十三着目「きっかけは、御中」
現在の時刻は、けっこー明るいから、なんとなく昼過ぎ。時計を見るのは……めんどくさい。
あんな事もあり、あれからしばらく、引きこもりになってしまった。
ベッドに仰向けになりながら、ドアフックに掛けられた、クリーニング済の背広とスラックスを眺めている。
「あーあ、捨てたハズだったのにな~。衣類のゴミの日、間違えちゃったか……」
母親には、この事に関して、何も言わなかったし、特に何も聞かれなかった。
だから、黙ってた。きっと、これからも黙ってると思う。
あの汚れは、一度手洗いして、汚れを落とさないと、きっとクリーニング屋さんも断るはず。
そんなの自分で洗うのも嫌だし、まして他人に洗われるのは、もっと嫌だと思ったから捨てた。
全部捨てちゃえば、この件の事は、僕の人生の中で、無かった事に出来ると思った。
なのに、戻って来た……。
「はあ~、甘かった……」
溜息を付きながら、額を手で押さえる。
僕はいつも詰めが甘い。
もう、アラサーにもなるというのに……。親に何やらせてるんだろうと、情けなくなる。
親からしてみれば、行動パターンが、まんま子供のままなのだろう。
就職活動は、頑張りたい気持ちとは裏腹に、いざ動こうとすると、体中ビリビリと痺れるような感覚があり、なかなか自分の部屋から行動範囲が広げられない。
ドアフックに掛けられたスーツをタンスに戻す事すら、億劫なのに、そんなこと出来るわけない。
朝は寝てる。昼は憂鬱。夜だけメッチャ元気。そんな生活に慣れてしまった。
引きこもり生活の間、パソコンでネットを繋ぎ、執事喫茶のホームページを何度も見返した。
「へー、Robin's Egg Blue(ロビンズエッグブルー)ていうんだ~」ネットで調べて、初めてお店の名前を知った。
ホームページを観た感想は、ターコイズブルーの小鳥のロゴが可愛らしいと思った。
なんか語彙力なくてゴメン……(苦笑)
そして、驚いたことに、なんと!今!!執事を募集しているのだ!!!
しかも、締切日は、今日。
僕のやる事はとっても簡単。
『カタカタカタッ♪』とキーボードを叩き、『ポンポン♪』とマウスをクリックして、メールを送ってしまえば良いだけ。
なのだが、未だに踏ん切りが付かずにいる。
衝撃を受けたあの日から、目を瞑ると、テレビで観た光景が自然と蘇る。
執事がお嬢様に紅茶を注ぐ光景を何度も何度も脳内イメージを繰り返す。
そして、イメージの中では、いつの間にか、僕が執事になり、お嬢様に紅茶を注いでいる。
僕がお給仕をしている姿をイメージしてる時は、すごく楽しい、すごく心が弾む。
ごくごく自然に何の違和感もなく、さも当たり前のようにイメージしてしまう。
ふと我に返って、自分の都合の良い妄想に、恥ずかしくて顔から火が出そうになる。
「でも、なんであんなに明確にイメージ出来るんだろう~」
未来が見える、とか、予知夢ってこういう感覚なのかな?スピリチュアルな体験とか、案外こんな感じなのかもしれない。
そう思ってしまう程、無意識にイメージしてしまうのだから、気持ちは、完全に執事喫茶に向いている。
お嬢様の為に紅茶を注ぐ。それだけなのに、あの若い執事からは、まるでお嬢様をお守りする騎士のような勇ましさを感じた。
そこに僕は、見惚れてしまった。
思えば、僕の人生は、小さい頃から、大人になった今でも、『もっと男らしくしなさいと』言われ続けた人生だった。
もちろん、あみちゃんにも呆れられるように言われた。
でも、僕には“男らしさ”が何なのかわからなかった。男らしさの“見本”が近くに居なかった。
小さい頃から、父親は出張が多く、ほとんど家にいなかった。たまに家に帰って来ても、疲れ切った父を見て、あんまり、わがままも言えないと子供ながらに感じた。
なるべく、良い子でいようと子供ながらに心掛けた。
近所の友達が、日曜日にお父さんとキャッチボールをしているのを見て、子供ながらに羨ましいな~と思った。
そんな僕の様子を見かねたのか、おばあちゃんが、一緒に男の子らしい遊び、キャッチボールや相撲を取ったが、子供ながらに思った。やっぱり違う(笑)
大人の男の人が、どういうのかイマイチわからず、子供時代を過ごした。
もちろん、学校の男性教師や、ガキ大将っぽい同級生もいたが、男らしさの“見本”とはちょっと違った。
結局、男らしさを見つけられぬまま、大人になり、”男らしさ”を求められると、僕は不快な気分になり、それを凄く否定した。
いつからか、“男らしさ”がコンプレックスになり、それをなるべく避け、遠ざけようとした。
しかし、その一方で同じくらい、まだ見ぬ“男らしさ”への欲求と願望を密かに抱いていた。
僕が一番嫌だったもの、でも一番欲しかったもの。
それが、あの若い執事にはあった。お嬢様の為に紅茶を注ぐという光景の中に。
お嬢様の為に尽くす行為、そこに僕は“男らしさ”を見出したのだ。
その直感に僕は賭けたかった。
あと、何故だかよくわからないけど、不思議と自分なら出来る!という全く根拠のない謎の自信が、心の奥底からフツフツと沸き起こり、吹き上がってた。
でも、その抑えられそうもない情熱的な感情を理性が全力でブロックして来た。
『ロビンズエッグブルーって、凄く豪華で素敵で超高級そうなお店でしょ?テレビで観た時は、すごく気持ちがウキウキしたけど、やっぱり自分には場違いなんじゃない?どうせ、頑張っても出来ないんじゃない?』なんて理性の僕が語り掛けてくる。
『それに、もういい加減、良い年なんだし、好きとか楽しそうで仕事選ぶのは将来的にどうなの?』僕の理性の声がさらに畳みかけてくる。
「あーあ、やっぱそうだよね~」
今日も理性の声が勝ってしまった。
「所詮、妄想が暴走してるだけ。やっぱ、諦めるか」
そう言って、ふと机をみると、会社に返送しなきゃいけない、退職の手続きの書類に目をやった。
「めんどくせー、やる気ないけど、失業保険の為に頑張るか~」
書類に記入事項を書き、社員証などを封筒に入れ、封をする。
この時、会社名の後に『御中』を付けるかどうか迷ったが、リストラされたせめての、僕の出来る最後のささやかな抵抗として、敢えて『御中』は書かないようにした。
「郵送した帰りにコンビニでも寄ろうっと♪」
トントントンとリズミカルに階段を降りると、玄関で母親と鉢合わせた。
「ちょっと、アンタ。そういう書類って社名の後ろに『御中』て書かないと失礼なんじゃない?」
もちろん、社会人としての常識。至って正論だ。
だがしかし、こっちの気持ちはどうなる?会社から捨てられた人の気持ちはどうなる?
なんでこっちが、そこまで遜らなきゃいけないんだ!
『バシッ!』
そんな気持ちが、悔しさと切なさとやるせなさが衝動的に溢れ、封筒を床に叩きつけていた。
「ハッ!クビになった人の気持ちわかんのかよ!どこまでお人好しやってなきゃいけないんだ!ちょっとはこっちの気持ちも考えてみたことあんのかよ!」
親だけではない、僕の言葉は、世間全体に言いたい一言だった。
「まーた、そんな事ですぐ怒るんだから~」
やはり、母親だけあって、息子の神経質な性格には慣れっこだった。
僕は、叩きつけた封筒を拾いもせず、怒りに任せて、階段をダンダンダンと駆け上がり、ドアフックに掛けてあるスーツを鷲掴みにし、タンスにぶち込み、鬼のような形相でパソコンを開いた。
ちょっとでも親の為に、せめてまともな職に付こうと考えてた自分がアホらしく思えた。
「何が親の為だ!何が将来の為だ!自分の為だ!今やりたいこと、やってみたいことをやってやる!」
怒りと勢いに任せ、僕はロビンズエッグブルーの執事の募集に申し込んだ。
その後、皆が寝静まった頃合いを見て、叩きつけた封筒を拾い、ひっそりと真夜中のコンビニに出掛けた。
郵送料がわからないから、テキトーに500円分も切手を貼ってしまった。
「はぁ~、短気は損気だ……」
缶コーヒーをすすりながら、頭を冷やした。
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