とくべつなあさ(4/5)

 長い時間、夜の中を進んだ。

 暗く静かな草原を渡り、一度、荒野へ出た。土が完全に滅びた領域をゆく、やがて、また草原になり、歩みは止めず、たどり着いたその果てには、かすかな月明りでも、異様なまでに煌々と実って見える、円形、かつ、広大な麦畑だった。

 黄金の円の中心には、山型に膨らんだ濃密な森があった。森の周辺には、中途半端な建造物がみえる。まるで造りかけの都のようだった。

「あれだよ」

 先導するソラベが茂みに身をかくしつつ、そういった。

「あの不自然な森が本体って感じの、竜母の居場所」

 見ると、闇の中に無数と、炎が浮かんでいた。

 炎の正体は、たいまつだった。大勢の者たちが、真夜中にもかかわらず、たいまつを手に警戒態勢をとっていた。そして、もう片方の手には、武器代わりに農機具を握りしめている。

 おれは「警戒がすごいぞ」と、いった。「わかりやすく、ここは何か守らなければいけないなにがあるようにみえる」

 ソラべは「まあね」そういい、続けた。「だって、さっき、わたしが潜入したとき、ちょいとだけ失敗して、みつかったもの。ゆえに、最上級に警戒態勢になったまでさ」

 すなわち、彼女のしくじりにより、状況が悪化したらしい。けれど、その失策についての反省する様子はない。零だった。

「あの森の中にアサが入って行った。そこまでは確実に見届けた」

 森。あの、さも、この地の中心めいた存在感のある、あれか。おれの記憶では、むかし、ここに森はなかった。この数年で出来上がった森なのか。けれど、森なんてものは、そんな短時間で出来るものか。

「ここはいったい」

「噂の場所だよ、まさか知らないの?」

「おしえてくれ」

「数年前から、なぜか、やたらとここの土地は、植物はなんでもよく実るようになった。あの地震以降ね」

 あの地震。そういえば、数年前に、この大陸で大きな地震があったと聞いた。

 そして、その地震の影響で、土の質が変わったせいで、大陸の広範囲で作物の不作が多発した。それが、この大陸の人口減少の原因のひとつも、ともいわれている。

ただ、なぜか、ふしぎと、地震後に、むしろ、作物がよく育つ土地も出現したという。

 そうか、それがここなのか。

 ソラべが言う。「ここの土はいいぞ、って噂を聞いて、ここに人があつまった。麦でも豆でも、なんでも、めっちゃよく育つから、魔法みたいにね。でも、あの森はその前からあったらしい。わたしもまあ、情報屋だし、なんか、あの森のまわりが、すごいことになってるって話は、さすがに聞いたことはあった」

「そうなのか」

「ようは、ここは不思議な次元にある、ふしぎな土地で。あの警戒しているのは、その次元の信仰者、って感じよ。実際に、不自然なほど豊作という恩恵も受けてる人たち」

 じつに雑な説明だった。

 とにかく、複雑怪奇な土地であり、この土地を統べるような者がいて、信仰者がめいた人々が集まっている。

 そういう場所か。

 これは、確実に、やっかいだろう。

「カルの姉さんは」

「あの森の中にいる。さっきも言ったけど、あの女が、森の中に入るのまでは見届けた。でも、そのあと、わたしは、派手にみつかったさ」

 その結果が、この厳戒な警戒体制か。

「にしてもさ、次元信者だらけだね」ソラベは舌打ちをした。「これじゃ、森には近づけない」

 すると、ずっと黙っていたギリアームが「ませろ」といった。そして、茂みへ身を隠すことへやめ、堂々と姿をさらす。とうぜん、警備していた者たちは、彼に気づいた。

 ギリアームは躊躇なく、警戒する者たちへ向かってゆき、殴り、蹴って、投げた。奇襲ということもあるし、警戒していた者たちは、戦闘の専門家ではないということもあろうけど、ギリアームは、すさまじい勢いで、次々に倒されてゆく。けれど、向こうの数は多い。騒ぎを聞きつけ、闇夜に、あちこち浮かんでいたたいまつが一か所へ集結しだす。はじめこそ、不意打ちに、驚き、恐れ、慄いたものの、状況を把握すると、徒党となって、農機具の先端をギリアームへ向け、振り落としはじめた。

 対して、ギリアームの身体能力はきわめて高く、次々に迫る集団からの攻撃を見事にかわし、手を出し、足を出し、ときに投げ、こかせ、踏みつけ、距離をとった、かと思うと一瞬で詰め、はたき、押し、反撃する。どうやら、彼は素手での戦闘が得意と見える。ただ、たいていは一撃で相手を仕留めるもの、やはり、向こうは圧倒多数だった、彼が倒しても倒しても、増員がとまらない。

「ギリアーム、人気だ」ソラべはそうつぶやき、おれの肩を叩き「いまのうちに。森の中にいってみよう」と、提案した。

「いや、けれど、彼が」

「いいよいいよ。あいつならいける、いままでだってそうだったし、今回もなんとかするよ。負けないよ。それに、ああやって暴れてたら、そのうちオオムも対応しに出てくるかもしれない、あぶりだす、それの狙いもあるから」

 そういって、ソラべはこちらを見た。

「あの森の奥へいっちまおうよ。わたしは興味があるんだ。いったい、なにを、あーして必死で守ろうとしてるのか、隠そうとしているのか、もしかすると、その秘密をつかめば超高く売れる情報になるかも。ヨル、あなただって、カル少年のためにアサのことを知りたい感じ、あるでしょ?」

 それからソラべは続けた。

「それに竜払いもいる、だって、あそこ、竜がいる感じもある」



 ギリアームがおれちの動きを認識しているかは不明だった。けれど、彼の動きは陽動作戦としては見事に機能した。

 おれたちは麦畑を通りぬけ、森へ近づく。

「ヨル」

 先を行くソラべが声をかけてきた。

「ごめん」

 闇夜を進む中で、あやまられる。こちらの心当たりはなった。

「じつはさ、まえから、姉さんから、あなたの話は聞いていたの。あなたが、いい竜払いだって。竜を払いにいっても、必ず帰ってくる、竜払いだって。ちょっと怪我とはかするけど、絶対に帰って来るって」

 謝罪から、ソラべが話しを続けた。

 おれには、なんの話しが始まったのか、わからなかった。

「あのさ、これは、わたしが言ったことは内緒にして。姉さんの昔の恋人は竜払いだったの。で、えっと………ある日、竜を払いにいって、帰ってこなかった、つまり――――まあ、そういうこと」ひどく含みのあることをいって、ソラべは「こっち」と、おれを先導する。

 麦畑の先は、簡素な住居地区だった。真新しいものの、味気ない形の家があり、麦以外の畑もある。収穫したものを貯蔵するらしき倉庫もあった。

 町というほど洗練されていない、集団生活の場、という表現の方がしっくりくる感じだった。そして警戒態勢ではあるものの、警備しているのは、やはり特別な戦闘訓練を受けているような人たちではなかった。それに、腕に覚えのありそう人々の大半は、ギリアームの騒ぎの方へ向かったらしい。

 ソラベの導きで、そこをも通り抜ける。一度、草原に出る。陽の弱いこの大陸では、あまり見られないほど異様なほど草の育った草原だった。

 おれは頭の中で地図を描く。

 まず、広大な麦畑が円形に、外へ向かって広がり、その内側に集団生活の場がある。さらに中心へ行くと、異様な育つ草原がある。

 森はそのすべての中心にあった。山型になった森だった。

 そして、森へ近づくほど、気が滅入ってくる。

 竜を感じた。しかも、気を失いそうなやつを。森から、竜を。

 ただ、とてつもない大きな竜が、一頭いる、という感じはしない。

 うまく表現したくないけど、表現するなら、こうだった。

 ぐちゃぐちゃに絡まった、無数の竜。

 未曾有のひどい気分だった。

「この森は誰も入れない」

 ソラべが言う。冷えた夜の中、彼女は頬に汗をかいていた。

「入れない、壁でもあるのか」

 おれがそう問うと「そんなものはない、でも、誰も入れない」といった。「入ろうとすると、頭がへんになるから」

 なんだろうか、彼女は、なにか大きなことを知っているようだった。おれに話していないことがある。重要なことを隠している気配がある。

 それを、話さないのか、まだ話していないのか。

 夜をゆき、森に近づくたびに、気分のひどさが濃くなっていった。警備する者は誰もいない。きっと、必要もなかった。まだ森の外なのに、森のから走って引き返したくてたまらない。もしも、この森の中へ入ると、頭がどうなるのではないか。想像したくもない。

 これは、ただの森ではない。この世界に対し、なにかしら大きく反した存在に思えた。

「わたしは、なんで、竜がこの大陸から減ったのか知りたかった」

 ふと、ソラべがそうこぼした。

「知りたかったし、もし竜が減った秘密がわかれば、竜を減らせる方法もわかるかもしれないし、そしたらさ、それって高く売れると思った。竜が減らせる方法がわかったら、一攫千金じゃん、超大きくお金を稼げば、姉さんだって、ほら、ね」

 一度、こちらを振り返る。月明かりだしか、彼女を照らす光ない。それでも、かなり苦しそうなのはわかる。

 やはり、あの森へ近づくのは危険だ。ましてや、あの森の中に入るのは。

「そんなこんなで、いろいろ動いてたらさ、あいつ、ギリアームとかとなんとなく知り合って、で、業務提携とかになってさ」

 言って、少しだけ笑った。

「というか、状況がそろいすぎたてるんだよ。数年前、大きな地震があって―――そのすぐ後に、誰も住んでなかった荒野に、この森できてて………しかも、しかもさ! この森の周りだと、やたらと植物がよく育つようになってって、そういう不思議なことになってて」ソラベはせき込んで、続けた。「荒野だったんだよ? ここ、からっからにかわいた荒野だったのにさ。麦が超育つってなってて、そしたら、みんなここにあつまっきて。でもさ、同じ頃に………こ、この大陸からなぜか竜が減ってってさ………そうでさ………はは、ところがさ、ここ以外の土地は、むしろ、植物が育ちにくくなってて。気がついたら………あの森をあがめるような人たちが現れて―――」

 だめだ森へ近づくたびに、苦しさが増している。

「ひき返そう」

 彼女へそう提案した。おれも余裕はないけど、こっちはまだ、彼女を担いで、ひき返せるくらいの正気はあった。

 森は目の前だった。けれど、この森に入ってしまえば、人ではなくなる気がした。

 ソラべは血の気を失なった顔を左右へふった。

「竜母―――最近だよ、ごく最近………この森に、竜母がいるって、情報を手に入れた」ソラベは無理に笑ってみせた。「わたしだからこそ………入手できた………死ぬほど極秘情報だから、竜母………まあ、どういうのか、わかってないけど………それでも………それを聞いた瞬間、わたし、わかった。なんとなく、わかった………」

 立ち止まる。

 森が目の前にあった。

「この森が、絶対わるい」

ソラベは、そう言い切った。

「帰ろう」おれは彼女へ告げた。「姉さんのもとへ帰ろう、ここは、人間がいるべき場所とは思えない」

 とたん、気配がした。

 見ると、奴がいた。オオムだった。

楯を背負い、剣を腰へさげている。肩には、ギリアームをかついでいた。奴はギリアームを無造作に地面へ放った。距離があり、意識があるのかはわからない。

「ソラべ」

 おれは彼女へ告げた。

「おれは逃げる。けれど、あいつは確実におれを追う」

オオムはおれを見ていた。

「奴がおれを追いかけているそのうちに、ギリアームを」

ソラべが「…………ヨル?」と、いった。

「おい」おれはオオムへ声をかけた。「おれの足、はやいぞ」

 直後、おれは森の中へ飛び込む。

 奴が、おれたちが森へ入ることを阻止するためにここまで来たなら、おれを追って来るはずだった。



 人は竜が恐い。

 ただ、恐い。人は竜を前にした際に感じる恐怖を、絶対に克服することはできない。

 けれど、竜払いは竜を払う、竜へ立ち向かう。

 絶対に克服できない恐怖へ向かってゆく。

 その不整合は、どうなっているのか。

 他の竜払いのことはわからない。けれど、おれの場合は、こうだった。

 心と身体を切り離す。身体は恐怖とは無関係とする。

 身体はただの物体。

 その正体はきっと、麻痺に近い。

 足を踏み入れたくない、踏み入れるべきではない森の中を走る。森の中心を目指す。明かりはほぼない。最大限に夜目を利かせるしかなかった。

 オオムが一番、近づかれたくない場所だから向かう。なら、奴は確実に追って来るはず。

そして、奴は追って来ていた。

 森の中心へ向かうのは簡単だった。限りなく近づきたくない方へ向かって走る。

 奇妙な森だった。あまりに静かだった。小動物一匹の気配がしない。まるで、絵に描いた森の中にいるようだった。

 振り返る、オオムは追ってきている。

 やがて、森の中にあいた空間へ出た。月明かり差し込み、全体が見える、中央に一本だけ気が生えていた。その中心の木の周囲には、おれの身長ほどの高さ、妙な植物が密集して生えていた。胞子をとばす植物にみえる、けれど、見たことにない植物だった。それぞれの茎の先端には、なにか実が成り、垂れ下がっている。

 この森に入る前、そして、入ってから、おれはずっと、ひどい気分だった。得体の知れない嫌悪感があった。

 そして、おそらく、この植物がまずい。気を失いそうなほど、ここにいたくない。

 それに、靴の裏が妙にあつい。地面が熱している。

 たしかに、べつの次元だった。

 理由はわからない。けれど、この場に留まれば、人が、人でいられなくなる、と本能がうったえる。

 けれど、むずかしい。

 オオムが追いつき、おれとの間合いを詰めてきた。追いついた奴は流れ作業で腰にさげた鞘から剣を抜き、斬りかかって来る。

 奴は沈黙でおれを処理する

 刃が迫る。

 おれが背負っているこの剣は、竜を払うための剣だった。

 人と戦いための剣ではない。

 けれど、おれはこの剣を、抜いていた。身体が動いて手にして、迫るオオムと対峙する。

 竜払いの剣は、竜の骨でつくられているため、刃は白い。奴の剣も、刃もまた白い。

 向こうの剣先が、おれの喉を狙う、最小限の剣裁きだった。素早く、光で攻撃されたみたいだった。

 後ろへさがってかわす。

 奴とは一度、交戦した。もう、ゆだんは零だった。

 オオムがふたたび仕掛けてくる。鋭い攻撃だった。それらをかわす。

 おれは避けつづける。攻撃を出さないのか、出せないのかは、自分でもわからない。

 わかっているのは、一瞬でも、意識の隙間が発生すれば、生命が終わるということだった。それだけは、確実だった。

 剣先が外套をかすめる、端を少し斬られた。奴の攻撃速度と、精度が一振りごとにあがっている。避けるおれの動きが見切られ出した。時間の問題らしい。奴とのおれとの基本性能の差は歴然だった。

 無意識のうちに、おれは間合いをとるため、密集した植物群の方へ移動していた。そのとき、踏んでしまった植物の一部が曲がって、折れた。

 とたん、オオムの動きが止った。

 植物群の外側から、おれを見ている。

 なんだ。

 そうか。

 奴はこの植物が傷つくのを嫌がっている。かりに、ここにいる、おれへ剣を振れば、この植物も破壊することになりかねない。

 すると、オオムが背中に背負った楯を取り出した。右手に剣、左手の楯を持つ。瞬間に、理解した。

 奴の完全体か。

 オオムは楯を前へ出し、右足を後ろへ引いた。そして、楯の後ろへ半身と刃の先を隠すように構える。

 ここに来て、見たことにない技を出すらしい。

 おれは、その時が来るのを待つ。

 その時は、来た。

 楯がまっすぐに迫る。

 すべて後で、考えよう。決めて、おれは剣を振る。

 おれは奴の楯へ、剣を静かにあてる。力を抜き切っ先を楯へ添えると、力を込めず、刃の先を楯の表面ですべらせた、楯のふちまで来ると、ひねって、ひっかけて、楯を弾いて剥がす。

 はじめてやった、楯を剥がし。

 直後、刃が来た。

 ただ、奴の剣は実を傷つけないようにしか進まない、動きは限定的だった。見切っていたし、隙は大きい。

 おれは間合を一気に詰めた。

 今日までの記憶がすべて、消えてなくなっても、かまわない勢いでオオムの頭部へ、おれの頭部をぶつけた。



 ここにある植物を傷つけたくない、だから、奴の動きに制限がかかるだろう。

 それに、ギリアームと戦った疲れもあったのか、オオムの動きには、初期に遭遇したときの、鋭さはなかった。

 事前に、一度、遣り合ったことも大きい。それで、動きの違いがわかった。

 けれど、それらは、終わってから考えたことだった。結果から、自由に解釈しただけかもしれない。

 オオムは倒れ、動かなくなった。奇妙な植物群の中で横たわっている。

 こっちは頭が痛んでいた、意識が朦朧としている。それは、頭突きだけの影響とも思えなかった。

 この植物群の中にいると、やはりひどい気分になる。背中から鞘を外し、剣をおさめると、とたん、喉の内部が剥がれんばかりの咳が出た。集中力が切れると、まっすぐに立っていられなかった。

 ここから出なければ。

 そう、出なければ、狂う、そう思った。思ったのに、植物群の中心へ向かっていた。身体が勝手に向かう。あいかわらず、光は月明りだけで、はっきりと見えない。

 中心には、一本の木があった。近づいてみると、それは木ではなかった。

 この見たこともない胞子植物だった。茎が太く、それだけ木のように大きい。

 その根元に、アサが腰かけるように眠っていた。

 暗くてよく見えない。彼女の身体は半分、植物に吸収さるように蔦にからまっていた。

 目の前の光景を、おれはどう受け止めていいのかがわからず、茫然としていた。

 月明かりで見えたのは無表情だった彼女の顔が、微笑みに変わったことだった。

 やがて夜空の中で、風が吹いたのか、月にかすかにかった雲が消えた。月明かりが増し、あらためて、植物群の形を目にした。実がなっているのは、わかっていた。

 実の形は、竜を成していた。小さな竜の形の実が、ここにある植物のそれぞれに先端に実っている。

 百や二百の数とは思えない。数えきれないほどの竜の形の実が、ここになっている。

 竜は木の実になって増える。

 ここは、この世界の秘密の中だった。

 そのとき、月とは違う光りが見えた。炎だった。見ると、森が燃えていた。

 誰かが森へ炎を放ったのか、それとも事故かは不明だった。炎は、森林火災ではありえないほど早く燃え広がる。炎はこちらへ向かって、雪崩のように迫って来てた。

 直後、おれの頭部に衝撃があった。

「妻から、離れろ―――」

 オオムだった。見ると、手には石を持っている。それで、いま、おれの頭を殴ったらしい。けれど、奴もかなり弱っていたらしく、致命傷まではいかなかった。おれは、なんとか倒れずに済んだものの、後退し、大きく距離をとった。

 そして、奴はアサを見る。すると、アサは目を開いた、そのわずかに開いた瞼の隙間に、炎の明かりが、反射し、オオムの姿も映っていた。

 彼女は微笑んだ。

「あなた」

 と、いった。そして、奴も笑った。少年のように。

 互いに、何かを贈り合うようだった。

 ああ、そうか、ふたりにはつよい絆があるのか。

 森は瞬く間に燃えていった。この世界の正規の材料でつくられたとは思えないほど、猛然とした勢いで燃えている。

 石で殴れ、おれは倒れそうだった。いっぽうで、炎は迫って来ている。

 ここはもう終わる。で、この場では、おれがまだいちばん生命力がある。

 ふたりをこの場から。

 で、なにもかも、あとから考えよう、すべてあとだ。心は後回しだ。まず、無事であること。それで行こう。

 直後、竜の実がなる植物へ炎が燃え移った。おれは直感し、オオムの落とした楯を拾い、楯の後ろへ身を縮める。

 それから、すべてが爆ぜた。

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