すると
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
竜がいる。充分に目視できる距離だった。
真っ平な草原で視界を遮るものはなにもない。風が吹き、草の葉がゆれる。まるで波打つ緑色の海面に立っているようなだった。
そして、前方に竜がいる。
一階建て家屋くらいの大きさだった、鎮座し、首を立てている。翼は畳まれていた。全体は深い群青色をしており、表面は鱗めいている。蛇や蜥蜴など、爬虫類に似て非なる生物だった、それらと祖先を同じくすとは思えない。後ろ足が二本あり、折りたたまれた翼の端に、前足の名残のようにとがった爪がある。
口を閉じても牙のすべてがおさまらず、いくつかの鋭い歯が、氷柱のように上下に見える。牙は異様に白く見えた。ひとつ、ひとつの牙は大きく、先が鋭利だった。その口からは、ときに炎も吐く。竜は体内で発火しやすい体液を生成し、口から噴射し、その際、歯と歯を素早くこすって、火打ち石のように使い、体液へ着火させて、炎にする。大きな竜ほど、体内で発火用の体液の生産量も大きく、炎の質もあがる。小さい竜だと、体内での生成ができないらしい。代わりに事前に油を飲んで、炎を吐くと聞く。
竜の眼は大きくひらかれていた。瞬きする際は、瞼は下から上へあがる。その眸は人より遥かに複雑な配色と、光の屈折を内在している。
おれは遠からず、近からず、目の前の竜を見ていた。
おおよそ鼠以上の大きさの生命は、竜を恐いと感じる。無条件に恐怖をおぼえる。そして、竜に対するその恐怖を生命が克服することは不可能だった。竜は慣れることができない。
人は酸素がなければ、生きられない。だとすると、竜に対する恐怖を克服するということは、人が無酸素で生きることを可能にするようなものだった。
けれど、おれは竜を追い払う、竜払いだった、竜と遣り合う生き方をしている。
これまで、何度も何度も竜を払って来たものの、いまだに竜への畏怖は消えていない。意志、知識、経験、それから、動ける身体とで対応してきた。
恐さは心の領域であって、物理的には身体が動く。心と身体を、分離する方法で、なんとかやってきた。
とはいえ、竜は、こちらから攻撃しなければ、向こうから攻撃していることはまずない生命でもある。
だから、時折、竜が人のいる場所に現れてしまった場合、人はその場から竜を追い払う。
むろん、人の歴史の中では、竜を絶滅させとうとした者たちもいた。けれど、それはできなかった。ただ、その者たちの戦いは無駄ではない。先人たちが竜に挑むことにとって、竜を払う方法もまた発見、あるいは発見された。それらの戦いの延長線上に、竜払いも存在する。
そして、おれもまた、その延長線上にいる、ひとりの竜払いである。
そう、竜払い。
にも、かかわらず。
ここのところ、おれは竜を払っていない。諸事情で、このあたりは竜払いの依頼を勝手に受けつけられないので、しかたがない。けれど、ずっと、竜を払っていないので、だんだん少々不安になっている。このままでは、竜を払う技術が衰えてしまわないかという不安だった。
それで、つい、こうしてこの草原を歩いていて、竜を見かけると考えてしまう。あの竜を払うとしたら、どう動きて払うべきか、と。
ただし、いま目の前にいる竜は人里から離れた場所にいるし、人へなんの迷惑にもかけていない、いわば野良竜だった。ゆえに、誰も竜払いの依頼をしてくるはずもないし、払う必要がない。
わかってはいる。けれど、それでも、つい竜を見ると、考えてしまう。さあどう、あの竜を払うかべきか。
とうぜん、払いはしない。おれは目の前にる竜をはかわし、先へと進む。
すると、今度は猫ほどの大きさの竜が空を飛んでいるのをみつけた。
あのくらいの大きさの竜を払う場合は。
と、また考えつつ歩く。
すると、今度は羊ほどの竜が首を胴へ添え、地面で眠っている竜をみつけた。
あの大きさの竜を追い払う場合は。
と、考えてしまう。
すると、牛と遭遇した。
そう、牛を追い払う場合は。
というか、近くの町の牧場からはぐれた乳牛らしい。かなり大きな牛だった。前から歩いて来る。
おれが「牛か」つぶやいた直後、牛はこちらへ臀部を向け、しっぽを左右へ振る。
おまえ邪魔だよ、あっちへ行けとばかりに。牛に。
おれが、牛に追い払われた。
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