13.罪と罰

 皇后宮の主間は冷え冷えとした空気と沈黙に満たされていた。


「さて、洪青海。お前が龍婕妤に偽りを吹き込んだことは疑う余地がないということが分かったか。

 私が気になるのは、何故そのようなことをしたか、だ」


「……」


「香淑妃を呪詛の罪で追い落として龍婕妤に恩を売ろうとした?

 いや、香淑妃が死罪になっても、彼女では淑妃の地位には就けないことは、後宮生活が長いお前にはよく分かっていたはずだ」


 龍婕妤がはっとして顔を上げた。


「寵愛もないし実家の後押しもない、嫡出の娘でもない。褒美は出るだろうが、飛躍的に位が上がるとは思えないね。まあ、楊家や香家と匹敵する後ろ盾があるというなら、別だろうけど」


 ふふ、と皇太后が笑みを漏らし、人差し指を口元に当てた。


「そうねえ、例えば白家とか?」


「我が家には年頃の娘はおらぬ」


 太皇太后が簡潔に応答し、皇太后が笑みを深めた。間に挟まれた呉三娘の目は死んだ。


「……私はただ、哀れな境遇の龍婕妤様が、少しでも認められればと思っただけです。

 それ以上でも、以下でもありません」


 青海は、床をじっと見つめながら言ったが、僅かに声が震えていた。


「真実を語れば、いくらか罪は軽くなると思うが、それでも何も言わないつもりか」


「皇后、それでは重罰を逃れるためにこやつが嘘を吐くかもしれないではないか」


 太皇太后が釘をさす。青海は床から視線を動かさなかったが、体の前で重ねられた両手が震え始めた。


「……なるほど、一理ありますね。

 それでは背後関係はこちらできっちり調べましょう。誰ぞ、洪青海を牢へ」


 この場でこれ以上問い詰めても、太皇太后に怯えている洪青海は何も言わないだろうが、怯えているということ自体が一つの証拠だ。やりようはいくらでもある。


「龍婕妤」


 青海が連れて行かれた後、改めて呉三娘は龍婕妤に向き直った。


「騙されていたとはいえ、あなたの罪は軽くない。

 洪青海に唆された際、あなたはきちんと事実を宮正に伝えなければならなかった。

『洪青海がこう言っているが、真実を調べてほしい』と」


「はい、皇后陛下」


 三人の后の視線が龍婕妤に集まり、彼女は僅かに表情を強張らせたが、声音は落ち着いていた。


「ただし、考慮すべき事情もあると、私は考えている。

 まず、あなたはまだ十四。普通なら親の庇護下にあり、一人で後宮の駆け引きに立ち向かうことなどなかったはずだ」


 呉三娘は左右の女性二人に視線を遣った。二人とも、この点については異議はないようだった。


「それから、龍家でのあなたの立場。

 洪青海の言う通り、実家からの援助は乏しく、後宮に伝手もない。幼いあなたに甘言を囁き、讒訴させるのは容易いことだったろう。

 橙国公の弟の正嫡の娘、ということになっているが、あなたは妾腹、それも奴隷の娘だ。名目上の母である正夫人は、あなたがた親子のことが気に入らなかったようだね。

 橙国公に『娘への仕送りは親である自分がする』と申し出て、宮廷からの資金に加え追加で援助させたにもかかわらず、最低限しか後宮に送っていなかったことが分かった。そもそも侍女も年若い者を五人付けたことになっていたのだから、最初からあなたを後宮で生殺しにするつもりだったのだろう」


「浅はかだこと」


 太皇太后が嘆息とともに呟いた。


「貧すれば鈍する。そうして追い詰められた子供が不始末をしでかせば、龍家の不始末となるというに」


「四大国公は元々朝廷での地位にはあまり興味がないのです。樨も含めて。橙から出たこともない夫人はどれほどの罪になるのか、理解していなかったのでしょう。

 私は皇后となることが決まっておりましたから、腹心の部下も連れてこられましたし、何より両親は私を案じていましたので、一切不自由ないようにしてくれましたが……」


 太皇太后から龍婕妤へ視線を移し、呉三娘はしげしげとその衣服を眺めた。つられて、他の二人も彼女を見遣った。

 丈の合わない襖は、袖から橈骨が覗いているし、跪いていることを差し引いても、裙は短すぎ、脹脛まで見えている。それは四大国出身の妃嬪としては、あまりにみすぼらしい姿だった。


「私としては、彼女が幼いこと、にもかかわらず必要な庇護を受けられなかったことを酌量すべきと考えます」


「いいでしょう」


「そうね」


「婕妤の地位の剥奪、後宮からの追放及び安和宮での幽閉でいかがでしょうか。

 加えて、龍家には掠め取った金員の二倍を罰金として収めさせます」


「庶人に落とすべきではないか。死罪を免れただけでも十分。王侯の一族としての地位を残す必要があろうか」


 王侯貴族の一族であるということは、ことに四大国公の一族であることは、士人や庶人とは比べ物にならないくらいの特権階級であるということだ。幽閉先での扱いもおのずと変わってくる。


「――成人を待って、判断したいと思います。

 あと一年もありませんが、安和宮での幽閉後に反省が見られないようであれば庶人に落とすというのはいかがでしょう」


「問題の先送りではないか?」


「おっしゃる通りです。

 しかし、これは皇帝陛下の名誉にかかわる問題でもあります。

 彼自身もまだ幼いというのに、子供へ厳罰を科す無慈悲な君主と呼ばせたくはないのです。そもそも、なぜ成人前の子供を後宮に送り込むことになったのか――」


 この言葉に反応したのは皇太后だった。指先を隠すほどの長い袖を手繰りながら、断固とした口調で言い切った。


「では、そのように。私は異存ありませんわ」


「……まあ、いいでしょう」


 太皇太后も消極的に賛意を示したので、呉三娘は胸をなでおろした。


「龍婕妤、正式な通達があるまで、凌寒殿で謹慎しているように」


 呉三娘が言い渡すと、龍婕妤は額を床に着けて頓首した。


「お慈悲に感謝いたします」


 そうして龍婕妤が去り、呉三娘はほっと胸をなでおろした。

 これでこの竜虎の間に挟まれるかのような居心地の悪い時間が終わると――





「そういえば、除虫菊を配った芹充媛はどうしているのです?」


 龍婕妤が退出した後、ふと思い出した、という風に皇太后が口に出したので、皇后は警戒しながら答えた。


「他の妃嬪からの目もありますので、不染殿から東六宮に移し、宮殿内での謹慎を続けています」


「そう。菊と言えば、長楽宮の菊もそろそろ終わりですか?」


 長楽宮は太皇太后が住まう宮殿で、生前退位した皇帝や太皇太后が余生を過ごす場所だ。通常皇太后は永寿宮に暮らすし、生前退位する皇帝も、太皇太后になるほど長命で、かつ後宮に残る皇后も稀なので、白太皇太后はかなり久方ぶりに長楽宮を使用した人間だ。

 そこはそれまでは、様々な菊を育て、鑑賞する場所だったので、今もかなりの数の菊が育てられている。


「ええ」


「ねえ、皇后、あなたは散り始めた菊をどうするのが好き?」


「どう、とは?」


 矛先が突然自分に向き、呉三娘は慎重に言葉を返す。


「花がしぼんで散っていくのをじっくり眺めるのと、ひと思いに刈り取ってしまうのと」


 ――え、ええ~! 止めてくれよ……。


 呉三娘は心中ではうんざりと嘆きながら、表面上は穏やかに微笑むにとどめた。

 すると、皇太后は、今度は太皇太后に水を向ける。


「太皇太后陛下はいかがお考えかしら?」


「そういう皇太后はどちらが好きなのか?」


「ふふ、私はね、子供たちがお腹を下すような悪い菊はすべて刈り取って焼き払うのがいいと思うのです。そうではないなら、じっくり散りざまを眺めますわ」


 太皇太后は不快そうに鼻をふん、と鳴らした。


「ほう。永寿宮の蘭も同じようにするのか?」


 皇太后香小蘭は、いまだに艶やかな顔に満足げな微笑みを浮かべる。


「いやですわ、蘭には子供に悪さをするようなものはありませんもの」


 ふふふ、ふん、と微笑と鼻を鳴らす音が重なり、そして二人の視線が皇后に向いた。


「……『老菊衰蘭ろうぎくすいらん 三両叢さんりょうそう』」


「まあ!」


「そなたも中々言うな」


「何のことやら? どちらも趣があるなあと思ったまでです」


 ――どっちもどっちだ。


 とにかく巻き込まないでほしい、と呉三娘は眉間の皺を揉むのだった。

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