びじゅつかんでえれたけいけんち
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
ときには、ぶらりと、美術館へ入ることもある。
その動機を現時点に固定して分解すれば、すなわち、せっかくこうして遠くまで来たんだし、少しでもその土地でしか見られない特別なものを見て、得をした気持ちになろうという。そういう、いうなれば経験値獲得至上主義のようなことが機能したからといえる。
で、美術館でしかできない経験値を得るため、おれは、ぶらりと美術館に入った。絵画を中心に展示されているらしい。
そして、どうやら、この美術館では竜払いの場合、鞘から剣が安易に抜けないようにしにしていれば、剣を館内に持ち込んでもいいらしい。
そこで剣を背負ったまま入った。館内に示された順路に従い、絵を観てまわることにした。いまは肖像画を集中的に展示した場所を進んでいる。
絵のことはわからない。なので、絵のことをわかるふりはしてみるごっこをしていた。たとえば、なにもわからないけど、ひとつの絵の前に立ち、なるほど、ほー、ああ、そうきたかあ、という表情をつくってみる。
うーん、これはこれは。
なかなか、どうして。
などと。
それっぽく。
むろん、孤独な遊戯ではある。
美術館の中は極寒の外とちがい暖かい。ゆえに、心も軽くなるのか、複数人で連れだって鑑賞している客は展示されている絵について、ああでもない、こうでもない、いや、このはずだ、しかし、そのはずだ、と絶え間なくしゃべり議論している。この町では、絵の前で大いに語る文化があるらしい。
おれは絵ではなく、つい、絵を観て話している人々の方を見てしまう。
そうして、絵と人を眺めつつ順路に従い歩いていたときだった、驚愕である。
おれとそっくりの顔の絵がある。
いや、次の瞬間、それが鏡であると気づいた。絵ではなく鏡に映ったおれの顔である。鏡の縁には見事な装飾がしてあり、その縁の装飾が美術的にすごいらしい。
なんだ、鏡か、と思い、次へ進む。
直後だった。
「まあああ」背後からそんな声がした。「なんともはや」
振り返ると、おれの後に六十代くらいの上品な装いのご婦人が、さっきの鏡の前に立っている。彼女は鏡に対し正面に身体に構え、怪訝な表情でじっとにらみ、やがて、ぷい、と顔を反らし、歩き出した。
そのまま、おれの横を通り過ぎる。そして、ちょと先にいた連れ合いらしき同世代の彼女と合流した。
で、彼女は友人へ言う。
「あそこの絵、観ましたか、あなた」
「絵?」
「わたし、あの絵をみて、いらいらしました」
いや、絵、ではなく、あれは鏡だったけど。
ということは。
おっと、これは、まさか。
「ああぁ、いらいらするっ!」といって、彼女は身体をゆすった。「なんででしょう、わたし、いらいらする、ああ、とめどなく、いらいらがくる。なんでしょうか、なんでしょうね? あの絵に描かれている人間の、内面、そう、邪悪な内面が、どぼどぼ、にじみ出ててる絵で、ああー、とにかく邪悪を感じました、邪悪な人物が描かれててー、まるで、そう、毒りんごの大量出荷元、のような、言い換えると評判の悪い蛇使い、のような、もっというと、毒きのこの乱獲者、そんなようなっ」
放たれる、いらいらの言語表現が、やや、あれだったけど、すごく、いらいらしていることだけは、離れていてもよくわかった。
「ええい、あの絵めっ、気に食わないったらない。こうなったら、もう一回、みてやりましょう」
そして、彼女は引き返す。
おれは様子を見ることにした。
彼女はふたたび、鏡の前へ立つ。それから、ある瞬間、ぴく、っとなった。鏡だと、気づいたらしい。
やがて、彼女は無言で鏡の前から離脱した。
そして、美術館の出口まで走っていった。友人をおきざりにし、全力疾走である。
これを目撃した、おれのこの経験は、美術館で滅多に得れる種類の経験値ではないだろう。
それだけは、いえた。
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