なかにおおかみ

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 柵の向こうに羊がたくさんいる。

 どの羊も、潤沢に毛がのびている。歩くと毛が全体がゆさゆさゆれていた。

 このあたりで飼育した羊からは、いい羊毛がとれるらしい。育てるための必要な草もほどよく生えていると聞いた。気候も羊にとっては、快適らしい。

 そんな羊たちが飼育されている放牧地を通りかかった。おれはなにげなく、柵の向こうの羊たちを眺めた。

 羊の放牧は他の土地でもよく見かける。おれが以前いた大陸でもやっていた。

 ただ、ここで飼育している羊の種類は、他では見たことのない品種だった。身体が大きい。

 当の羊たちはぼんやりしている、あるいは、ずっと地面の草を食んでいた。柵の向こうには牧羊犬もいた。

 そのとき、気配を感じた。麦わら帽子かぶった男性が、こちらへ近づいて来る。見たところ、三十歳前後である。

 やや、とがった顎の持ち主だった。

 面識のない相手である。

「いいでしょ、うちの羊たち」

 そして、彼はこちらへ声をかけて来た。

 口ぶりから察するに、彼がここの羊たちを飼育しているのだろう。おれには羊の育ちの良し悪しはわからないので「こんにちは」と、あいさつだけを返した。

「あなたが、うわさの竜払いさんだね」

 と、言って来る。

 知っているのか、おれのこと。まあ、小さい町だし、最近、よくうろついている。町の人たちに噂が広まっても、しかたがない。

 で、彼はこちらが答える前に「いや、いいんだよ、多くは語らなくても」と、そう言って続けた。「いいだ、いいんだよ、多くは語らなくとも、ね」

 どこか得体の知れない気遣いを展開された。

「見てください、ここの羊たちも、いっけん、平和に暮らしているようでしょ」彼はそういって続けた。「でもね、狼がいるんですよ」

 なんだ、狼がいるのか。このあたりに。

「おっと、狼がいるといって、俺の中の狼って意味じゃないぜ」

 彼は笑みつつ言って、ちらりと、こちらを見て来た。

 完全にこちらの反応をうかがっている。

「まあ、多くは語らないがね」

 おれは「そうですか」と返した。

「そう、狼がいるんだ、ああー、ねんのため、もう一度言うが、俺の中の狼って、意味じゃないからね」

 彼はふたたび、それをねじこんでくる。

 さらに「そうなのさ、狼はいるんだよ、いや、あくまで、俺の中の狼って、意味じゃなくね、うん」と、言った。

 なんだろう。

 基本的には、同じ発言だった。そして、おれにとっては不人気発言である。

 けれど、どうしよう、むこうは、こちらが、それどういう意味ですか、と聞き返すまでそれを言って来る可能性がある。

 などと考えている間も、彼は「ほんとう、話が長くなるから、多くは語らないが」と言っている。「狼はいるけども、それは俺の中にいる狼って、わけじゃないので」

 困る以外、おれがその場で出来ることはなにもなかった。

 そこで、正直に彼へ告げた。

「あの、とりあえず、おれが、あたなの中の狼について質問すれば、この話題の息の根は停止しますか」

 とたん、彼は言った。

「その微妙に露呈している不機嫌を含んだ発言! それがぁお前の中の狼だあああああ!」

 大きく叫び出した。

 ほぼ、発狂といっていい。

 驚いて羊たちが逃げ出す。

「なんつってな!」

 で、彼は笑った。彼だけが笑った。

 その後、羊たちを脅かした罰で、彼はやってきた熊みたいに巨大な父親に、やつけられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る