おりあい

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 長くひとつの土地に留まっていると、旅先の光景が、だんだん日常化してくる。

 町の中の道を覚え、店を覚える。しだいに通る道も固定され、利用する店も固定され、やがて道選びも、店選びにも迷わなくなる。未知の場所にいる違和感と緊張感は薄らぎ、消え、やがて、そこが見慣れた世界になる。

 おれは様々な大陸を旅をしながら、竜を払いの依頼をこなして来た。竜はこの惑星のどこにでもいるので、この生き方が維持できている。

 他の生き方をろくに知らない。けれど、この生き方で、生きている手応えを感じる場面は、何度もあった。

 少なくとも、この二十四年間はそうだった。

 いや、まてよ、二十五年か。二十五歳なのか、おれはいま。

 しまった、旅暮らしをしているせいか。固定された時期の季節を生られないせいか、時どき、自身の年齢を、よく見失う。

 いや、個人的に人生の集中力が無いだけの可能性もある。

 そんなことを想いながら、今日も、いつも使っている橋を渡って、昼食用の麵麭を買いに行く。そこが宿から一番近い麺麭屋だった。

素肌に、氷のように冷たい風があたり、吐く息は、煙草のけむりのように、濃い白さだった。

 聞けば、まだ、真冬までは猶予があるらしい。地元の人々によれば、今日はあたたかい日の部類だという。

 そういわれてしまうと、おれとしては「そうですか」と反応しかできなかった。

 この港町からはすぐに出るつもりだったのに、どんどん、滞在期間が伸びている。行きたい場所へ向かう船が出る予定がなかったり、出ようとしても、急に竜払いの依頼がやってくる。

 それを引き受ける。

 で、船に間に合わず。

 その流れが続いていた。

「もてあそばれている」

 と、なんとなくつぶやきつつ、橋を渡る。麺麭を買うために。

 そして、この橋の中盤には、いつも背広を着た老人がひとりで川へ向かって立っていた。七十代後半、いや、八十歳に達しているのかもしれない。

 その時間帯に、かならず橋のその場所に立っている。視線は川の方へ固定されていた。

 あるとき、ふと、かるく、おれは「どうも」と、挨拶した。相手もかるく反応した。

 そんなかるい挨拶が、やがて、日常化した。

 そして、その日は挨拶後に「あなた、この土地の人ではないですよね」と、声をかけられた。「遠い土地のお生まれではないでしょうか」

「ええ」と応じ、おれは立ち止まる。「東の方から来ました」

 なんとなく、やや、けむにまく言い方をした。

「そうですか」

 彼はうなずいた。

 で、おれは、そうだ、これはいい機会だと思い、訊ねた。

「毎日、ここに立っておられますよね」

「ええ、そうですね。ここから見えるものを見ております」

 どこか妙な言い回しをされた。

「わたしは、毎日、この場所からここを見ています。それが、わたしが見つけた、わたしなりの世界の制し方ですから」

 それは、ふしぎな感触の発言だった。

「毎日、同じ場所、同じ時間に立ち、この光景を見るているのです。そうやって、わたしは、ここから見える範囲の世界だけは完全に把握する。他の世界のことは知りません。ですが、ここから見える世界だけは、すべて知っているんだ、そう思うようにしているのです。毎日、そう、心の中で定義しているのです。わたしはここから見える世界だけは、この世界の誰よりも知っている存在だと」

 そう言い、彼はおれの顔を見て笑った。

「すいません、いや、ただの老人の世迷言ですよ。深くとらえなくてもいいです。お聞き苦しいでしょう。わたしはこの世界のすべては知らない、しかし、ここから見える世界だけは誰よりも知っている、そう思いたいです、特殊な人間、いいえ、ようするに傲慢です、無害な傲慢であろうとはしていますが、そう思うことで―――今日、この日、この瞬間までのこの人生と折り合いをつけようとしているのです」

 そう言い、彼は目を細めた。

 やがて、ゆっくりと息を吐いた。

「わたしはこのあたりで引き返します。あなたは、どうしますか」

 そう聞かれた。

「わたりきります」

 こちらの答えを聞くと、やがて彼は「そうですか」と言い、おれが渡って来た方向とは逆の方へ橋を渡っていった。

 翌日も、おれはこの橋を渡った。

 あの老人は、いつもの場所にいなかった。

 見ると、川は、ただただ昨日のように流れていた。水面の煌めきだけが、かたちを変えて。

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