とくべつなあさ(5/5)

 楯は半分になっていた。残りの半分は塩の塊みたいになり。ほどなくして、粉々になり、塵になってすべて消えた。

 見上げると、まだ夜だった。

 独り歩いて森だったものの中を歩いて進む。まだ立っている木の葉のほとんどが吹き飛んでいた、そのせいで、月明かりがよく差し込み、闇は薄まっていた。木々の半面はぼろぼろになり、削れ、えぐれ、倒れている。

 あの白い光りに、どれだけ身体を弾き飛ばされたのかはわからない。きっと、右耳がやられていた。視覚は問題ない範囲で機能している。あの楯でどこまで得体の知れないあの衝撃を防げたのかは不明だった。

 意識は糸一本でつるされている感じだった。ひどくゆれるし、気を抜けば途切れそうだった。小さな刺激でも落ちそうだった。

 ふと、竜を感じた。

 それも数えきれないほどの無数の竜。

 反射的に空を見上げた。何かが飛んんでいる、鳥の群れのようだった。けれど、鳥の群れじゃない。

 小さな竜だった。手の平におさまるほどの、小さな竜の群れだった。星々の光りに混じって、星のように光り、星のような数に見える竜が夜の空へ飛んで行く。

 生まれて、はじめて見る光景だった。この星から、宇宙へ向かって飛んで行くように見えた。

 長い間、おれはそこからそれを見上げていた。

 やがて「そうか」と、つぶやいていた。



 森を出ると、ようやく、夜が終わる気配が空にあった。

 そこにソラベとギリアームが待っていた。双方、種類の違う、ぼろぼろだった。

 それから三人で脱出し、来た道を引き返す。その道中、おれはふたりへ漠然と「光を見たか」と、訊ねた。

 ふたりは、何のことかわからないという表情をした。

 その後、おれたちは別の道を行った。ギリアームが役目を果たしたのかは確認しなかった。

 ひとりで歩き、町の入口に川にかかる橋までやって来た頃には、夜が明け始めていた。

 おれは橋を渡るまえに川で顔と手を洗った。すると、川にはりついたさまざまな汚れが混ざって流れていった。

 渡ろうと橋まで戻った時だった。

「ヨルさん」

 声をかけられた。

 カルだった。こちらを見て唖然としている。

 なぜ、ここに彼が。

「え、だいじょうぶですか………?」

 おれが襤褸切れのような姿を目にして、そう訊ねて来た。

 そこで「急な依頼で」と答えた。「夜に、急なのをね。で、見ての通り、けっこう、やつけられた」

「あー……そう、だったんですね」カルはここでおれに出会った驚きの方が大きかったせいか、こちらのあいまいな説明を疑わなかったらしい。「そー………そっか、そう、ですよね、竜は人間の都合なんて、関係ないですもんね………夜でも昼でも………やってくる………」

「君は、ここでなにを」

「あ、はい。さいごに、この町を歩いておこうと思いました」

「さいごに」

「はい、この町を覚えておきたいんで。さいごに、あらためて歩いてまわってたんです。というか。あまり眠れなかったってのも、あって」

「そうか」

「ヨルさん」

「はい」

「すごく、中途半端なんですが、お時間いいですか、聞いてもらいたいんです、ヨルさんに」カルは橋に真ん中まで来ていった。「ぼくがたどり着いた竜の謎です、いえ、けっきょく、謎は解けてはないんですけど、その………こうかな、って、話なんですけど、その、仮説です、まだまだたてつけも、がたがたの、仮説ですけど」

 そういわれ、おれも橋の真ん中まで寄った。空の具合から、まだ、夜明けまでは少し時間がかかる。

 おれは「ああ」と、うなずいた。

「はい、あの、ありがとうございます」

 礼を述べて、カルは続けた。

「ヨルさん、三百年間、竜に滅ぼされなかった街を知っていますか。三百年都市と呼ばれる街です。ここから海の向こうにある、ずっと、遠くの街です」

行ったことがある。けれど、おれは「知ってるよ」と、だけ答えた。

「なぜ、その街は三百年間も竜の滅ぼされなかったのか。他の大陸では、どこの街も百年もたず、竜に滅ぼされています。でも、その街はだけは三百年間、竜に滅ぼされていません。で、その、これはぼくの考えですが、その街が三百年間、滅ぼされなかったその理由は、滅ぼされる確率を、できるかぎり、減らしているからです」

 滅ぼされる確率を減らす、とは。

「竜には、なわばり―――っとていいのか、竜はそこに別の竜がいると、その………その場所には近づかない性質があります、いえ、特殊な竜はのぞいてですけど、でも、そんな竜はほとんどいません、稀です。竜は、そこに別の竜がいると、その場所を避ける傾向があるんです。いえ、怒って群れになるときは、たぶん、なにか竜同士の規制が解除されて、とかは、ありそうですが、でも、怒っていない竜は極力、他の竜を避けます。そして、三百年間、竜の滅ぼされていないその街は、竜に滅ぼされていないだけで、大きな竜は現れないけど、なぜか、小さな竜は街の中に現れると聞きました。そして、調べてみると街の中には、人工の小さな森があるらしいです。そして、どうやら、竜は森が好きなんです。いえ、竜が必ず森にいるわけでもなく、ただ、森があれば、森に行きます」

 竜は森を好む。

 なんとなく、わかるような話だった。

「ぼくの仮説です。三百年都市は、わざと小さな竜を、街の中の森を配置しているんだと思います、ほんと、これは、ぼくの仮説でしかありませんけど、でも、街の地図を見ると、森の配置が、均等なんです。その森に人間がまだ管理しやすい小さな竜を配置して置くことで、他の大きな竜がやってくることを回避しているんじゃないかと思うんです」

 おれの顔を見て言う。

「………いえ、ぼくの仮説でしかないですけど、こんきょもまだ、よわよわの」

 そして、視線を外す。

「でも、ぼく、考えたんです。もしかして、このなわばりの話は、面積や距離も関係あるけど、それじゃなくって―――その、たとえば、極端ですけど、ひとつの大陸に、竜の絶対数が決まっているとしたら、って、いや、これも、根拠はないんです、まだ………でも、考えたんです、たとえば! たとえばです! ひとつの場所に、小さな竜を集めるんです、もの凄い数の竜を、それでも、もしも、ひとつの大陸で許容される竜の数が、なんらかの意図か、意志かで、決まっているとしたら―――大陸の他の場所では竜が出なくなる、ひとつの大陸での竜の絶対数が決まっているから、他の場所にはでなくなって、まるで、減ったように思えるんじゃないかって!」

 彼の声が大きく、強くなった。

「って、あ、すいません、まだまだ穴だらけの話しですから、その………指摘されたい部分は多々あると思います………」

 そういい、声を小さくして行く。

 おれは「小さな竜を、一か所に集める」と、そう言い、思い出す。

 目してきた光景を。

 無数の竜が実の植物群を。

 人間はまだ、竜がどうやって増えるのかを知らない。少なくとも、竜の卵など、誰も見たことがない。

「一か所に竜を集める。そんなことが可能なのかは、わかりません、だけど、もしかすると、この大陸のどこかに、竜が一か所に集まってて、それで―――それで!」

 カルの仮説。

 もしも、ひとつの大陸で、竜の数は決まっているとしたら。それが、かりに、なにかの意図によってか、竜という存在の仕組みなのか。

 そして、おれが見たあれは、竜の実る植物だった。大量に生えていた。育っていた。けれど、たとえば、あれが完全に実るまえに、実を排除し、かつ、新しい実を増やせるとしたら。竜の数は管理可能。

 あのとき、彼女は植物に取り込まれていた。

あれが、なんらかの管理の方法だったのか。カルの姉、アサも竜のことを調べていた。その中で、知ったのか。

 この土地は、数年前の地震で地質が変わったという。その影響で、竜を実り植物を栽培するに、適切な環境になったのか。そして、彼女は、あの場所で竜の実る植物を育て、そして、竜を生み、生まれさせない仕組みを構築したとしたら。

 あの森の近くだけは、異様な麦の実りだった。けれど、以外の土地は違った。どこも不毛な地と化していた。もしかして、あの場所で無数の竜を育てることで、他の土地の養分を奪い、他の場所が不毛の地と化したのか。その影響範囲は広く、不毛になる土地は、これまでの人々が暮らせない、生きられない土に変えたとしたら。

 いや、わからない。

 けっきょく、これはおれの安直な想像でしかない。

 それでも思い出す。最後にあの場所を見た時、夜空を走る、小さな竜の形をした光りの群れを。

あれがすべて竜だったとしたら、今夜、この大陸には多くの竜が放たれたことになる。

いっぽうで、これでふたたび他の土地に栄養がまわるかもしれない。

 だとすると、あのふたりがやってきたことは――――――。

 ――――――そして、おれがやったことは。

「ヨルさん」

 名を呼ばれて、世界に引き戻される。

「これが、ぼくが、ここで生きてたどりつけた、せいいっぱいの世界の秘密です」

 そういい、カルは頭をさげた。

 しだいに、朝陽が昇り始めた。流れる川の水面に、陽の光りが散らばって、反射していた。

「カル」

 と、おれは彼の名を呼んだ。すると、まっすぐにこちらを見て来た。

「話しておきたいことがあるんだ」

「なんですか、ヨルさん」

 けれど、おれは話しかけておきながら、しばらく黙ってしまった。

 そして、いつのまにか、下がっていた顔をあげた。

「秘密を話そう」

 カルはずっと、まっすぐにおれを見ていた。

「おれの母親の名前もさ、アサって言うんだよ」

 それを伝えると、カルは、きょとんとした。出会った頃に目にした、きょとんとした顔だった。

「で、父親の名前は、ヒルっていうだ」

 おれはかまわず続けた。

 カルはしばらく、きょとんとしていた。けれど、やがて、笑い出した。そうしているうちに朝陽はのぼりつづけ、カルは「っは」と、声を出して笑った。

 それから、くだらない話を少しして、カルは先に橋を渡っていった。

 ふたりで宿に戻ると、入口につるした光源の明かりを外そうとしているリンジーがいた。

 彼女はおれたちを見えると、微笑んだ。

 リンジーは。

「おかえりなさい」

 と、いった後。

「おはようございます」

 それから彼女は、また微笑んだ。

 カルは笑顔で「ただいま!」といった。

 おれの方は「おはよう」と。

 それから、リンジーは胸を張っていった。

「特別な朝ごはん、用意してます」

 彼女の手にはまだ明かりのついたままの光源があった。

 

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