きぼうついか
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
ズン教授は四十代後半あたりで、白い髪にかすかに黒い髪が残っている感じだった。いつも、緑のひと繋ぎの服を着ている。自宅では、その姿で、そのまま眠っていたりする。
いま、おれは、このズン教授の家を拠点にしていた。
彼は、竜について研究をしているらしい。呼称がズン教授となっているものの、おれの知るかぎり、彼はずっと家にいて、これといって、教授っぽさを感じる活動は、いまのところ散見することもなかった。
彼はたいてい、家にいて、椅子があるのに、床に座り込んだり、寝そべっている。おれが朝でかけ、夕方付近に家へ戻っても、朝と同じ場所に態勢でいたりする。
猫でも、少しは場所を変える、態勢をかえるのに。
いや、けれど、猫もまた、一日中、同じ場所にいたりするか、同じ態勢だったりする。けれど、やつらは人間が見ていない間に、えさを食べ、食後の運動もろもろ、その他をすまし、その人に見られる前に元の位置へ戻り、ほくそ笑んでいたり。
と、猫の話はさておき、ズン教授、その人物象である。
彼は、竜について研究しているらしい、たしかに、彼と初回に会ったとき、彼から竜についての話を聞かされた。彼は、おれが竜を追い払う、竜払いだということも、一見して見抜いた感じがあった。まあ、おれが剣を持っていたし、なんとなく言い当てただけのことかもしれない。
ようするに、おれのズン教授に対する認識は、未知の部分が多い人、ということだった。
そんな未知の人物の家に滞在しているおれもまた、やや、あれなのかもしれない。けれど、この町には宿屋がないし、彼の家なら滞在費もかからない。
目先の小銭のために、違和に対して、気づかないふりを慣行中ともいえる。
いや、そんなふうにじぶんを卑下してはならない。心を大きく持つべし。
空のように、大きな心を。
空の広さからすれば、地上で寝転ぶ、ひとりの人間のあやしさなど。
まて、この思想は、どうも大味すぎて、品質がわるいような。
などと。
考えたりしつつ、日々をこなし。今朝も教授の家で目を覚ます。
おれはこれから、この家を出て、竜が多数出現し、危険とされている道なき竜の草原を歩き、渡り、隣りの町まで向かう。その町の食堂にて、ただ、一杯の珈琲を飲んでこの町まで帰ってくる。この日々を、繰り返していた。
なんのためにか。
それは、危険とされている、あの竜の草原を歩いて渡っても、じつは、さほど危険ではないと、町の人々に対し、証明するためだった。ただし、その証明を押し付けるようではなく、あくまで、毎日、ぼんやりと草原を歩いている奴がいるので、もしかしらたもう、だいじょうぶなのではないかと、遠回しに人々に気づかせるたい。
で、多くの人がそういう意識にかたむき、いずれ、いまは道なき竜の草原に、道を再建しようという流れになればいい。
と、これはズン教授の目論見だった。おれはこの目論見に参加している。もう、そこそこ長い間続けていた。
おれは竜払いだし、もしも、草原で竜と遭遇しても対処可能だ。ゆえに、この役目をひきうけた。
で、今日も準備して、玄関の扉をあけて、出かける。
「ヨルくん、」
すると、めずらしく教授が玄関先までやってきて声をかけてきた。
しかも、家着ではない。くたびれているとはいえ、背広姿だった。流木みたいな色の肩掛け鞄もしている。手には、帽子を持っていた。
「ズン教授」と、おれは呼び返す。
「うん、ヨルくん」と、教授はうなずき、名を呼び返してくる。
「その恰好は」
「頼みがあるんだ」
「頼み」
「一緒にわたしも隣の町までつれってくれ」と、彼はいって、続けた。「わたしも今日からあの町で君と一杯の珈琲を飲む」
いって、微笑む。
そうか、なるほど、ズン教授。
そういうこといか、次の段階に。
さいきん、毎日、危険な竜の草原を、珈琲を飲むためだけに歩いてわたる人間がいる、それは町の人々もわかっている。けれど、けっきょくは、そんな人間は酔狂に過ぎず、ただ危険をうまく認識でみていない、異常者なのでは、と町の人も思いかねない。特殊な者がやっていることなので、それでは、草原の安全性を感じにくい。
そこでもうひとり、今日から竜の草原を渡る人物をくわえる。しかも、その人物は町の人々がよく知る、ズン教授である。
これにより、竜の草原へ対する、人々の安全性の意識の更新をはかる計算か。
あの人が竜の草原を歩いてわたっているなら、だいじょうぶかもしれない。と。
未来へ希望を追加。
それが彼の目論見か。
そして、彼はいった。
「では、おんぶしてくれ」
「家にいろ」
おれは、希望をつぶした。
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