ほしいものがたりまで(4/4)
ここから先は道がまだできていない。もし、今日が朝から晴れていれば、いまごろには、この道の続きがつくられていたはずだった。
けれど、いまここに立つと、この場所は、道の終わりにも見える。ここから先は、まだ道が存在しないようだし、もう存在しないように思えた。
道と道以外の境目に立つ。おれは手持ちの所持品で地面へ火を起こした。炎にまで育てると、布で巻いた短剣を炎へくべる。滲んだ色の白い煙が空へ上っていった。
やがて、竜を感じた。
空に。
見上げると、空の向こうから竜が飛んで翼を広げ飛んでくる姿がある。大きい、きっと、人間が見上げるくらいほどだった。竜は真っすぐにこちらへ向かって来て、おれの前に降りた。やはり、見上げるほどの大きさで、竜の影に、こちらの全身は完全にそのなかにおさまった。全身は灰色の竜だった。表面は荒く研磨鉱石のようで、牙も足の爪も大きく鋭い。
竜が翼をたたむ。
そして、竜の背中から、人型のものが地上へ降りて来た。
その男はおれの前に立った。まず、おれの足もとで、燃えている短剣を見た。
「目印に、のろしろをあげて待っていのか。変わっている」
二十四、五歳くらいだろうか。見た目はこちらとそう歳は変わらない。背丈も同等だった。
赤い髪に、顎にうすく赤い髭を生やしている。着ている者はにぶい赤色だった。
眸は深みのある緑している。武器は所持しているようには見えない。
男がこちらへ顔を向けた。けれど、眼は見てこなかった、わずかに外している。
こっちは沈黙を保つ、正気は失いそうだった。
この男はいま竜に乗って空から現れた。しかも、ただ、竜にのっていたわけじゃない、竜を制御下に置いている。その証拠に、竜は男の後ろに座って、おとなしくひかえている。
竜が人間の指揮下へ入る。そんなのは、見たことがなかった。
「アンカーだ」
と、男は名乗った。
「ヨル、っていうんだろ、なあ」
敵対は感じさせず、むしろ、ひたしみを込めた言い方だった。
おれは「話すのか」と、たずねた。
「竜は操れる」
こちらの問いかけには答えず奴はいった。
「まだ、気づかれていない、この世界の裏設定だ。竜の血が流れる者は、竜が操れる。条件はある、竜が小さな頃から、自ら育てること」目を見ずに言う。「愛を持って育てること」
そうなのか。
というおれの驚きの表情を目にするのを、奴はたのしんでいるようだった。
そうか、この時間とやり取りは奴の悪趣味のためらしい。
つまり、そういう相手か。
「愛を持って育てても操れない竜もいる。それでも、愛は存在すると信じてはいる。みんなにも教えている、愛は存在する」
「手紙を読んだ」
ひとりでここへ来い、こなければ、彼女を始末する。
要約すると、そんな文面だった。
「大丈夫」と、奴は主語もなく言った。「大丈夫だ、手紙のことは、気が変わったから、もう、その話はなしだ」
そういって、奴はおれに歩いておれに近づいて来る。そして、燃えている短剣の中へ、手を入れ、それを掴んだ。そして、こちらへ背中を見せて、竜のそばへ戻る。
あとは、無言で拾った短剣を竜の喉元へ突き刺した。
それは竜の骨でつくられた短剣ではない。
ただ鉄でつくられた短剣だった。
そして、いった。
「君が、この大陸を滅亡させと歴史に残る」
竜は竜の骨でつくれた武器以外で攻撃すると、怒り、吠えて、他の竜を呼ぶ。そして、瞬く間に空を覆いほどの数が集まり、竜の群れとなる。
群れとなった竜は、無差別に世界へ攻撃を開始する。口から吐く炎で、無差別に焼く。
かつて、人は竜もその怒りを知らず、人を殺すための武器で竜を攻撃した。竜を怒らせ、幾度となくこの世界を竜に滅ぼされた。
そして、いま奴は、鉄の刃で竜を攻撃した。それは竜の骨できた刃ではなかった。
まるで作業のように。
背中の剣を抜き、飛ぶ。
おれは垂れ下がった竜の頭、その眉間へ剣を全力で叩いた。上から下へ一気に振り切り抜く、そのまま自分の腕が付け根から剥がれてもかまわなかった。
体感したことのない破滅的な手応えを得る。
竜は崩れた。
奴は唖然としていた。
それから、いった。
「竜を気絶させたのか」
そんなこと、おれもやったことはなかった。竜が怒り、他の竜を呼ぶ前に、竜の頭部を攻撃して、意識を奪う。やったこともなかったし、考えたこともなかった。
けれど、瞬間的に、それをした。
竜を気絶せて、世界の終わりを回避。
咄嗟の対処だった。竜はその場に崩れた。大きな体を地面へ横たえ、長い首が最後に地を叩く。
地面が揺れた。
おれは聞いた。
「なぜやった」
「恐いな、君は」
と、アンカーはいった。
「だから人間は恐い」
「なぜ世界を滅ぼそうとした」
「またやり直すため」
きっと、問いかけに対して、反射的に答えたらしい。
竜を気絶させたことに対する動揺も、影響していそうだった。
むりもない、おれだって、動揺していた。
で、奴はいった。
「道をつくるな、人間。お前たちは、必要以上に繋がると、ろくなことをしない。物と情報の余裕は、次もこの世界を病気にするだろ。この世界の病気は、我々の存在もまた病気として扱う。道がつくられれば、病気のきっかけになる、そして、病気ではないものも、病気にして、治そうとする」
奴も動揺しているのか、饒舌にさせているようだった。
「なんてさ」
と、いって、奴はおれの右手を蹴った。剣を握っている手だった。
剣が手から剥がれて、遠くへ飛ばされる。その行き先を視線で追う時間はあたえられず、右手でおれの顔を掴んだ、にぎりつぶしに来る。
こっちは奴の喉を掴んだ。
とたん、投げられた。
信じられないくらい遠くへ。確実に人の身体能力で得ることのできない領域の力で投げだった。身体が水平に飛ぶ、平な草原には、ぶつかるものがない。かなり遠くまで飛ばされて、地面に落ちる、勢いもあって、長い間、地面を転がった。
そのまま倒れてはいられなかった。痛みは無視して立ち上がる。
奴がこちらへ馳せて来ていた。
すごい勢いだった、あれに体当たりされたら、身体は、外部と内部もろとも、ばらばらになる。
見ると、おれの足元に石があった。
幸運。
おれは石を拾い、投げる。
手加減は零にした。全力全身で投げる。石は豪速で奴へ向かう。心臓部へぶつかった。鉄球が地面へ落ちるような音を鳴らす。奴は苦悶の表情を浮かべる。それは一瞬で消え、突き進んでくる。
おれの手に剣はなかった。遠くへ飛ばされたままだった。
別の石を探す、みつからからない。
間合いを詰められる。奴が右手を伸ばす。
五つの指先が、眼球へ向かって来るのが見えた。つかまれたら終わる。
おれは手早く着ている外套を掴み、迫る奴の右手へ素早く巻き付けて、身体をひねる、向こうの勢いを利用した。奴の右手は、巻き付いた外套越しに、あらぬ方向へ曲った。いっぽうで、外套はおれの身体から剥がれない。奴は、おかしな方向へむいた右手で、外套ごとおれを持ち上げ、地面へ叩きつけた。地面は雨に濡れて柔らかい。そうでなければ、背骨が砕けていた。外套はやぶれ、おれと奴の繋がりは断たれた。
直後、奴は地面にいるおれの右の腹を蹴った。
身体が浮いて、飛ぶ。
また、遠くへ飛ばされた。地面を転がる。
今回も痛みは無視して、立ち上がった。けれど、咳はとめられなかった、口からけっこう赤いのが出た。
それから走った。奴に背を向けて、走る。
剣は遠くに落ちている。
全力で投げた石でも倒せなかった。
おれでは、奴を仕留めることはできない。
奴が背後から追って来る。一瞬で追いつかれることは決まっていた。
ここじゃない、ここにいてはだめだ。いますぐ、元いた場所へ戻りたかった。
もといた場所へ。
もといた場所へ。
走って、すべての力を尽くして走って、戻ろう。ここは、ちがう。ここはちがう。
ここじゃない、ここじゃない、と祈に近しいもので想い。
奴はもう真後ろにいた。見えなくてもわかる、手が伸びてきている。
やるしかなかった。
おれは飛んで、自身の頭部を、頭部へぶつける。
気絶していた竜の頭部へ。
とたん、衝撃で竜が瞼をあけた、意識を取り戻す。おれは大きく飛び退いた。
瞬間、竜は口から炎を吐く。おれの真後ろにいたアンカーはその炎へ、真正面から飛び込んだ。
その間に剣を探す、みつけて、竜が炎を吐き終わる直前、一撃を竜の頭へ叩き込んだ。
竜の意識を奪う。
炎はそれで途絶えた。
家へ戻り、扉をあけると、カランカが出迎えた。
おれの外見は、かなりひどいものだったらしい。彼女は、長い間、動かず、言葉も発さなかった。だから、おれから頭をかきながら「ただいま」と、いった。髪から固まって張り付いた赤が、少し、落ちた。
そこからはまともな記憶がない。じぶんで倒れるべき場所へ倒れたような気もするし、そのまま気絶したような感じもする。
気がつくと、寝台の上だった。あわてて視線で剣を探すと、すぐそばに立てかけてあった。そうか、剣はあるか、と思っていると、視線に気づいた。
カランカが横に座っていた。一瞬前の記憶にある彼女の服装と少しだけちがう。日がかわったらしい。
どれくらい眠ったんだろうか。手や頭に包帯がまかれている。身体のよごれもない。どこも、あざだらけらしく、なにもしてなのに身体の至るところが、じんじん、と痛んだ。
カランカは眼鏡越しにこちらを見ていた。いつものように、眼鏡には光は反射している。
手には本を持っている、小説だった。そこで読んでいたらしい。
そこまで把握してようやく、カランカが、少し驚いているのに気づいた。
意識が混濁しているのか、おれは「好きな本だ」といっていた。「たまに、ひどく読みたくなる、ああ、もう一度、あの物語の中にいたいって、そんなふうに思うことがある。物語で」
カランカの視線を感じた。
おれの意識は混濁しているらしい、それから支離滅裂にいった。
「ああ、そうだ、剣で、剣を振らなきゃな、素振りをしなきゃな」
とたん、カランカは勢いよく椅子を立ち上がった。居間の方へいってしまった。本が落ちたので、拾って、閉じて、近くの台へ置いて置く。
それから瞼を閉じた。
そして、また眠った。
次に目が覚めたときには道が完成していた。この町から、隣町まで続く道だった。 ただ、草原の草を刈って、多少、土を固めた程度の道だった。それでも、道にはちがいない。
おれは寝台から起き上がり、剣を杖にして、廊下を進み、玄関へ向かう。
玄関の扉をあけると、完全に旅の準備を終えたカランカがいた。眼鏡も光に反射している。いつもの彼女だった。
外にはカランカを見送るため、ズン教授と、ともに道づくりを行った町の人たちがいた。
ハトリトはいない。きっと、心に、やましいことがあるんだろ。にげたにちがいない。
そして、サンジュというと、カランカの隣にいた。彼女も荷物を背負い、旅人の恰好をしている。
おれはまだふらつく身体をささえるため、おれは玄関の枠へ手を添えた。
そこから声をかける。
「サンジュ」
「あねごは無傷で送りとどける、まかせろ」
「ああ、頼んだ」
サンジュは「ま、無傷といっても、心の傷はあれだ」と、いって、こちらがなにか問い返す間をくれず続けた。「向こうの大陸に着いたら、しばらく、あねごの手下として働く。就職先が保障された旅立ちはいい」
「向こうで、竜払い協会に入るのか」
「さあね。でも、組織のこまになるもの、一興さ。なーに、そんなに、わたしの未来が気になるなら、会いに来い。どんなに遠くにいても、来い、やって来い。こなければ、こっちから行くこともありえるけど、そっちが来い、ヨル」
「そうだな」おれはうなずいた。「会いに行くって、手はあるよな」
「死なないでね」
「まかせろ。生きているのって、けっこう好きなんだ、おれ」
「わたしもだ」
こっちは苦笑でいって、向こうは笑っていった。
見ると、ズン教授も笑っている。その隣には、以前、家を出ていったという奧さんが立っている。
「ヨル」
カランカがおれの名を呼んだ。
「ごめんなさい、わたしが近くにいると、あなたは命をかけてしまう」
そういわれて、おれは考え、気のせいですよ、と、言いかけてやめた。
もっと、彼女の心の負担を減らせるような言葉はないか探した。けれど、探すのに時間をかけ過ぎた。
カランカが先に口をひらく。
「身勝手なことですが、わたしにとってこの旅は、意味のある旅になりました」そういって、彼女は目をつぶり、あける。「こんな旅が、わたしの人生に欲しかったんですよ」
風が吹く。彼女の髪だけが、ふしぎと揺れた。
「さよならです」
カランカは目を隠す光はとかれ、笑う。
そして、新しい道を歩き出し、旅立った。
見えなくなるまで、見送った。
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