05.楊徳妃の侍女が言うには
「皇后陛下へのお目通りは難しいので、私たちで一旦お話をお聞きします」
嘉玖も呉三娘も衛兵の扮装をしていたので、一旦嘉玖が寿珪を呼びに行き、侍女である寿珪と衛兵姿のままの呉三娘が侍女の詰所で話を聞くことになった。
打ち合わせ用の飾りのない方卓に椅子が二脚。李氏と寿珪が座り、呉三娘は立っている。
「先日、簪の件を皇后陛下が解決してくださったとお聞きして、もしかしたら助けていただけるかもしれないと思い、やむにやまれずお訪ねしたのです」
楊徳妃の侍女は
「基本的には皇后陛下は後宮内の争いには干渉されません。先日の仲裁は、突然押しかけられたから仕方なく、です」
「ええ、それは理解しております。何故あのような失礼なことをしてしまったのか……。当家のものも、香淑妃様の側の方々も、少し混乱していたのだとしか思えません」
「まあ、それは皇后陛下ご自身が気にされていないので、もう何も申し上げませんが」
やはり、簪の一件には関わるべきではなかったな、と呉三娘は思った。次の皇后が決まるまでひっそり暮らすのであれば、彼女たちと関わり合いになってはならなかったのだ。
「それで、助けてほしい、とは?」
「はい、実はお恥ずかしい話なのですが、例の簪が盗まれてしまったのです。そして、私の血縁がその犯人だと疑われて、鞭打ちの上連れていかれてしまって。
でも、彼女はそんなことをする人ではないし、何より簪は見つかっていない――最後に簪を運んだのが彼女だというだけです。証拠は何もないのに、このままでは彼女がどんな目に合うか」
女官や妃嬪は
ただし、妃嬪と侍女の主従の間でのみ起こったことであれば皇后まで話は回さず内々に処理されるのが普通だ。
この主従の関係に嘴をさしはさむことができるのは、やはり後宮の主たる皇后だけである。
☆
侍女が語った経緯はこうだ。
簪が壊れた日、皇后陛下の元を辞してから、楊徳妃と香淑妃は今後の段取りを相談するため、そのまま楊徳妃の宮殿に集まった。まずは香淑妃が皇后陛下の元へ謝罪に向かう、楊徳妃は翌日にする、と。
「そして翌日、つまり一昨日、香淑妃様が首尾を報告するとかで、また来訪されて、少しおしゃべりをされたのです。その後、工匠へ渡す前に確認するため簪を出したのですが、箱の中に入っていなかったのです」
「なるほど、最後に簪を見たのはいつ?」
「皇后陛下にご仲裁いただいた日が最後です。香淑妃様とともに戻った後に、女官が箱にしまって、侍女が装飾品の収蔵場所に片付けました」
「で、昨日確認したらなかったと」
「はい」
「昨日ここに徳妃様が来た時、お付きの侍女が『盗まれた』と言ったのはなぜ?」
「――皇太后陛下が、簪がなくなったことをご存じで、こちらへお伺いする前、朝早くにおいでになったのです」
「えっ何で? って、だから盗まれたと思ったのね」
「はい、仰る通りです。いずれ広まるにしても早すぎます。無くなったことをご存じだったとしか――。
皇太后陛下はこうおっしゃいました。皇帝陛下下賜の宝物を紛失するなど信じがたいことであると。本来ならば全てを詳らかにして徳妃様を罰するべきだが、幼い娘にそのようなことはしたくないと。周囲の者達の管理不行き届きということにしてあげるから、紛失した責を負うべき者に罰を与えよと。
それで、徳妃様は、簪を片づけた侍女を差し出して、鞭打ち、に」
「さっき連れていかれた、と言ったのは?
「皇太后陛下預かりとなったので、その後どうなったかはわかりません」
「なるほどねえ」
香皇太后が楊徳妃を直接罰しなかったということは、恐らく牽制と、楊徳妃の力を削ぐことが目的だ。呉三娘にとっての双子侍女のように、後宮においての侍女というのは、ただ自分に仕える者というだけの存在ではない。
「簪に近づけて、簪がなくなるまでの間に出入りしたのは香淑妃様とお付きの方のみ。けれど、かの方がいる間は目を離しませんでしたから、盗めたとは思えません。となると、宮殿の者に裏切り者がいるということになるのですが、宮殿内を隅々まで探しても簪は見つからず……」
「どうやって盗み、宮殿から持ち出したか……」
「少なくとも簪を盗んだ者が見つかればよいのですが、ここでは徳妃様のお父上の力は及びませんし」
「とはいえ、よその宮殿で起きたことに皇后が介入するのは……。宮正の取り調べを待つしかないのでは」
呉三娘が思わず呟く。
「ご存じないかもしれませんが、女官たちの間では太皇太后陛下と皇太后陛下の二派閥が強いのです。下手に公的な取り調べを受ければ、あらぬ疑いを招くことになるかもしれません」
「それでは、こちらに頼ればどうにかできるとでも?」
呉三娘の問いかけに、李は気まずげな顔になった。
「いえ、そういう訳ではなく……先日の簪の件では、皇后陛下は素晴らしい機転で見事に事態を解決してくださったとか。
お知恵をお借りして、簪を本当に盗んだのが誰なのかを明らかにしていただきたいのです」
皇后宮の一室に、沈黙が落ちた。
素晴らしい機転、とは。呉三娘としては、ただ子供をなだめすかして言いくるめて返しただけなのだが。
「いや、調べもせずに解決はできないし、皇后が徳妃の宮殿で調査なんてできないでしょう」
「……あっ! なら主……あなたが潜入すればいいんじゃん?」
「はい?!」
寿珪が呉三娘を指さしてとんでもないことを言い出した。
「だって宮正の取り調べはダメ、皇后陛下も調べもせずに解決できない、ってことは、皇后陛下が内々に調べて解決すればいいわけだし、なら皇后陛下の信頼も篤く、身も守れる呉さんが潜入して調べればいいじゃない」
「ちょっ……! ちょっとこっち来て!」
呉三娘は寿珪の袖を引っ張って部屋の隅に押し込んだ。
「何考えてんの!?」
「さっき言った通りですけど~。楽しそうだし、偉い人が身分を隠して市井に潜入するのはお約束じゃないですか~」
「『お約束』って? 何言ってんの!?」
「私や嘉玖でもいいですけど、何があっても絶対死なないのは主だけですし」
「……別に、徳妃の宮殿で命の危険とかないと思うけど」
「さっきの話だと、皇太后陛下か太皇太后陛下が絡んでそうですよ。
皇太后陛下はともかく、太皇太后陛下は樨国勢を隙あらば排除しようと思ってるでしょ」
「はあ~……ババアとクソババアが出てくるんだったら、まあ、うーん」
皇太后は皇帝の生母、太皇太后は皇帝の祖母で、急遽退位した前皇帝の母である。後宮で皇后に対抗できる数少ない人間だ。彼女らもまた。皇帝の家族のくくりに入るからだ。そもそも呉三娘が主の後宮で侍女を罰して連れ去るなど越権行為だが、よほどのことでもなければ見逃される立場だ。
この二人には皇后冊立にあたっても、後宮へ入るにあたっても、陰日向なくびっくりするくらいの嫌がらせを受けた。
呉三娘は脳筋なので、物理には物理で、言葉には言葉でちぎっては投げちぎっては投げしてきたが、それができたのは、彼女が皇后で、樨国公の娘で、呉三娘だからだ。寿珪や嘉玖にはできない。
「でもさ、徳妃には顔知られてるよ」
「徳妃様には話を通しておくべきですね。あとは化粧で何とかなりますよ。あなた皇后としてはあるまじきことに、ほぼすっぴんの顔しかさらしてないですから~」
「私が不在の間どうするの?」
「どうとは? 存在感皆無の皇后がちょっとばかり不在にして何か不都合あります? 書類仕事もちょっとくらい滞ったって大丈夫でしょ~」
「……数少ない私を認識している存在である皇帝陛下には一報入れておけばいいですかね」
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