どつぼな
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
たとえば、そう、ひとつの屋敷がある。財がある感じの、大きな屋敷。
で、とにかく、その屋敷の持ち主は、財を成すために、これまでいろんなことをやってきた影響で、敵が多かったりする。となれば、その屋敷にはいつ何時、敵がやってくるとも限らない状況になる。
そこで、屋敷の主は、建物の周りを高い塀で囲ってみたりする。塀をつくるのは、敵の安易な侵入防止には効果的である。むろん、壁を越えて来る可能性もある。
また、別の防衛方法として、屋敷の周りを堀にしてみる。そこそこの深さにして、そこへ水を流し込んで行く。そういれば、屋敷に近づくことさえ、やや、難しくなる。
けれど、敵が泳いで来る可能性も否めない。水が少ない日には、掘を歩いてわかってくることだってできる。
そこで、仕掛けを追加である。堀の底へ壺を上向きにして敷き詰めて埋めておく。で、堀へ水を流し込んでおく。すると、どうだろう、敵は、おっ、しめしめ、水深が浅いな、と思って、掘を歩いて渡ったりする、けれど、掘の底には壺が口をあけた状態でうまっている。そして、壺に足がはまってしまい、身動きがとれなくなる。
身動きがとれず、まごまごしているうちに、敵は発見できる可能性があがる。
どつぼに嵌る。
というのは、その水の底に埋めた壺による罠が、その言葉の語源である。と、むかし、誰かから聞いた記憶がある。いや、、まあ、あやしい記憶でもあった。
堀ではなく、川の底に壺を仕込む場合もあると聞いた。いずれにしろ、川を歩いてわたったとき、足を壺に嵌める、罠となる。
とはいえ、そう、諸説ある。けっきょく、語源の真相は保証するところではない。
どつぼに嵌る。
どつぼに嵌る、か。
で、町を通りかかったときである。町の中を流れる用水路の真ん中に、男が立っていた。もこもこした栗色の頭髪に、のっぺりとした顔立ちの中年男性だった。
彼は硬く強く眼を閉じ水路の真ん中で、奇怪な構えをしていた。
いったい、彼はそこで、なにをしているのだろうか。一見、不審者の完成形である。もしかして、魚でも捕まえようとしているのか。けれど、小さな用水路である。捕食に足りうる魚が泳いでいるとは、とうてい思えない。
身動きが出来ないのか。
まさか、あの用水路の底に、壺があって、どつぼ。
どつぼに、嵌っているのか。
だとすると、現実で初めて見た、人がどつぼに嵌っているのを。
いやまて、落ち着け、おれ。
ただ、用水路に入っているのが好きなだけの人物の可能性も捨てきれない。
ここは慎重な判断を求められる場面だった。
いっぽうで、その光景に対し、どこまでも、どうでもいいと思っているじぶんもいる。
そして、声をかけて確認するほどの興味はない。ゆえに、このまま通り過ぎるのみである。つまり、彼の状態の真相については、わからないまま、おれはいつか、この生命を閉じてしまうのだろう。
とたん、近くの家の扉があいた。彼の似たようなもこもこした毛量の少女が表へ出てくる。
「あれ? お父さん、そんなところでなにやっているの」
「とほほ、暖炉の火が足に散って、あわててここで冷やしてるの」
あ、はからずも真相はわかった。
よし、これで、あのとき、あの人はなぜ用水路に立ってたのか、という、どうでもいい真相について、この生涯でたびたび思い出すような、そんな、記憶のどつぼは回避された。
ただ、とほほ、って言う人に、はじめて遭遇した。
なんだろう、人は、どう生きれば、とほほ、っと、自然に口から出せるうようになるんだ。
ああ、それが気になってしかたないぜ。
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