なべつかみ

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 真昼に竜を払った。猫ほど大きさ、緑色の小さな竜である。

 立ち寄った先の町で偶然的に竜払い依頼を受け、そして、追い払った。

 竜は翼を広げ空の彼方へ、飛んでいった。

 おれがこの大陸に戻って来たのは数年ぶりである、それは同時に、この大陸の竜を払ったのも数年ぶりでもあった。

 逆算すれば、十代後半以来ぶりになる、この大陸の竜を払ったのは。

 とはいえ、とくに感傷的になることもなかった。

 むかし、この大陸にいたころは、おれはまだまだかけ出しの竜払いだった。

 いいや、かけ出し以下、脆弱だった。日々、せんせいへ教えこいながら、この世界で竜払いとして成り立つよう躍起になって生きていた記憶がある。

 そして、そのせんせいはもう、この世界にはいない。

 竜と遣り合うのは、どうしても命懸けになる。せんせいもまた、それを知りつつ、この生き方を選んだ人だった。

 て。

 まて、しまったぞ。

 けっきょく、感傷的になっている自分がいるぞ。

 ええい、どこかゆけ、感傷よ。

 などと、どうにもならない心の戦いをしつつ、自分が空腹であることに気づいた。そういえば、まだ昼食をとっていない。

 さきほど竜払いの依頼をこなし、多くはないけど依頼料も入った。

 なにか、買って、食べよう。

 お腹がいっぱいなれば、感傷も少しは遠ざかるだろう。

 と、おおざっぱな仮説をたつつ歩き、町の広場にさしかったときだった、

 露店を発見した。麺料理を出しているらしく、店先では、ぐつぐつと鍋がゆだっていた。

 見たところ、広場には、腰を下ろすところもある。そこで、露店で麺料理を買うことにした。

 露店へ接近する。

 鍋がぐつぐつとゆだっていた。

 店頭には、店主らしき雰囲気の五十代ほどのややふくよかな男性が立っていた。そして、彼の横になにか作業をしている助手らしき二十代ほどの男性もいる。

 おれは「あの」と、五十代ほどの男性へ声をかける。

「はい、いらっしゃい、ましー」

 いらっしゃい、ましー、っていったな、いま。

 いや、そこは、およがそう。そう決めて「麺を、ひとつください」と、発注した。

「へい、麺いちー、ましー」

 また、ましー、っていったな。

 いや、およがそう。

 で、発注すると、彼は麺を片手に掴んだ。そして「おや」と、いった。

 なんだ、どうした。

 事件か。

 彼は「んんおお、鍋の位置が、あれだなぁ」といった。それから「おーい」と、助手らしき男性へ声をかけた。

「へい」と、助手らしき男性が反応した。「なんで、ましー」

 ああ、ましー、ってそういう使い方もするのか。

 そうか。

「おい、ちょっとよぉ、鍋の位置がわるいんだわ」

 と、彼は言う。素人目から見れば、どうして鍋の位置がわるいのかはわからなかった。

「あのよ、鍋を動かすから、そこの鍋つかみ、とってくれよ」

 店主がそういうと、助手は「っふ」と、嘲笑的な音を発した。

「まさか、鍋つかみがなきゃ、鍋も持てないですか、師匠」

 ん、弟子なのか、君は。

「おっ、なんだと、このやろうが」店主は苛立った様子である。「その挑戦的な口調は、おい」

「だって、こんなのお笑いを越えて超笑いですぜ、師匠!」

 弟子が急に大きく出た。

 うん、客のおれがいるのに、大きく出た。

「なんだとぉてめぇ!」

「いまこそ! あんたを越える最適なときなだよ、師匠おおおぉ!」

 いや、お客が来てるのだから、いまではないだろう。どうして、いまこの瞬間を最適判定した、弟子。

「ましいいぃぃ!」

 とたん、師匠は怒った。きっと、怒ったときの、ましー、だろう、ましー、を発生し。

「て、てめぇなんかぁ! 麺のなんたるかがわかってねぇくせに! 師匠に、反旗を翻すってか!」

 麺のなんたるかとはさておき、はたして諸君らは、接客のなんたるかをわかっているのだろうか。

「だったら、師匠、鍋つかみなしで、鍋を運んでくださいよぉ!」

「おお、わかったよ!」と、師匠は言う。「鍋つかみなしで、この鍋を掴んでみせるさ!」

「さああ、つかんでくださいよ、しよおおおおおおおおお!」

 おれは「うるさい」と、注意した。

 きわめて、ふつうに。

 そして、鍋つかもうが、つかむまいが、客の心はつかめていない、ふたりへ。

「だめ人間ども」

 贈る言葉である。

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