きづつかず

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 建物が入り組んだ町の一角で、それを目撃した。

 ゆるやかな坂道をおりようとしていた、乳母車を押した女性がつまずいた。その際、乳母車は彼女の手から離れてしまう。

 乳児をのせた乳母車は坂道をくだってゆく。

 これはまずい。けれど、距離がある、間に合うかと、おれが思った直後である、ひとりの青年が、すっと現れ、坂をくだる乳母車を、やわらかな動きで止めた。

 母親はあわてて乳母車へ駆け寄る。乳母車の中を目にして、彼女の表情は安堵となった。乳児は無事らしい。じつに、なによりである。

 けれど、母親は安堵の表情から一転し、泣きそうになった。そして、青年へ「あっ、あ、ありがとうございます!」と、大きな声でお礼をいった。

 青年は、すらりとした体形に、耽美といって差し支えない顔立ちをしていた。真紅の外套を羽織っていた。

「あっ、ありがとう、ほんとに! ほんとうにありがとうございます!」

 と、お礼をいいつづける彼女へ、彼はいった。

「いいえ、赤ちゃんにけがなく、よかったです」

「あ、あの、なにかお礼を………」

「お礼なんてとんでもありません。こうして人々を助けることが、わたしのすべてでありますから」

「いや、でも………」

「いいのです」彼はゆったりと、その耽美な顔を左右へふった。「これが、わたしの使命ですから」

「いえ、でも、でも………!」

「それに、この仮面は人々を助ける、その決意の証でもあります」そういって彼はやさしい目をして微笑んだ。「わたしの身体、血には、代々、この仮面をつけ、この土地の人々を助け続けて来た一族の魂が継承されております。だから、その魂にしたがって、この身体を動かしたまでです」

 おっと、そんな一族がいるのか。知らなかった。

 そして、彼は乳母車の中にいた乳児へ微笑む。

「この子は、この仮面を見てもこわがらないですね」

 乳児は、むしろ笑い、彼へ小さな手をのばしていた。

「大きくなれ。大きくなって、いつかお母さんを助ける人になれ」

 彼はそう願いを口にした。

 その表情は、じつにおだやかである。耽美である。

「では、わたしはこれで」

 そして、彼は名も告げず、深紅の外套をはためかせ去って行く。さながら、さわやかな風のような、見事な好人物だった

 見送る彼女の表情にも多幸感さえみられる。

 ただ。

 そう、ただまあ、その、ええっと。

 もしかして、彼。

 仮面を、つけて活動している設定なのでは。発言の端々から察するに。

 素顔だったな、完全なる素顔だったぞ。けれど、代々、仮面をつけて活動している感じのことをいっていたような。

 もしかして、彼、いま仮面をつけていないことに、気づいていないのでは。

 あー。

 まあ、しかたながい。と、おれは、ここは未介入を決め、歩き始めた。

 やがて、おれは道に迷った。はて、ここは、町のどこだろう。

 つい、きょろきょろしてしまう。

「あの、道に迷いましたか?」

 すると、声をかけられた。

 そこに立っていたのは、気合の抜けたかまきりの顔面、みたいな仮面をつけた真紅の外套を着た人物だった。

 気づいたのか、そうか。

 けれど、おれが君の正体を気づいていることには、気づくまい。

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