501~
おれ
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
この風のかたちを覚えている。
丘にの上に立つ。地面の感触に覚えがある。
ここからならまだ海がみえた。もう少し離れてしまえば、この海も見えなくなる。
丘の上に立ち、風に吹かれていた。この風のかたちを、身体はおぼえている。ひさしく、吹かれていなかった風だった。
生まれ育った大陸へと戻って来た。いったい、あれから何年が経っただろうか。
この大陸を離れるとき、背負っていた剣は、とっくに、折れて失われてしまった。いま背負っているのは、そのとき背負っていた剣とは、まったく別の剣だった。この身体と記憶以外、身に着けているもの、そして持ち物すべて、この大陸を出るときのものではなかった。
この丘からは、浜辺もよく見えた。海とは反対側へ進み、内陸部の方に行けば、起伏のある地面が続く。高低差のある山々が続き、草原の中に、点々とむき出しの岩がある。振り返ると、微塵の人影もなく、光景に漂う独特の孤独感も変わらない。
晴れているのに、いつもどこか翳りあり、風がいつも吹いていた。艶の無い静寂もそのままだった。
この大陸で、おれは竜払いになった。両親は、もう遠く過去の時間に亡くなっていない。はじめから、親類もいなかった。
ある日、ある時、とある竜をきっかけに、おれは、この大陸を出た。旅をした。そして、それっきりだった。ここへは戻らなかった。おれはその旅で竜を払う、竜払いとして生きること完全に決めた。
竜はこの大陸以外もいたし、この大陸なくとも竜払いとしては生きることはできた、だからだろうか、ここへ戻る強い理由をみつけられなかったらしい。
風は吹き続けている、羽織った外套が風をはらんで、はためいていた。それを手でおさえる。
この身体で、二十四年、ここまで生きてきた。
「二十四年生きるって、こんな感じか」
ふと、そうつぶやいていた。
ただ、つぶやいただけだった。
丘から、あらためて砂浜を見下ろす。視線を西へずらす。そこに竜がいた。赤い竜だった。きっと、馬車くらいの大きさで、砂浜に舞い降り、なにをするでもなくそこへ鎮座している。竜は危険な生命体ではる、けれど、この距離だと、さほど脅威はない。
竜の近くに人はいなかった。
ゆえに、ここに竜を払う理由も存在しなかった。人がいないので、とうぜん、追い払って欲しいと依頼も発生しない。
しばらくの間、丘の上から波と風がまざった音を聞いていた。そして、竜を一瞥した後、行くことにした。
歩き出す。
すると、同じ丘の少しところ離れた場所で、人がいた。初老の男性で、小綺麗な身なりをしいる。
海の絵を描いているらしい。海へむかって、大きな画材をたててある。かたわらには絵描き用の道具が入った鞄らしきものも置いてある。
彼もおれに気づき、作業する手を止める。
彼は微笑んだ。
「おや、どーも」
きさくに、あいさつをされた。
おれは「こんちには」と、かえし、それから「絵を描いているですか」と、訊ねた。
「ええ、絵といっても、石版画です。描くというより、彫っているんです。はじめて石版画でして」
そういわれ、彼の画材を見る。
平べったい石灰岩に、鋭い刃先で絵が彫ってある。
この丘から見える、砂浜が竜が座っている絵だった。
彼はいった。
「あそこにいる竜を描いているんです」
指さしいった。
「素晴らしい機会です。ええ、なんせ、竜は貴重ですから」
竜は貴重ですから。
妙なことをいっている。竜はこの世界のどこにでもいるのに。
にしても、石版画か。この石版に絵を彫り、そのあと色とかをつけて、そこへ紙を押し当てて同じ絵を増産する、そういう仕組みだった気がする。
いや、基本的には、うろ覚えである。
「んんん、んんんー」
すると、老人がうなりだした。靴の中に小石でも入ったような、唸り方だった。
「いえ、さきほいったとおり、わした今日、はじめて石版画に挑戦しているのでずが………が…………がっががあ、うがあああああああああああ!」
とたん、老人はおれの至近距離で吼えた。
どうした、発狂か。
「この絵はだめどぇすわぁ! 失敗どぇすわぁ! どえええい! こ、こんなのはぁやりなおしだああああああ《《》》あ!」
瞬間、彼は描きかけの石板を両手で頭上へ掴んで持ち上げた。それを自身の曲げた右膝へ落とし、石板を折りにかかる。
けれど、石板である。基本的には硬いにちがいなく、彼の膝では折れなかった。
「あああっ、お、折れたぁ! 折れたぞぉおお!」
けれど、彼は、折れた、折れた、と叫んだ。
きっと、彼は石版画にはむいていない。
そして、これはだれかが彼を病院へ、連れてかなければ。
けれど、この丘には他に、だれもいない
そうか。
だれもいないので、おれが、か。
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