12.桜は吹雪かない
央国の中央西北寄りに位置するこの央都は、冬でも雪が稀な乾燥した地方だ。秋も冬も晴れている日が多い。
「いい天気だなあ」
「主の心と裏腹にですね~」
「嫌だよう。嫌だよう。何で私がこんな役目を……」
何がこんなに嫌かというと、今日太皇太后と皇太后がやってきて、香淑妃への讒言事件の始末をつけるからだ。
目上の二人を呼びつける形になってしまったが、二人とも互いの宮殿には行きたがらなかったのだから仕方ない。真ん中に位置する呉三娘の凰麟宮に集まることになったのだった。
時間になると、皇太后が現れ、次いで太皇太后が現れた。上座を譲りあうやり取りの末、主間中央の宝座には何故か呉三娘、左右に皇太后と太皇太后が座ることになった。なんかすごい嫌だと思いつつ、仕方がないので腰を下ろす。
「龍婕妤を呼びなさい」
最低限の侍女を残して人払いをすると、呉三娘はそう命じた。
呼び出された龍婕妤は、額づいて作法通りの挨拶をした。
指示通り立襟の丈の合わない衣服を身に着けている。
「龍婕妤、この度の讒訴に関する刑を言い渡す。
その前に、ことの経緯をおさらいしよう。嘉玖」
「はい、皇后陛下。皇后陛下に代わり、経緯をご説明いたします。
婕妤、龍哀哀様は『香淑妃様が楊徳妃様を呪詛した』と訴えられました。
内容は『香淑妃様が蓮生殿の東の門の前に呪具を埋めた』というものです。
宮正が確認したところ、確かに塼の下から黒い壷に収められた呪具が発見され、中身は楊徳妃様の死を望むものでした。
また、同時期に楊徳妃様が体調を崩されています」
ここで嘉玖が一息つくと、太皇太后が「まったく、とんでもないことだ」と大きな声で呟いた。
「しかし、龍婕妤様の告発内容を精査した結果、香淑妃様が呪詛したというのは事実ではありませんでした。
具体的には、告発によると『香淑妃様の手は泥だらけ』とのことでしたが、塼の下は空洞で泥はありません。よって、龍婕妤様は実際にその場面を見た訳ではありません。
また、東の門は後三殿と西六宮を隔てる西一路に面しており、周辺には後三殿や西一路の各門の門衛が立番しておりますが、誰も香淑妃様が何かを埋める様子は目撃していません。
よって、『香淑妃様が楊徳妃様を呪詛した』という告発は虚偽のものです」
今度は皇太后が「本当に、とんでもないことですわね」と嘆息した。
「龍婕妤、面を上げよ。
ということで、あなたは虚偽の告発をして、香淑妃を陥れようとした。
何か申し開きはあるか」
後を引き継いで、呉三娘が龍婕妤に声をかける。
龍婕妤が額づいた姿勢から、体を起こした。跪いたまま両手を臍の下で重ねる。
「はい、皇后陛下。
申し開きの機会を与えていただき、ありがとうございます。
私は、結果的に虚偽の告発をしてしまいましたが、私も騙されていたのでございます。
洪青海という宦官から、告発すべきだと進言されたのです。
確かに、ことの真偽を確かめもせず、彼の言うことを信じ込んだのは私の過ちでした。しかるべき罰は受けます。
けれど、この宦官こそは諸悪の根源、香淑妃様を陥れようと企んだ者です。この者にも罰を与えていただきたく、伏してお願い申し上げます」
龍婕妤は落ち着き払っていた。淀みなく、滔々と言葉を連ねる。視線は床の一点を見つめて、いささかも揺れることはない。
悪くない根性の座り方だ。
「下らぬことを! この期に及んで宦官に罪を着せようなどと、往生際が悪いぞ!」
太皇太后が椅子のひじ掛けを叩いて怒鳴りつけた。
「あら、きちんと調べるべきですわ。頭ごなしに令旨を発するのではなくね」
皇太后が袖で口元を隠して上品に笑い、太皇太后は歯ぎしりして彼女を睨み付けた。
呉三娘はため息を押し殺して、傍らに立つ侍女に命じた。
「嘉玖、洪青海をここへ」
「かしこまりました」
☆
洪青海は、あの日龍婕妤に茶を淹れた宦官だった。身ぎれいで柔和な表情の三十過ぎの男だ、十四歳の龍婕妤が心を許したのもよく分かる。ただ、その右頬には痛々しい痣があった。
彼は洗練された仕草で挨拶すると、龍婕妤の後ろに跪いた。
「洪青海、何故ここに呼ばれたかわかるか?」
呉三娘が声をかけると、彼は心地よい落ち着いた声で答えた。
「いいえ、皇后陛下」
「そうか。
お前が『香淑妃が楊徳妃を呪詛した』という偽りを龍婕妤に吹き込んだという情報がある。これは真実か?」
「滅相もございません。一体誰がそのようなことを?」
青海は控え目に狼狽を表し呉三娘を見やったが、彼女は小首を傾げただけだった。
「きっと婕妤様が罪を逃れようと、苦し紛れに私の名前を出したのでしょう。
彼女の宮殿に出入りする部外者は私くらいのものですからね。
侍女は年寄ばかり、実家からも他の妃嬪からも贈り物はほとんどないから女官ともろくに話す機会もない。
私にも同じ年頃の妹がおります。失礼ながらご同情申し上げて、何くれとなくお世話をして差し上げたのですが、よもやこのような濡れ衣を着せられるとは!」
「それで?」
「……ええと、香淑妃様を引きずり下ろせば、ご自身がその地位に就けると、お考えになったのではないでしょうか」
「なるほど?」
「私は幼少の頃より宮中にお仕えし、一度も罪を犯したことなどございません。
それは太皇太后陛下もよくご存じのはずです」
「そうか」
「ですから、私がそんな嘘を吐いたということこそ、真っ赤な嘘です。
一体誰が、そんなことを?」
太皇太后が身じろぎをして口を開いたので、呉三娘はようやく文章を口にした。
「まずは、龍婕妤。でも、彼女は利害関係者だね」
その通りだというように、青海が恭しく頷く。
「もう一人。龍婕妤と共に、お前が自ら話すのを聞いた侍女がいる」
「しかし、それも彼女の身内でしょう……?」
言いながら、違和感を感じたのか青海の語尾が弱弱しくなった。
「その侍女は年寄だったかな?」
その問いに、青海は助けを求めるように太皇太后を見やるが彼女は口を開かなかった。まあ、失敗した下手人をかばうような親玉はいないということだ。
呉三娘は戸口近くに控える寿珪に目で合図を送った。
「い、いえ、しかしいずれにしても、どこの誰とも分からぬ女の言い分に、どれだけの信用があるというのです!」
「だ、そうだが? 寿珪」
呉三娘の呼びかけに、寿珪が龍婕妤と青海の目の前に立ちはだかった。青海の目が見開かれる。
「はい、皇后陛下。
彼は龍婕妤様が『洪青海の言う通りにした』と詰め寄ったことに対して否定もせず、『誰がお前の言うことなど信じるのか』と小馬鹿にした上、『余計なことをしゃべられては面倒だ』と龍婕妤様を絞め殺そうとしました」
さすがに驚いた皇太后が「なんですって!?」と声を上げた。
「龍婕妤様、首を見せてください」
寿珪が言うと、龍婕妤は立襟の襖を少し緩めた。数日経ち、赤黒かった締め痕は周辺が黄色くなり始めていた。
「まあ……」
ため息のような声が皇太后の口から洩れた。太皇太后が不快そうに眉を寄せる。
「その侍女も龍婕妤様から聞いたんでしょう! 狂言です! 私は何もしていません!」
青海は哀れっぽく無実を訴える。それを聞いた寿珪は、だんっと右足を踏み出して見栄を切った。
「おうおうおうおうおう! 黙ってきいてry」
「残念ながら、その侍女は私の腹心でね」
みなまで言わせず、呉三娘は寿珪の台詞を遮った。皇太后と太皇太后の前でふざけたお芝居をされてたまるものか。寿珪は口の中で「この桜吹雪を……」などと呟いていたが。どこだよ、桜吹雪。
「顔は覚えていなくても、お前のその頬に食い込んだ、この色鮮やかな鞋には見覚えがあるのではないか?」
青海と龍婕妤が、揃って踏み出された寿珪の右足を見た。
確かにそれは、あの時青海の頬に叩きこまれたのと同じものだった。
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