ふるから

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



「今日は、雨がふる」

 と、サンジュに言われた。

 彼女は二十歳くらいで、長い蓬髪の女性である。その素性は、やんわりとしかしらないけど、いまは、同じ家に居候している。

 サンジュに雨がふるといわれたのは早朝だった。家の扉をあけて、外界へ身を移し、一日中の快晴を予感させる空の光りを全身にあびた直後だった、サンジュはおれへ告げた。今日は、雨がふる、と。

 おれはこれから滞在しているこのズン教授の家を出て、竜が数多跋扈する竜の草原を歩き、隣りの町まで珈琲を飲みに行く。竜の草原は危険な場所ではるものの、それでもおれは毎日、歩いて草原を笑っていた。もうかなりの日数、これを遂行している。そこには、とある目論見があるけど、それはまた別の話である。

 で、晴れ渡る朝の空の下、サンジュはおれへ向けて「はい、傘」と、いい、傘を差しだしてきた。

 ズン教授の家にあった傘だった。

 すなわち、彼女の傘ではない。

 その傘を君が持って行けという。

「はい、傘、傘、傘、傘」

 と、連呼してつつ、ぐいぐい、押し付けてくる。おれの顔面に対し、ひらいた開いた傘を、ぐいぐい、おしつけてくる。

 ちょっとした暴力である。けれど、傘をよけて、きっと、どうせまた、ぐいぐい、と、傘を顔面におしつけてくるにちがいない。彼女はそういう種類の人間だ。

 いろいろな感情をあきらめつつ、おれは訊ねた。

「晴れるけど。雨がふる、ってどうしてわかるんだ」

「わたしにはわかる。なんとなくわかる、でも、ぜったいにふる、雨はふる、やつはふる」

 根拠の脆弱性と、サンジュという人間に対する信頼性の低品質がそろっていた。。

 けれど、まあ、一度は信じてみよう。

 そう、まずは信じてみよう。

 とりあえず、初回だけ信じてみよう。

 と、その三つを心の中でとなえ、傘をうけとった。

「わかった、もってゆこう」

「今日、雨、ぜったいにふるから」サンジュはそういって続けた。「雨は、ふる」

 こうして、おれは傘を閉じた傘を片手に、草原を歩く。

 空は晴れていた、雨のふる気配は微塵もない。

 にしても、傘なんて持って出かけるのは、ひさしぶりである。これまで、ずっと旅をして来た。旅の間、雨がふるったときは、この外套を羽織ってしのいだし、どんな強い雨の中でも、ずっと、それでやってきた。

 そう、とんでもない横殴りの雨の日も、はげしい嵐の夜も。

 いろんな場所で、いろんな雨をあびたものだった。

 と、そうこう想っているうちに、隣り町まで到着した。けっきょく、雨は一粒もふらなかった。いつもの店へ行き、いつもの珈琲を頼んだ。

 席につき、珈琲が来るのを待つ。

 直後、天井で豆をひとつこぼしたような音がなった。次の窓の向こうで、雨が降り出すのが見えた。

 ほんとだ、雨がふった。

 サンジュ、やるな。と、感心している間に、席へいてたて珈琲が席へ届けられる。

 湯気の立つそれを口にふくむ。ああ、にがい。

 で、飲み終わって、席を立ち、傘を持って、店を出る。

 すると、雨はやんでいた。ゆえに、傘はさす必要がなかった。

 そして、草原を引き返す。雨はふっていなかった。そのまま、滞在先のズン教授の家へ戻る。

 扉をあけ、室内へ入る。

 直後、外で雨が降り出した。

 どうやら、丁度、晴れている間だけ、外にいたらしい。

 すると、家の長椅子で、薄荷棒を口にくわえながら昼寝していたサンジュが、ばん、と目をけた。目覚めると、蓬髪の前髪をゆらしながら、おれを見て、次に窓の外を見ていった。

「ほらほらほら、ほらほらほらほらほら、ね、雨ふってるし。わたしのいったとおり、雨ふってる、ほらほらほら、ね、傘、あってよかったでしょ」

「いや、傘はまったくつかってない」

「おお、なんという虚言を。だって、ヨル、見たところ、あなた、雨にぜんぜんぶれてないし、傘を使ったでしょ、傘をさしたんでしょ」

「いいや、つかってないんだ、傘」

「こ、こここ、この、いじっぱりめ! きらい!」

 ああ、雨はふり、そして、サンジュにもふられた感じになったぞ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る