【恐怖体験、短編:本編は3500字以下】僕が家の手伝いをやるようになった理由(わけ)

亜逢 愛

僕が家の手伝いをやるようになった理由【本編】

 小学4年生だった夏休みのある日、僕は河原で友人たちと遊んだ。ザリガニをったり、川面に石を投げて石がねる回数を競ったりした。

 夕方になったので友人たちと別れ、僕は一人自転車に乗り、家路にいた。


 僕の家は河原からは東の方角なので、西日が背中に当たって焼けるように暑い。そのためか自転車をこぐ足が速まった。

 人家と畑が混在する田舎道である。車がやっとすれ違えるくらいに細い道だった。歩道なんていうのはなかったので、僕は車道を走る。

 スピードを出したが、同じ幅の道が交わる三叉路では一旦減速し、その後グイグイと再加速した。


 と、その時である。

 後ろから女の子の声が聞こえた。


「速い、速い、もっと速く、もっと自転車をこいで!」

 元気ではあるが、知らない声だ。

 後ろから聞こえるのだから、振り返りたくなるはずである。


 だが、僕にはできなかった。


 だって、西日が当たって暑かったはずの背中に、今は氷のような冷気が張り付いていたからだ。


 僕は直感した。この声は人間の声じゃない!


「そうよ、真っすぐよ、真っすぐ、どんどん走って!」

 声が近い。

 僕のすぐ後ろから聞こえてくる。自転車に二人乗りしているかのようだ。

 でも、ペダルは重くない。やっぱ、人間じゃない。相手をしてはいけないんだ。

 あまりにも、はっきりとした声に僕は妙に冷静だった。


 相手をしたら取りかれそうだし、一緒にあの世へ連れて行かれるかも知れない。そんなTVを見たおぼえがあった。

 だから、振り返りもしなかったし、返事もしなかった。

 何事も起きていないかのように、平静を装って家に帰る。ただ、それだけを考えた。


「もっと、急いでよ! お母さんの手伝いをするんだから、夕飯の野菜を洗ったり切ったりするんだから! もっとこいで! もっと自転車をこいで! 速く、速く!」

 僕に向かって叫んでいるようだ。

 でも僕は返事をしない。振り返りもしない。声は無視して、僕は僕の家に帰るんだ。


 十字路に差し掛かる。僕は左折した。当然、自宅の方向だ。


「こらっ! そっちじゃない!」

 女の子の声質せいしつが変わった。低い声となった。

 やばい!

 僕の目の前を恐怖がひるがえった。

 女の子が本性を現したと思った。そう、人間じゃない本性を。


 その声はさらに低くなり、青年男性のように太くなる。

「あたしの家はあの十字路を右よ! 戻って、戻って! 引き返して! ……引き返せ~! そっちじゃな~い! 引き返せ~! 引き返せ~! ぐごごぉぉぉ~!」

 命令口調となって、最後は肉食動物のうなり声のようになった。


 引き返して女の子の家へ行くなんて、できっこない! 怖くて怖くてたまらない。僕は僕の家に帰りたいんだ! 自転車をこぐ足がもっと速くなる。


 僕はもう、心の端っこを恐怖という化け物にみつかれているような感覚だった。


「ぐぐぐ~、聞こえないの~! 戻れ~! 戻れ~! 戻……れ……」

 僕は恐怖のために耳すら貸せなくなる。

 その子が何を言っているのか、もう聞こえない。


 ただ、こぐ! こぐ! 自転車をこぐ! 必死にこぐ!


 僕の家が近づいてくる。あと100メートル、あと50メートル、あと10メートル。


 僕はガチャンと自転車を玄関近くの地面に投げつけると、ダッシュで家の中に入って二階へ駆け上がり、自分のベットに飛び乗って、ブワッとタオルケットを全身にかぶると同時に、下を向いて丸くなる。さらに、頭を両手で抱えて防御態勢をとった。

 本当ならかぶるのは掛布団なのだが、夏なので押入れの中だ。出している余裕なんて僕にはなかった。


『南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、悪霊退散、悪霊退散』


 僕は心の中で唱えた。1時間も唱えた気がしたが、実際にはほんの2,3分だったと思う。


 トントン トン トトン

 階段を登る聞き慣れた足音、母親だ。

 帰っても声すら掛けずに自室にこもるなど、普段とは違う僕の行動を不審に思ってやって来たのだ。

「帰るなり、ベットに入ったりして、具合が悪いの?」


 僕は恐る恐る声を出す。

「他に誰もいない?」

 もしかしたら、あの子が来ているかも知れないと思った。

「いないわよ。友達が来てたの?」

「違うよ、誰もいないならいい」

 僕は母親の存在に安心できた。タオルケットをはぐって床の上にトンと立った。


「なに? 〇〇ちゃん、寒いの?」

 心配そうな母親の顔がそこにあった。


 僕の背中に張り付いていた氷のような冷気は、知らないうちになくなっていた。逆に暑いくらいだ。

 それもそのはず、自転車を思いっきりこいだあとに、冷房もない部屋でタオルケットをかぶったおかげで、汗は吹き出しTシャツが肌に張り付いている。

 なのに、寒いとか言われたのだ。

「えっ? 僕って寒そう?」

「だって、顔が真っ青だし、手も震えてるじゃない」

 気付くと僕の両手は鳥肌を発症させ、小刻みに揺れていた。


 僕は何とか母親をごまかした。

 あの声のことを言いたかったが言えなかった。言うとあの子を呼び寄せてしまいそうに思えたのだ。

 その後、その日は日常の通りだった。僕は声のことは考えずに眠りに就いた。そして、誰にも明かさず忘れるように努めた。



 それから1年くらいが過ぎたある日、まだ日が高い午後に、僕が自転車に乗っていると、河原からの三叉路で、車に乗った近所に住んでいる顔見知りのおじさんに注意された。50歳くらいのちょっと怖そうなおじさんだ。

 わざわざ車の窓を開けて声をかけてきた。

「こら! そっち側は一時停止だぞ!」

 出会いがしらに自転車と車が接触しそうな感じだった。でも、僕からしてみれば全然余裕だった。

 そのように言ったら、おじさんは深刻な顔をして、こう言った。

「ここで交通事故があったんだよ。女子小学生の自転車が自動車にはねられたんだ。〇〇君の側から飛び出したらしいんだよ」


 僕はハッとした。直感が心臓にグサリとささり、凍りついた。忘れていた記憶が一瞬にしてよみがえったのである。

 小学4年生の夏に聞いた、あの声の子だと思った。声が聞こえ始めたのは、この三叉路を通り過ぎてからだったのだ。


 あえて僕は聞く。

「その女の子は無事だったの?」

「警察は自動車の方を見ることなく、女の子が飛び出したと言っていたよ。即死だったそうだ。夕方だったから急いでいたらしいとも言ってたな。でも、夕方じゃなくても、ここでは自動車に注意しなさい!」

 おじさんは怖い顔をする。

「うん、分かったよ」

 急いでいたのか、やっぱ、あの子のようだ。そして、僕は知っている。誰にも言えないけど、急いでいた理由を知っている。夕飯の手伝いをしたかったからだ。

 それで、家に帰ろうとしていたんだ。

 僕は聞く。

「……その子は近くの子だったの?」

 帰りたかった家はどの辺りだったのだろう?


「すぐ先の十字路を右に曲がって少し行った◎◎地区だよ、近所の子だ。近所の道だから油断があったかも知れないな。でも、20年以上も前の事故だから、もうその子の家も無く、今は空き地になっているけどな」

 おじさんは遠くを見る目をした。

 そのあと、僕にもう一度注意を促すと、おじさんは行ってしまった。


 おじさんを見送っていると、恐怖が僕の頭をよぎった。

 もし、あの子の言うことを聞いて、引き返して◎◎地区へ行ったとしたら、そして言われるがままに、あの子の家があった空き地まで行ったとしたら、いったい、僕はどうなっていたのだろう? 一緒にあの世へ連れて行かれたかも知れなかった。

 もちろん、声の言うことを聞く余裕はなかったし、聞こうとする気持ちもなかった。

 だけど、言うことを聞かないでよかったと、心の底から思ったのだった。


 おいおい、そんなことを考えてる場合じゃない、早くここから離れよう。

 もう、この三叉路は通らない方がいいと思いつつ、僕は急いで家に帰った。



 その日以来、僕は家の手伝いをやるようになった。

 手伝いを言われても、渋ってばかりの僕だったが、文句も言わずに手伝うようになったのである。


 手伝いをやりたくて死んだあの子の分まで、家の手伝いをやろうと思い立ったからだ。


 いや、違うな。それは建前だ。大人になった今なら分かる。


 あの子を家に帰してやれなくて、かわいそうなことをしたと思う気持ちが、心の端っこに古い噛みあととなって残っていたんだ。

 女の子の力になれなかった、正確には、力になろうという考えが起こらなかった。

 それどころか、言うことを聞かないでよかったと心の底から思ったのだ。

 そのことが後ろめたく、それ以上にとても悪いことをしたように思えて、僕は家の手伝いをやるようになったんだ。


 そう、家の手伝いは、僕の贖罪しょくざいだったという理由わけだ。


おしまい




追伸

 にしても、やっぱり、一番は交通安全ですよね。





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