10.女官は饒舌に語る

※今回から7:00、19:00の1日2回更新です。本日7:00にもう1話更新していますのでご注意ください。


「呉麗華、さる方から薬の差し入れです。飲みなさい」


 薬とやらは、飲み切ったことが分かりやすいようにか、盃に移されていた。ちなみに、盃に満たされているのは毒ではなく、何かそれっぽく調合した薬らしい。

 呉三娘はうなだれて、いかにも観念した、という顔をしてみた――つもりだ。


「まったく、皇太后陛下に逆らうからこのようなことになるのですよ。後悔先に立たずといいますが、世間知らずが命取りになるとはね」


 扉から差す月明りを背にした孫氏の表情は見えないが、声には同情の色はなく、ただただ呆れているだけのようだった。

 盃を口元に盛っていく振りをして――呉三娘は動きを止めた。ちなみに、手は縛られているが後ろ手ではなかった


「最後に、教えてくれませんか。このままでは死んでも死にきれずにあなたの枕元を夜な夜な訪れてしまいそうです。

 簪は、どこへ行ったのですか?」


「何のことだか」


「どうせ死ぬ身です。知ったところで何もできませんが、どーしても、簪の行方が気になるのです。お願いです。教えてくれないとうっかりこの盃を落としてしまうかもしれません……なにしろうっかり者なので……あっ……」


 香水の瓶を叩き割った前科のある呉三娘である。ちょっと手元を揺らしただけで、孫氏は観念したのか声を潜めた。


「し、仕方ないわね。耳を貸しなさい」



 ☆



「簪は、あなたの推測通り、皇后宮から持ち帰って次の間で箱にしまうふりをして袖に隠しておいたのよ。次の間に人はいなかったし、表の間に背を向けていれば、一瞬のことだもの。気づかれなかったわ。

 空の箱を侍女に渡して――葉盈盈なら絶対中を確認しないと思ったし――簪はその日のうちに本物と一緒に香淑妃様宛の贈り物に潜ませたの。お妃方は知らないけど、女官は横のつながりが強いのよ。香淑妃の当番の女官は私からの付け状の暗号を読めば、よしなに計らってくれる」


 そうして香淑妃の宮殿から、皇太后へと速やかに簪が届けられ、翌朝に状況を察した皇太后がやって来たのだろう。

 ふう、と一息ついて、孫氏はちょっと顔をしかめた。


「そもそも、あの子供たちが簪を壊したりなんかするから、こんな危ない橋を渡るはめになったのよ。あれ、偽物なんだから。下手な工匠の手に渡ったらばれちゃうじゃない」


 ――なんと。

 孫女官の衝撃の発言に、さすがの呉三娘も驚いた。

 確かに、あの喧嘩の日以降のことしか調べていない。それまでの間に彼女が簪に接触した可能性は十分にあった。


「あれはね、皇太后さまが工匠に命じて、そっくりに作らせた燐油を仕込める簪だったのよ。

 飾り部分の蓮の花の花芯に燐油が入るようになっていて、頭にさす細長い部分は空洞で表面に小さな穴が空いていて、内部には徐々にその穴から燐油が染み出てくる細工がされているの。うまくいけば髪が抜け落ちるってわけ」


 徳妃が実家から持ってきたものはこんなことできないけど、宮中の工匠が作ったものなら図案があるから、皇太后陛下が命じればそっくりに作れるのよ、と興が乗ってきたらしい孫氏は自慢気に付け足した。


 呉三娘はあの簪の形状を思い出す。立体的な大きな蓮の花を中心に、蓮の葉、実が周辺にあしらわれている高雅な飾り部分から、箸ほどの太さの二本の足が伸びていた。あの意匠は鬢の毛の上のあたりに挿すものなので、飾り部分が上に、足の部分が下になる。確かに、蓮の花の花芯に液体が入っていれば、足へと流れるだろう。

 もしもあの日二人を屋内に入れていれば、呉三娘なら匂いに気づけたかもしれない。


「そういえば、香淑妃様が皇后宮に来た時に手に湿疹ができていると思ったけど」


「ええ、楊徳妃様も少し頭皮がかぶれたみたいね。時々かゆそうにしていたもの」


 確かに、皇后宮に来た時に髪をくしゃりと掴んだ、あれは楊徳妃らしくない衝動的な行動だったと呉三娘も思う。薄めた燐油で、短時間で、かつ染み出る程度の量だったからかぶれる程度で済んだのだろうが、量が量なら呉三娘の肌ですら荒れさせる劇薬である。


「子供相手にえげつないことをする……」


「これが後宮なのよ。田舎者にはわからないだろうけど、生きるか死ぬかの命を懸けた女の戦場ってわけ」


 呉三娘は文字通りの戦場を駆け抜けて来ているのだが、ここでそのような野暮を言うほど自己顕示欲は強くない。むしろいい気になってぺらぺらしゃべってくれてありがたいくらいだ。


「さあ、お望み通りすべて話したわ。飲み干しなさい」


「飲む……」


 呉三娘は、ふ、と笑ってから盃の中身を一気に飲み干し――投げ捨てた。


「ふんっ」


 それから、手首を戒めていた縄を一気に引きちぎった。


「お望み通り」


「なっ何よ! え? どういうこと?」


 孫女官は慌てふためいて戸口へと駆け出したが、逃がす呉三娘ではない。


「これが後宮なので……ごめんなさいね」


 そう言って、呉三娘は彼女の頸椎に手刀を振り下ろした。





「無駄に広いから監禁場所に困らないわあ」


 気を失った孫女官を皇后宮へ運び込んで閉じ込めると、呉三娘は、うん、と伸びをした。それから久しぶりに風呂に入り、いつものさっぱりした服装に着替えた。


「お疲れ様でした~」


 寿珪が酒とつまみを出してくれる。呉三娘はまったく酒に酔えない体質――おそらく酒も毒と同じように効かないのだろう――ではあるが、味は嫌いではない。今日の酒は異国から持ち込まれた蒸留酒だ。干し葡萄とよく合う。


「皇帝陛下には遣いを出しておきましたよ」


「ありがと」


 こちらも異国の産の青い玻璃の徳利から、同じく玻璃の杯に酒を注ぐ。琥珀色の酒の色が透けて、酒杯は酒の入っているところだけ緑色に変わる。


「それで、どうする予定なんです? 皇太后陛下の前に孫を連れ出して『余の顔を見忘れたか』ってやるんですか?」


「何『余』って。厳めしい」


「お約束ですから~」


 寿珪が意味不明なことを言う。この双子侍女は、時々よく分からない言動をする。まるで呉三娘の知らないどこかの「お約束」があるようだ。まあ、二人の父は書物好きで央都からの文物をよく取り寄せていたから、呉三娘の知らない古典なり物語なりがあるのかもしれないが。


「私たちは同じ船に乗り合わせた仲間だから。どんなに腹が立っても表立って相手を潰すわけにはいかないし。

 穏やか~にお話しをさせていただきますよ、呉家の者らしくね」

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