った。

 ただ時代劇をよく放送するチャンネルをつけっぱなしにしていただけなのだ。

 だが、少女達には気にならないらしい。どんどん話を進めていく。


「もちろん、タダでとは申しません。それなりの見返りはあります」


「見返り」


「ええ、あなたを無事生還させてあげましょう」


 生還。黒田晴としての人生が続けられるということだ。

 正直言って、よく分からなかった。晴は自分が恥ずかしくて、違う人間になりたくて、これまでの友人達と会うことを避けていたのだと思う。またこの人生を続けるのは、果たして――


「足りませんか? それでは、ちょっとした幸運もお付けしましょう。

 どんなものかは見てのお楽しみです」


「え、あ、はあ」


 迷っている間に少女達は報酬を増やしてくれた。そんなつもりはなかったのだが、ちょっとラッキーである。


「あの、それで私が聖獅子を助けるとして、私は本当に普通の高校生なんで、そんな凄いことはできないと思うんですけど」


「そこはご安心ください。

 あなたは、呉家の重臣の家に娘として生まれます。宗家の娘である三娘の側仕えになることはまず間違いありません」


「それは、赤ちゃんから始められるってこと?」


「そうです」


「それなら、まあ、何とかなるかな……」


 いきなり黒田晴として放り込まれても何もできる気がしないが、あちらの人間として生まれ育つなら何とかなりそうだ。


「それに加え、何と通常の二倍の能力を与えます!」


 少女がテレビショッピングみたいなことを言い出した。


「二倍」


「二倍です。しかも、呉国の人間らしく、人並外れた膂力や強い体に加えて二倍です!」


「な、なるほど~?」


「というわけで、よろしくお願いします!」


 え、ちょっと待って、と言う間もなく、晴の視界は暗転していた。



※同時刻にこの話含め3話同時更新です。

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