とくべつなあさ(1/5)

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 こんなにつよい風に吹かれる場所ではなかったはず、記憶ではそうだ。

 生まれ、十四歳まで育った場所の中心に立つ。この町に戻るのは九年ぶりくらいになるか。ここにはいま何もない。小さな町は痕跡だけ残し、人々の形も声も消えていた。

 かわらないのは、真昼でもずっと灰色の空だけだった。空の下はちがった、むかしの町の輪郭だけがある。

 町の周りには畑も広がっていたはずなのにそれもない。手入れがされず、ふたたび 土地を畑として再生させるには、かなりの労力を要しそうだった。

 息を吸って吐く、背負った剣が揺れた。どうも、無意識のうち、呼吸のひとくちが大きくなっていたらしい。かつて、通りはきれいに敷石を敷かれていたのに、ほとんど剥がされてなくなっている。どの家もひどく風化していた。

 事前には聞いていた、いま、この町に暮らす者はいない。数年前の大地震と大嵐の影響で、土の性質が変わり、作物が育たない場所になったらしい。

 じゃあ、ここには人たちは、どこへ行ったのかというと、半分は大陸各地か、大陸の外へ、もう半分は、すぐ近くの場所に移ったということだった。そこでは、なぜか大地震と大嵐の影響で、むしろ、作物がよく育つ、豊な土地になったらしい。

 大地震と大嵐で土の質が変わる。そんなこと、きいたこともないだったけど、現実、この町から人は消えた。

 いまは誰もいない。

「ヨルさん」

 名を呼ばれた。おれは彼を見て「カル」と、名を呼び返した。

 十四歳になる少年、カルは、いつもの帽子をかぶっていた。彼とは、とある流れで知り合った。素性は優秀な学生で、この大陸へは、竜の謎について調べに来たという。そして、彼の姉も、数年前、その竜の謎を調べにこの大陸に来て、連絡が途絶えたという。

 カルがこの大陸へやってきた深層部分の理由は、姉の行方を掴むためだった。たしかに、竜の謎を知ることも重要視しているが、その先にあるのは消えた姉を探すことだった。

 この大陸で発生した、竜の謎。

 なぜか、いまこの大陸だけ、竜の数が減少している。他の大陸では、みられない現象だった。

 理由はまだ誰も掴んでいない。かりに、もし、その謎が解ければ、人が竜に対抗しうるなにかを、みつけることができる可能性はある。だとすと、謎の解明には大きな意味が発生する

 この世界は竜の世界だった。人の世界に竜がいるのではなく、竜の世界に人がいるに過ぎない。それでも、世界の主導権を人が手にする方法はないのか。竜の謎を解くことで、掴めるかもしれない。竜の存在にとって、人間はこの世界での生き方を大きく左右されてきた。

 もっとも、竜の存在があるゆえ、人は、この世界では大きな戦争ができない事実もある。竜は少しでも攻撃すると、激高して、群れになり、人の世界を無差別に滅ぼす。これまで幾度、この世界が竜に滅ぼされたのかはわからない。人間は竜に滅ぼされる度に、それまで歴史を失っていた。

 そのうえ、竜は倒すことが難しい。

 けれど、追い払うだけなら、それよりは。

「ヨルさん」

 もう一度、カルに名を呼ばれて、我に返る。

 見ると、彼はすぐそばに立っていた。かなしい顔をしている、申し訳なさそうな様子もあった。

「ごめんなさい」

 こちらを見上げて彼はあやまった。

 謝罪の意味はすぐにわかった。

 おれが生まれ育ったこの場所へ行こうと言いだしたのは彼だった。故郷へは、ぜったいに行った方がいいです、と、つよく提案した。

 どうしてか、おれはこの大陸へ還って来てから、ずっと、生まれ育ったこの町には行かなかった。父も母も、ずいぶん昔に亡くしていたし、友人もいない。それに大陸を出る頃から、生家にはすでに、別の人が住んでいたので、物理としての家もなかった。

 この場所に立つことに、大きな意味を見出せなかった。けれど、おれの話を聞いたカルが、行こうとすすめてくれた。ぼくも一緒にいきますから、と。

 それでやってきた、滞在している宿からも、そう遠くはなれた場所じゃなかったので、ふたりで歩いて。

 そして、記憶の中の風景ではない場所へ立つ。

 思うことは、そうなかった。複雑な気持ちはない。ただ、そうか、ここからは故郷がない生き方になるのか、と、自分の中でそうつぶやいただけだった。

 そばで、悲しい表情を浮かべている彼を見る。

「カル」

 名を呼んで、一度、大きく息を吸って吐いた。

 それから、可能な範囲で笑んでみせた。

「ひきあげるか」

 そう告げた瞬間、竜を感じた。

 いるのか。

 いや。

「カルっ!」

 女性の声がした。見ると、かつて通りだった道の向こうから、一頭の馬がひく、幌なしの馬車がやってくる。

 声を放ったのは手綱を握った長袖姿の女性だった。

 カルの目が大きくあいた。

「姉さん!」

 女性を見て、カルがそういった。

「アサ姉さん!」

 叫び、駆け寄ってゆく。彼女も馬車を止め、降りて、カルへ駆け寄ってゆく。

 そして、消えた町の真ん中で、ふたりは再会を果たした。

 おれの方は、ひどくむせかえるような感覚に包まれた。衝撃を受けていた。

 馬車の荷台に男がひとり、横向きで乗っていた。そいつは、二十四、五歳の男で、外套を妙に固めて羽織り、手には鞘入りの剣を携える。

 背中には、黒い楯を背負っていた。

 一挙に複雑な情報を頭の放り込まれた気分だった。その男の見逃せない存在感もそうだし。

 なにしろ、アサという名前。

 それは遠く昔に死んだ、おれの母の名前もアサだった。



 溌剌した女性だった。アサという人は。

「うれしい! 会えたよ!」彼女が惜しむことなく喜びを外界へ放つ。「わたしのことを探している子がいるってきいんだ! もしかしたらと思ったら、そうだった!」

 顔はカルに似ている。いや、姉弟だし、それはとうぜんか。

 いずれにしろ、カルと同じ血を感じる女性だった。

 ひとときの間、再会の喜びを分かち合い、それから場所を町の広場跡へ移した。いま、ふたりは縁石に並んで座る。

 おれは、少し離れた場所にひかえていた。

 停車された馬車の荷台には黒い楯を背負った男が身じろぎもせず座っていた。

「生きててよかった、姉さん」

「なによ、生きてるにきまってるさ、カル」そういって、アサは微笑んだ。「生きてないと」

 ふたりの声は大きく、こちらまで聞こえた。

 それから、おれはしばらく、その場を離れた。誰もいない故郷だった町の一角へ腰をおろして、時を過ごした。

 やがて、カルがおれを探しにやってきた。アサも一緒だった。あの場所にのっていた黒い楯を背負った男はいなかった。

 カルはあらためておれへアサに紹介し、アサにおれを紹介した。どちらもうれしそうに行った。

「はじめまして」

 いったアサの顔を正面から見る。やはり、カルに良く似ていた、血も感じる。

 初見は溌剌とした印象だったけど、向かい合うと身体の線が細いひとだとわかった。顔色はあかるく見えるが、それに化粧によるものだった。

「アサと申します」

「………、アサさん」

 彼女が、おれの母と同じ名前だったせいか、言った後で、少しやりくい気分になった。

「ヨルと申します。カルとは、その、ともだちで」

 そういうと、アサは笑った。

「弟がご面倒をかけたそうで、ごめんなさい」

 そう言いながら指先で自身の耳にかかった髪をすくう。その一瞬、長袖の下の肌が見えた。火傷のような跡にみえた。それも、かなり重度の。

 いや、凝視は失礼だ。おれは、視線をカルへ向けた。彼は笑っていた。

 アサも微笑んでいる。彼女へ「カルは、いいともだちです」と、伝えた。

「ありがとう。いい人ですね、ヨルさんって」そして、アサはカルの方を向いた。「ごめんね、カル、ずっと連絡できなくって。三回手紙は何回か出したの、でも、ひどいね、どうしたか届いてなかったみたい」

「そうなんだね」

「それにね、わたしたち、ちょっと変なことにいたからかな」

 そういって、おれを一瞥した。

「誰にもいえない研究で、くわしくはいえないの。場所もいえなかった、教えられなかった。お金をね、出してくれた人との約束だったから」

「いいや、いいんだよ! いいんだ! それはさ、姉さんは、優秀だからで! 挑戦したかったんでしょ! 挑戦すべきだったんだよ!」

 カルは大きな声で、詳細な理由不在のまま姉を肯定した。

「いいだよ! ぜんぶいいんだ、わかったから! 姉さんがやりたいことがやれるのがわかって、ぼくはうれしいから! だから、もうぜんぶいいんだ!」

 無条件に姉を信じている。アサは弟に言葉を聞き、目もとから笑い「カル」と、いって頭を撫でた。

「ごめんね」彼女は、またあやまった。「あなたがこの大陸に来てるって知って、わたし、どうしても会いって思ったよ。ほんとはね、抜け出しちゃいけないけど、こうして来ちゃった」

 カルはじっと、姉を見ていた。

「でも、すぐに戻らなきゃ」カルの髪を撫でながら言う。「なつかしいよ、あなたの髪のこのかたさ」

 彼女は、この再会の時間がまもなく終わることを示唆する言葉と、表情を浮かべた。

 そこへ、そいつは現れた。黒い楯を背負った男だった。馬車からおりて、歩いて近づいてくる。腰には剣を下げている。おれは竜払いだからわかる、その剣は、竜の骨でつくられているし、黒い楯も竜の骨でつくられている。

 男は竜払いにちがいない。

 無表情だった。おれと背も、歳もそう変わらない。そして、男には生物感がなかった。目の光りは鉱物的だった。

 アサがいった。

「夫です」

 おれたちへそう紹介した。

「結婚したのよ、わたしたち」つぎにカルへ伝えた。「彼は夫の、オオム」

 それからアサは、オオムへ顔を向け、うなずき、こちらを見た。

「あ、だめ、もういかなきゃ、本当に戻らなきゃ。ごめんね、カル、もっと一緒にいたの、でも、だめなの。いいえ―――だめなのはわたしね、あやまってばかりだ。どうしても約束があるから、戻らなきゃ、もう、さよならしなきゃ」

「姉さん」

「ねえ、カル、むかしみたいにわたしを呼んで。最後、あなたのあの呼び方で呼ばれたいの」

 すると、カルは笑っていった。

「ねえさんせんせい」



 数年ぶりの再会は終わった。

 おれの消えしまった故郷の跡で、再会し、姉弟は、手を振り合い、遠ざかって行った。

 姉、アサの乗る馬車は、西へ向かい、小さくなり、やがて、見えなくなった。

 カルは行方不明の姉を探すため、この大陸までやってきた。手がかりはずっとみつからなかった。けれど、今日、姉が彼をみつけて、会いに来た。

 おれはこの場では第三者でしかないものの、かなり、くらっていた。まさか、向こうから、急に現れるとは予想していなかった。

 アサはこの大陸で竜が減少している謎を解明するために、ここへやってきて行方不明になったという。だから、カルもその謎を追求することで、姉をみつけられるのではないかと考えていた。

 それが向こうから、ぽん、とやってきた。

 カルは今日、長い間、夢みていた。姉との再会を果たした。

 いまその彼と、並んで歩く。滞在している宿へ戻るため、とがった岩ばかり転がった草原の中を行く。

 おれの把握する限り、ふたりまた、会う約束はしていなかった。

いや、ふたりだけでいるとき、また、会えるとか、そういう話はあったのかわからない。

 ただ、カルは草原を歩きながら泣いていた。声を出していた、泣き続けた。

夕方、宿に着いたときには、泣きやんでいた。もう、生涯のぶんの泣いたようのかもしてない。

 そして、宿の前でいった。

「あした帰ります、ぼく」

 彼が少年ではなく、青年に見えた。

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