ひとくさあり

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 草原を進んでいると、真向かいから誰かが歩いて来るが見えた。

 朝、珈琲を飲みに隣の町まで草原を渡っている途中だった。位置的にいえば、町と町の丁度、半分くらいの位置である。

 一面は緑の草原で、真っ平だった。視界を遮断するような、起伏や人工物その他もまったくない。

 草原が広がっている。ただし、ここ最近、おれが毎日、同じような場所を歩き、踏んでいるためか、草の一部が倒れて、道なりに凹みはじめている部分がある。

 とはいえ、まだまだ獣道と呼べる状態ですらない。この凹みも、おれが毎日、歩き、見ているからわかる、微細な道に過ぎなかった。他者から見れば、人の手付かずの草原にしか見えそうにない。

 そんな弱性な未開の草原を進んでいると、向かいから誰かが歩いて来るのが見えた。この草原で人と遭遇するのは珍しい。小動物などは、けっこう遭遇する。

 向こうはどんどんこちらへ近づいて来る。草原といっても、生えている草は、高くてひざらいまでだった。くるぶし以下の高さばかりだえる。とにかく、遮蔽物もないので、遠くても向こうの姿がよく見える。それは同時に、こちらの姿も相手から、たやすく見えていることにほからならない。

 向こうがだんだん近づいて来る。

 流れで、おれも外套の端を揺らしつつ近づく。

 こちらは剣を背負っているし、ここには他に、人間もいない。もしかして、おれの装備は相手を不安にさせるのではないか、という不安があった。いや、この背負っている剣は、竜を払いための剣であり、人と戦うための剣ではない。けれど、遠くから見て、そんな剣だと相手がわかるはずもない。

 どうしたものか。

 と、思案している間も、相手がどんどん近づいてくる。向こうは薄い緑の外瘻を着ていた。性別はおそらく男性である。

 よし、最接近の際には、一礼とあいさつをしよう。礼儀正しい者と認識してもらって、問題発生を避けよう。そう安易に心を決めた。

 やがて、もうふつうの声が届くだろう距離まで迫った。

 お互い、真っすぐに向かってゆく。相手はなかなかの猫背だった。

 で、見ると、相手は顔の上部を、面で隠していた。

 まてよ、顔を隠しているのか。

 直後、面の男は馳せた。その際、右手で足元の草を一本引き抜く。一挙のこちらとの間合いを詰めた。そして、手にした草の先をおれの顔へかすらせる。

 おれは反射的に、斜め後ろへさがった。

 見ると、こちらの外套の襟が切れている。

 というか、草で襟切れたか。

 もしかして、いま草攻撃を避けなければ、喉が切れていたのか。

 想像している間に、男は持っていた草を捨て、別の草を抜く。

 そして、ふたたび迫って来る。草の先を振る。おれは後ろへ避けた。草の端がかすり、また外套の一部を切った。男はさらに新しい草を抜き、こちらへ目掛けて半円に振った。またも外套の端が切れた。

 草で切っているのか。どこにでも生えているような、草で。

 そんな、出来るのか。

 しかも、ここは草原だった。草ならいくらでも生えている。

 それ以前に、まてまて、向こうはおれを狙って来ているぞ。

 なぜだ。おれが襲われる理由は―――と、頭の中で考えている間も、向こうは迫り続ける。近くに生えた草を右手で、ぴっ、と抜いて、攻撃をしかけてきた。後退しながら草の一閃を避ける。避けるとすぐに別の草を、ぴっ、と抜いて、それでおれを切りにかかる。

 一草、一切りの使い捨てか。

 しかも、どうやら一撃でこちらに致命傷を与えるつもりがなさそうだった。相手は意図的に深く踏み込んだ間合で攻撃していない。ただ、相手を細かく切り刻むのが目的のような攻撃に思えた。もしかして、脅しだけか。いや、最初は趣味で無数に切り刻んでいるだけで、最後は。とも考えられる。

 にしても、奇妙な技だった。その場で、ぴっ、と抜いた草で相手を切りつける。それなら、武器を持っていなくとも、近くに草さえ生えていれば戦える技だ。

 なんというか、きらいだ、その技、おれ。

 ここにはお互い以外、人間はいない。第三者が介入する確率は零だった。

 ここはやるしかない。

 草がないところで戦えば。

 いやいや、ここは草原だ。すなわち、相手にとっては無限にも等しい武器帰庫の中でやり合っているようなものだった。

 いっぽうで、こちらは剣を背負っている。とはいえ、これは竜を払うための剣だった。人と遣り合うための剣ではないし、おれも対人戦闘の専門家ではない。

 しかたがない。

 しかたがないので、とりあえず蹴った。右足で、向こうの腹部を。

 相手の動きは竜より遥かに遅い。

 竜より、鋭さもない。

 蹴りが深く相手に腹部へ入る。それで向こうはうずくまって倒れた。その際、相手の手から地面に何か光るものがこぼれ落ちる、妙に細い刃物だった。

 そうか、こいつは草で切っているように見せかけて、実際は刃物で切っていたのか。草で葉を巧妙にかくしつつ。草で切っているように見せかけていたらしい。そうすることで、攻撃相手に与える情報を乱す戦い方だったのか。

 で、おれは素早く刃物を拾い、遠くへ投げた。

 すると、相手はよろよろと立ち上がり、草原を走って逃げていった。

 ただ、草原には遮蔽物ないので、どこかでも地平線の向こうまで見渡せる。おれは落ち着いた動きで手ごろな石を拾い、相手へ向かって全力で投げつけた。

 投石は遠くの場所で男の背中へ命中した。相手は倒れ、草の中に沈む。

 そして、近づいてみると、もう、そこに男はいない。気配もなかった。

 やがて、おれは「つまり、損しかしない」と、つぶやいた。

 草。

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